トンネルを抜けるとそこは……
夏の盛りにひんやりとした恐怖をお届けする、怪談ホラーショートです。旧伊勢神トンネルという実在の心霊スポットを舞台に、迫り来る異形の音と恐怖を描きました。読んだ後に蝉の声を聞くと、少しぞわっとするかもしれません。どうぞ最後までお楽しみください。
蝉しぐれがピタリと止んだ。
大学生の涼太と大樹は、心霊スポットとして知られる「旧伊勢神トンネル」の前に立っていた。蒸し風呂のような夏の熱気が、暗い坑口から吹き出す冷気と交ざり合い、生暖かい湿気となって肌にまとわりつく。
「本当にに入るのかよ……」
大樹の声は震えていた。このトンネルには、昔から不気味な噂があった。夏になると、内部で「ある音」を聞いた者が姿を消すというのだ。
「大丈夫だって。ただの都市伝説だろ」
涼太は強がりながら、懐中電灯の光を闇へ向けた。足を踏み入れると、ひんやりとした空気に包まれる。外の蝉の声は完全に遮断され、カツン、カツンと自分たちの足音だけが不気味に響いた。
トンネルの中ほどまで進んだとき、それが聞こえた。
――ベチャリ、ベチャリ。
湿った何かが床を這うような音が、前方から近づいてくる。
「な、なあ……聞こえるか?」大樹が涼太の服の袖を掴む。
涼太は足を止めた。懐中電灯の光を向けるが、闇が深すぎて奥は見えない。音は次第に大きくなり、やがて呼吸音のような低い音が混じりはじめた。
――スッ……スッ……ベチャリ。
「引き返そう!」大樹が叫んで踵を返した瞬間、後ろの入口から重い音が響いた。
ずしん。
振り向くと、トンネルの出口が黒い不気味な「何か」の塊で塞がれていた。それは無数の乾いた夏虫の死骸と、濡れた黒髪が混ざり合ったような蠢く物体だった。
前からも、後ろからも、音が迫ってくる。
ペチャ、ペチャ、ペチャ。
頭上のコンクリートが脈打つように揺れ、隙間から耳をつんざくような甲高い音が響き渡った。
――ミーン、ミーン、ミーン、ミーン!
トンネル全体が、巨大な蝉の鳴き声で満たされていく。しかしそれは虫の声ではない。狂気を含んだ、人間の悲鳴を継ぎ接ぎしたような「音」だった。耳を塞いでも、音は脳みそに直接響いてくる。
「うあぁぁぁぁ!」
耐えかねた大樹が、前方の暗闇に向かって走り出した。
「待て、大樹!」
涼太も後を追った。耳を刺す鳴き声と、湿った足音が足元まで迫ってくる。足が重い。空気がねっとりと肺にまとわりつく。視界の先、トンネルの終わりを示す出口の光が見えた。
あと少し。あと十メートル。
涼太は死に物狂いで足を進め、まぶしい光の中へと飛び出した。
「はぁ……はぁ……!」
トンネルを抜けるとそこは、青々とした緑と刺すような夏の太陽が広がる世界だった。
「助かった……のか?」
涼太は地面に倒れ込み、荒い息を整えた。外の蝉しぐれがジリジリと鳴り響いている。涼太はふと気づき、後ろを振り返った。
大樹の姿がない。
「大樹? 大樹!」
名前を叫ぶが、返事はない。静まり返った旧伊勢神トンネルの黒い穴が開いているだけだ。涼太は恐怖に震えながら、ゆっくりと自分のスマートフォンを取り出した。
ポケットの中で、着信音が鳴っていた。
大樹からだった。
震える指で通話ボタンを押し、耳に当てる。
『……涼太……』
大樹の声だった。しかし、その声の後ろから、あの音が聞こえる。
――ミーン、ミーン、ミーン。
『抜けたんだろ……? いいな……』
大樹の声は急速に遠ざかり、代わりに耳元で「ベチャリ」と湿った音が聞こえた。
『俺のところ……まだ蝉が鳴いてるんだ……トンネルの中から……出られないんだよ……』
プツリと通話が切れた。
涼太の頭上で、夏の真実の蝉たちが、狂ったように鳴き続けていた。
暑い季節にぴったりの、ゾクッとする怪談はいかがでしたでしょうか。
実在する旧伊勢神トンネルの静けさと、そこに響く不気味な音の気配を感じていただけたなら幸いです。読後にふと耳に入る蝉の声が、いつもと少し違って聞こえたら……この物語の仕掛けは成功です。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!




