第六十六話、反目
情報の漏洩にご立腹のメディアは、何故か張本人の将軍ではなくマウに当り散らすのであった。
《…!》
彼女の細腕でぺちぺちと往復ビンタされたマウは、何ら痛痒を感じていなかったため、気の済むままにされた。
身体の震えは一向に止まらなかったが、感情を切り離すことに成功した彼にとって、もはや寒さは他人事でしかなかった。
「ははは、こいつめ…」
メディアは、妹姫よりも背の低い小さな女の子の姿をしている。
彼女たち魔霊を生み出すのは帝国の女王であり、女王は人間で言うところの絶世の美女であるから、彼女の力で生み出された魔霊は、大抵が見目美しい女性の姿をしている。
「わ、わたしも混ぜろ!」
姉姫との通話を終えた将軍が、自ら進んでメディアの平手を受けて恍惚としていた。
「……」
その様子を見て、マウは心なし身を引く。
前々から、ちょっと変な女の子だとは思っていたが…
マウは、少し離れたところで用心深く二人を見守る。
その時だ、止まり木で翅を休めていたアプリカが、ぱっと飛び上がった。
マウの使い魔への愛情は深い。
滑空するアプリカを目で追うと、開きっ放しになっていた扉の先、廊下に小さな人影が立っていた。
人間には有り得ない、純粋な銀の色彩を持つ髪が、さらりと揺れる。
魔霊たちを統べる王族の第二王女、小さい方とかよく言われる妹姫だった。
魔術師でもない彼女が前触れもなく現れたということは、つまりマウが影を踏んで連れてきたということだ。
ならば当然、マウは妹姫の隣に立っていることになる。
外出する時、アプリカの定位置はマウの肩の上だから、滑るように舞い降りてきた使い魔がマウの肩にとまった。
マウの魔力は一通りアプリカの監視下にあり、またアプリカが行使する魔力はしばしばマウの理解を超えるため、こうした時間軸上の矛盾が起こるのはさして珍しいことではない。
魔力を使えない者からしてみると影踏みは瞬間移動としか思えないから、空間跳躍を体感した妹姫は「おお…!」と緑色の大きな瞳を輝かせたのだが…
「……」
マウの部屋でじゃれ合っている帝国軍元帥と氷雪の魔霊を視界に捉えて、急に無言になった。
メディアのビンタを甘んじて受け入れていた将軍が、妹姫の平坦な視線に気付いてはっとした。
彼女は普段には見られない俊敏な動作で妹姫に駆け寄ると、恐れ多くも帝国の第二王女と手を繋いでいる不埒者に天誅を下そうとし、あっさりと避けられて悔しそうな顔をした。
それから改めて妹姫にひしっと抱きつく。
「姫様…!」
妹姫は無抵抗だった。
傍らのマウを見上げて、
「わたし、授業中だったんだけど…何なの? これ」
「いやあ…」
マウは眉根を寄せて困ったように微笑んだ。
「…姉姫は何て?」
事情を知らない妹姫がここに居るということは、姉姫から情報のリークがあったということだ。
おそらく先ほど将軍がそうしたように、サイレンを介しての通話があったのだろう。
「行けば分かるって。自分は今、手が離せないから代わりにお願いって言われた」
「そうなの? 何してるんだろ」
友人の余暇の過ごし方にマウは興味を抱いた。
しかし、その妹は断言した。
「どうせ下らないことよ。あの人、ちょっと目を離すと自分ルールでおかしなことし始めるから」
「そうなんだ」
意外な、という風に目を丸くするマウに、妹姫はふと思った。
(…ああ、姉様はマウの前だと猫を被ってるのね)
マウは知らないのだ。
…姉は、決して優しくなどない。
マウが毛嫌いする女王の性質を色濃く受け継いでいるのは、力に秀でる妹姫ではなく、むしろ非力な姉姫なのだ。
とはいえ、姉とマウの交友に自分が口出しをしても仕方ない。
妹姫の興味は、すぐに別のことに移った。
すりすりと頬を寄せてくる将軍を無視したまま、
「メディア、あなたいつの間にこれと仲良しになったの?」
権能の関係上、筆談を不得手とするメディアは、意思の疎通が難しい魔霊だ。
だが、今は便利なのが横にいる。
メディアも心得たもので、第二王女の質問を無視してマウに詰め寄った。
《おい小僧。何故、小さいのがここに居る? 中くらいのはどうした》
思わずマウは吹き出してしまった。
姫姉妹は女王を雛形としているため、三人が並ぶと成長の過程を見ているような感じになる。
だから不遜な魔霊は、彼女たちをサイズで区別して簡潔に呼ぶことがままある。
反射的に妹姫を見て、笑いを噛み殺しきれずに「ふっふっ」と奇妙な吐息を漏らしたマウに、当の本人である妹姫が形の良い眉を跳ね上げる。
「…なに? 通訳なさい」
マウは魔術師だから、言葉を持たない魔霊と意思の疎通が出来る。
そうと知っている筈の魔霊は、だのに実際に通訳するとマウが八つ当たりされそうなことを平気で言う。
当然、マウは自分の言葉で上手く誤魔化さねばならない。
「いや、姉姫に相談したいことがあったんだよ。プライベートなことだから…でも妹姫はお願いされて来たんだよね」
さて、姉姫は何を考えて妹を寄越したのか。それが問題だ。
マウはしゃがみ込んで、妹姫と視線の高さを合わせた。
「妹姫は、好きな子っているのかな?」
「…?」
唐突な質問に、妹姫は首を傾げようとして失敗した。
将軍にがっちりとホールドされていた。
「好きというか…母様のことは尊敬してるけど」
試すような口振りで言う。
マウは、妹姫の母でもある女王を忌み嫌っている。
母が留守にしている今だから、マウの方から歩み寄って欲しいと期待していた。
その期待には応えられないと知っていたから、マウは純真な子供には真似できない卑怯さで気付かないふりをした。
「そっかあ。まだ七歳だもんな」
よしよしと妹姫の頭を撫でる。
子供扱いされていると感じて、妹姫はご機嫌斜めだ。
「そうやってすぐ触る。本当に見境なしなのね」
ちょっとした反撃のつもりだったのだが、マウは目に見えて狼狽した。
「触る」という単語に敏感な今日この頃なのである。
彼は素早く目線を逸らして、ぼそぼそと独りごちた。
「まずいな…まずい流れだ…」
案の定、三人に責められた。