第八話、使い魔
そうだねえ、使い魔と話してることが多いかなあ…
きっかけは魔術師のそんな一言であったと、将軍は記憶している。
使い魔。
その単語に姫姉妹が著しく興味を惹かれたのは、無理からぬことであった。
彼女たち「王族」は、一定以上の学習能力を有する生物にひどく恐れられる。
体長が小さなものほど、その反応は顕著で、特に哺乳類の子供などは目が合っただけで恐慌状態に陥り、我先にと逃げ出してしまう。
しかし王族とて、子猫を見て可愛いと感じる感性がない訳ではないのだ。
あのもこもこした毛玉みたいな生き物は、触ってみたらどんな手触りなのだろうか…
柔らかいのだろうか…
きっと温かいのだろう…
そんなことを夢想して過ごした一日が、必ずと言っていいほどある筈だ。
しかし、その夢が実現することはない。
何故なら彼女たちは王族で、小動物を愛でる心の豊かさを持っているけれど、それでも子猫は逃げるし、花は枯れる。
そんな彼女たちに、魔術師はこう言ったのだ。
「別に逃げやしないよ。野良猫じゃないんだから」
「……」
沈黙。
姉姫と妹姫は、無言で顔を見合わせた。
魔法使いの使い魔と言えば、黒猫である。にゃあと鳴く、魅惑の生き物だ。
使い魔というくらいだから、ひょっとしたら言葉を喋るのかもしれない。
「ああ、でも」
とマウが思い出したかのように付け加える。
ぱっと顔を上げて傾聴する姉妹に少し気圧されながら、彼はちらりと将軍に一瞥をくれる。
「…いや、たぶん将軍には見えないだろうなと思って」
その言い回しに、将軍は首を傾げる。
「わたし…には? 何でだ? わたしだけ仲間外れか」
寂しそうに目を伏せる彼女に、それが演技だと見抜けない魔術師は慌てる。
「あ、いや、そうじゃなくて。魔術師でもないのに見える方がおかしいの。君が普通」
説明すると長くなるので省いたが、マウが言う使い魔というのは、絵本に出てくるようなそれとはまったく異なる。
魔術師にとっての「使い魔」とは、自らの分身であり、魔力を補助する役割を与えられた仮想の人格である。
姿形は人によって様々だが、独立して動けるように設定するため、イメージしやすいよう動物をモチーフにする魔術師がほとんどだ。
制御が難しい高度な魔力を用いる際、魔術師は使い魔に負担の一部を預けることができる。
この世に完璧な人間などいないように、己の魔力を完全に律することができる魔術師もいないから、もっと単純に…魔力を強化してくれる存在と言っても差し支えないだろう。
つまるところ想像の産物なので、マウの言う通り、見える方がおかしいのだ。
正直、姫姉妹に…というより王族には見えるというのも憶測で、断言はできない。
だが、王族が魔霊を生み出し支配する存在だというなら、可能性は高いと踏んでいた。
そこには、きっとマウなりの願いが込められていて、彼が魔術師の社会で生きることをやめた理由の一つが関わっている。
彼のそういう部分が、将軍からすると付け入る隙になるのだから、人生は難しい。
彼女は、マウにこう言ったのだ。
「やだ」
「やだじゃない」
マウは脱力して言い返したものの、「ええ、面倒くせえなあ…」とぼやくばかりで、無理だとは言わなかった。
自分に見えるものが他人に見えない道理はない。それが魔力の基礎的な理屈だからだ。
彼は視線を宙にさまよわせたあと、全責任を彼女本人に押し付けることにした。
「最初に言っとくけど、返品は利かないぜ?」
「どんと来い」
将軍は安請け合いした。
もちろん後日、後悔することになる。
このときはただ、無理難題を言った手前、引っ込みがつかなかったのだ。
マウもきちんと説明すればいいのに、その労力を惜しむから、余計にあとで面倒くさいことになる。
ここで妹姫が、マウの袖をくいくいと引っ張った。
大きな瞳が期待に輝いている。
「何するの?」
思えば、彼女が魔力を見るのはこれが初めての経験である。
無邪気な目を向けられて良心の呵責が痛むのは、きっとマウが給料泥棒だからだ。
さしもの彼も、このときばかりは魔術師としての職分を果たそうとした。
小さな子供にも分かるよう言葉を選び、
「将軍だけ仲間外れで可哀想だから、何とかしてあげようね」
結果として無いも同然の説明で終わる。
彼は妹姫の頭を撫でながら、将軍の額に人差し指を当てる。
今、彼がやろうとしているのは、将軍の認識の壁を取り払い、彼女の世界に変革をもたらそうという劇的リフォームであった。
そしてそれは、マウにとって、さして難しいことではない。
魔力の制御という点では、彼の右に出る者はそうそういない。
それは言い換えれば、彼の使い魔が極めて優秀であることの裏返しであった。
「そんなに難しい術じゃないんだけど…丁度いい。おれの使い魔を紹介するよ」
姫姉妹が息を呑んだ。
年長者としての矜持がそうさせたのか、こほんと咳払いを一つして発言権を主張したのは姉姫である。
「あー…マウ? その使い魔とやらは…」
さもどうでもよさそうな態度を装っているが、落ち着きなく揺れる瞳は潤み、白磁のようにきめ細やかな肌は微かに紅潮している。
彼女は繰り返し手元でそわそわと指を組み直しながら、意を決して尋ねた。
「か、可愛いのか?」
愚問だ。マウは…将軍の淡い瞳をひたと見据えたまま「もちろん」と頷いた。
「当然さ。世界で最高の、僕の相棒だ」
そう断じた少年の声色には、普段の彼にはない絶対の自信が満ち満ちていた。
その声を起点とし、突如として姉姫の視界にノイズが走った。
それは、魔術師が自らの内面に住まわせている使い魔を発現させるときの前兆だ。
歪んだ空間に、小さな輪郭が浮かび上がる。
不思議な現象だった。
マウの肩の上に何かが乗っているという理解は、あとから遅れてやって来たのだ。
少年がその名を囁いたのはいつだったか、明確な記憶はなかった。
「おいで、アプリカ」