第六十七話、暗躍
マウが女の子たちに言葉責めされている頃、姉姫は自らの使命を懸命に果たそうとしていた。
「がおー」
「…舐めてるんですか?」
就寝中、トカゲの着ぐるみに襲撃されるという事態に遭っても、エメスの対応は冷静だった。
王族に忠誠を誓っている彼女だから、最低限の礼儀を守って敬語だ。
エメスの寝室は、彼女のくつろぎ空間であるから、床一面にきめ細やかな砂が敷き詰められている。
黒騎士に夜なべして作ってもらった着ぐるみで歩くと、体重のぶん足が砂に沈むため、背びれのついた尻尾の先が蛇行して浅い軌跡を描いていた。
エメスに憐れみの目で見られて、今はトカゲの姉姫はこほんと軽く咳払いした。
「まあ座れ」
「色々と手遅れですけど…はあ…」
躊躇いがちに頷いて、エメスは砂の上で胡座を掻いた。
「こら、下着が見えてる」
「いや、殿下に言われても…」
普段の姉姫は、丈の短いドレスを好んで着用するため、けっこうな頻度で下着が見えるのだ。
マウに言わせてみれば「いや、そんなことはない」と真剣に否定するだろうが、それは姉姫なりに彼の前では男性の視線を意識して振る舞っているからだ。
居住まいを正してきちんと正座したエメスに、姉姫は鷹揚に腕を組んで小刻みに頷いた。
エメスは、ふと疑問に思って尋ねた。
「暑くないスか?」
「暑い」
姉姫は即答した。
将軍には外気温をほとんど無視できる魔法みたいな鎧があるが、姉姫はそうもいかない。
いついかなる時も、帝国の王族は武装しない。
武装した人間たちを、優雅なドレス姿で見下すのが好きだからだ。
だが、今の姉姫は立派な着ぐるみで、しかも彼女は帝位の正統な跡継ぎと目されているから、正直エメスはこの国の先行きが不安になる。
「えっとお…」
とりあえず気の利いたことでも言うべきかと口を開くも、姉姫に「まあ待て」と機先を制される。
「お前の言いたいことは分かる」
差し出した片腕の先端には、猛禽類のそれを思わせる見事な鉤爪が具わっていたものの、きっちりと内部にまで布が詰まっているらしく、暖かみのある曲線を描いていた。
「あらかじめ黒騎士に注文しておいたのだが…どうもわたしのイメージが上手く伝わっていなかったらしい。
どうしてこうなった…」
途方に暮れた姉姫が、如何にも無念というように天を仰ぐ。
…だが、千載一遇のチャンスであることは確かだった。
歩行速度から逆算して、今頃マウは妹姫と合流している筈だ。
スケルトンの証言を鑑みるに、魔術師がよく使う「影踏み」とやらは瞬間移動ではない。
姉姫は魔術師ではないから魔霊の《声》を聞くことは叶わないが、言伝を依頼することはできる。
利害が一致したなら、マウは複数名の影を同時に踏める。
魔術師としても稀有な能力だ。
マウ本人からしてあまり意識していないようだが、それは条件さえ整えば、彼の魔力を第三者が利用することも可能であるということだ。
影踏みは瞬間移動ではない。
だから今なら、神出鬼没の少年魔術師が姉姫の前に現れることはない。
姉姫は溜息を吐いた。
最強の魔霊に命を狙われるかもしれないと知っても、彼は自分たちの傍に居てくれるのだろうか?
…母は、「彼女」を上手く説得できるだろうか。
おそらく難しいと、姉姫は見ている。
「…エメス、あなた…」
口調を正した姉姫に、エメスはぎょっとした。
幼馴染みの人間の少女と同じ姿をした魔霊に、姉姫は言う。
「あなた、ドラクルに勝てる?」
無理よね…と項垂れる第一王女に、エメスは身を乗り出して犬歯を剥き出しにした。
「負けませんよ! あんなやつに!」
「そう? …そうかしら。本当に?」
「もちろん!」
勢いで言ってしまったエメスは、少し後悔した。
姉姫が、にやりと微笑んだからだ。
「よろしい。ならば教育だ」
掛かって来なさいと怪鳥の構えをとる姉姫に、エメスは途方に暮れた。
少し遅れて、ああ、これドラ公のコスプレなのかと腑に落ちた。
(頭悪いなあ…)
失礼だけど、そう思った。