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魔法日和  作者: たぴ岡
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第六十四話、雪女の恋

全治二日と診断された手首の捻挫が、三日目の朝になっても鈍痛を訴えるのは、きっとろくに眠っていないからだった。


寝台の上でのそりと上半身を起こしたマウは、夢の世界に半身を浸したままベッドから降りると、足取りも朧に部屋を出て、洗顔と歯磨きを済ませて戻ってくる。


のろのろと服を着替え、ベッドに腰を沈めて一息吐く間もなく、


「じゅつしぃ~」


と将軍が半泣きで部屋に転がり込んで来た。


「……」


マウは、両手で顔を覆った。

何か悲しいことがあったとき、彼はそうやって現実から逃避するのだ。


「…マウです。どうしたの」


前に居たところでは彼自身の意思に反してユーティユーティと呼ばれていたので、朝一番には自己紹介する癖があった。


「あれ、起きてる…」


せっかくの寝起きドッキリが初手で失敗に終わり、将軍は残念そうだった。


しかし嘘泣きではなかったらしい。

彼女は洟を啜りながらマウににじり寄ると、無抵抗な彼の腕を手に取り、袖で涙を拭った。


舟を漕ぎながら「うんうん…」と適当に相槌を打つマウに、将軍が涙ながらに訴えた。


「め、メディアがいじめるんだ」


マウは、速やかに布団に入りたかった。

将軍の後を追ってやって来た氷雪の魔霊が、室内の温度を急激に下げ始めたからだ。


《小僧、その女を寄越せ。カチカチに凍らせて死海に沈めてやる》


肌も髪も、着物に至るまで雪のように白い童女が、赤眼を怒りに染めていた。


厄介事に巻き込まれたことは明白だった。


しかしここで逃げても結局は同じことだと分かっていたから、マウは項垂れて未練を惜しんだ。


「何だよもう…朝から穏やかじゃないなあ。…メディア?」


事情を聞こうと水を差し向けると、裸足の童女がぺたぺたと歩み寄ってきて、マウに泣き縋っている将軍へと無言で手を伸ばそうとする。


「メディア」


今度は少し語気を強めて、マウが言った。


魔術師の言葉だから、魔力とは無縁ではいられない。


見えない力が働いて、メディアの小さな手がぴたりと止まった。


激情に燃える視線で射抜かれて、マウは少し鬱になる。


《…小僧。わたしに逆らうのか?》


メディアは、マウを「小僧」と呼ぶ。

大半の魔霊が、マウとは比較にならないほど長く生きているのだ。


それでも、人間は老いから逃れることができないから、不老長寿の魔霊と比べて精神年齢が低いということにはならない。


マウは、たしなめるように言った。


「逆らうも何も。君、上司に何する気なのさ」


将軍は、魔霊たちの指揮権を持つ、この世で唯一の人間だ。

メディアの一存でどうこうしていい存在ではない。


侮蔑の目で見られた。


《尽く尽く…小僧…貴様は女に甘いな》


「待って? おれ、そういうイメージなの? 違うからね? 彼女はあなたの上司で、あなたは彼女の部下でしょ? おれ、ちゃんとそう言ったよね?」


一気に喋って目眩がした。


すっと顔を上げた将軍が、ぼそりと言う。


「…もしもわたしが男だったら味方してくれない癖に」


「そりゃそうだろ! 野郎が泣いてるの見て、どうして親身になれるよ!?」


マウは認めた。


氷雪の魔霊メディアは、戦うことにも帝国の行く末にも関心がない。

そんな彼女だから、エメスよりも古い魔霊であるにも拘らず、メディアは彼女自身の権能を鎮める術を知らない。


メディアの周囲では、凝固した空気中の水分が塵と結び付き、自然と雪が降り始めていた。


将軍の長い睫毛に舞い降りた粉雪が、瞬きするたびにはらはらと散っている。


彼女の頭に積もった雪を片手で払い落としてやりながら、マウは思い付いて言った。


「男女を平等に尊重することと、同じ扱いするのは違うだろ。それじゃあ単なる乱暴者だ…」


「そうやって誤魔化すんだ」


《見苦しい言い訳を…》


間髪入れずに女の子たちにツッコまれた。


お前ら喧嘩してたんじゃなかったのかよ…とマウは胸中で吐き捨てる。


「気付けばおれが悪役だよ。本当に、どうなってるんだよ、おれの人生…」


止まり木の上で喧騒を見守っていたアプリカが、いつものパターンだと…何事も諦めが肝心だと慰めてくれた。


それもそうだなと納得して、改めて事情を問い質す。


姉姫ですら六時間は眠らせてくれるのに、夜間警備の仕事を押し付けてくれた将軍が三時間の睡眠時間を強要するというなら、それ相応の理由がある筈だと信じたかったのだ。


聞けば、事の発端は三日前にマウが将軍に与えた魔剣であるという。


それほど大それた魔力を付加した訳でもないのだが、魔剣を手にした将軍は何だか自分でも驚くほど嬉しくなって、女王不在で引きこもっている魔霊たちを訪ねては見せびらかしていたらしい。


もちろんメディアにもだ。そこまでは良かった。


自室で天井から氷柱を生やしては固めた雪玉を投げ付けて折る作業を延々と繰り返していたメディアは、珍しく将軍の魔剣に関心を示した。


将軍の剣に付与された魔力は、振れば薄紅の残光が軌跡を描くという、まるで実用性に欠けるものだった。


マウが、将軍の剣に宿る精霊たちに働きかけて、自分の魔力を定期的に補充することを条件に、心の力を糧に発光してくれるよう交渉したのだ。


交渉は滞りなく締結された。


精霊たちは、魔術師に対して好意的だ。


精霊の捕食者である「妖精」を古き盟約で従え、また新たに生み出しもする魔術師は、憎まれてもおかしくない筈だった。


しかし精霊に死という概念はないから、魔力という、カテゴリーは違えど「心の力」を操る魔術師は、精霊たちからすれば「同属」とまでは行かなくとも「同僚」程度には思われているらしい。


その辺りの説明を、マウは魔剣の保持者である将軍に一切していない。


面倒だったからだ。


ただ、魔力を補充する必要があるから、光が弱くなってきたら自分のところに来いとは伝えてある。


頻繁に魔力を与えすぎると、精霊たちは本来の職務を忘れて堕落してしまう。

それを避けるための処置だ。


普段、自分をあまり快く思っていないらしいメディアも、将軍の魔剣には興味津々の様子だった。

しめしめと思った将軍は、ここぞとばかりに魔剣誕生の経緯を披露したのだという。


いわく…

あの魔術師は女の子に甘いから、おねだりすれば頼みを聞いてくれる。赤子の手をひねるようなものである…


「おい」


得意気に武勇伝(?)を語る将軍は、マウの呼び掛けを無視して続けた。


メディアの好感度を獲得し、すっかり気分を良くした将軍は、やがて本日の早朝、魔剣自慢ツアーの第二周目に突入した。


「…何でそういうことするの?」


無意味だろとツッコむマウを、将軍はまた無視した。


魔霊訪問を再開した将軍。


そこで、事件は起こったのである。


一人目の標的は、もちろんスライムだ。


魔霊の長老であり、また自分を強く支持してくれている最古参の重鎮であるから、将軍は何事かあると大抵の場合はスライムに優先権があると考える。


今回もそうだった。


一回目とは趣向を変えて、黒騎士との殺陣を披露する将軍に、スライムは(雰囲気的に)目を細めて褒めちぎってくれた。


そこで、奇遇にもスライムの部屋を訪ねてきたメディアと鉢合わせた。


手文字で将軍を応援しているスライムを見て、何故だろう…今もって将軍には理解できない…


メディアは、血も凍るような、冷たい微笑を浮かべた。


…聞くに耐えない。


マウは、再び両手で顔を覆った。


朝から叩き起こされて、自分は被害者だと思い上がっていた。


そうではなかった。


この一件での最大の被害者は、疑う余地なく、あの哀れなスライムだった。


マウは、修羅場に追いやられたスライムの末路を偲びつつ、辛うじて声を絞り出した。


「…それは怒るだろ。自分の好きな相手が、他の女の子を褒めちぎってたら、それは怒るだろ…嫉妬もするだろ」


「…え!?」


ひと呼吸置いてから、将軍はびっくりして目を見開いた。

素早く振り返り、メディアを見る。


「メディア…あなた、スライムのこと好きなの!?」


メディアは、将軍を無視してマウに詰め寄った。

気炎を上げて、


《…変な言い方をするな! それだと、まるでわたしが…あれに恋をしているようではないか。わたしは魔霊だぞ、貴様ら人間と同じ物差しで計るな!》


彼女に自覚はないようだった。

あるいは自覚しようとしていないのか。


いよいよ面倒くさい事態になってきて、マウは普段着であるカッターシャツの袖をまくろうとし、直前で止めた。


行き場をなくした手を頭に持っていき、付いてもいない寝癖を直すような素振りをして、言う。


「君たちは、怒りと憎しみの具現だろ。だから愛情とは無縁だって? 馬鹿言っちゃいけない」


何か言い掛けるメディアを遮って、マウは畳み掛ける。


「メディア。何かを憎もうとするなら、その比較になるものは何だ? 愛しいものがないなら、そもそも憎しみは生まれない」


怒りと憎しみの具現だからこそ、愛情とは無縁ではいられないのだ。


スライムが限りなく不死に近い存在だから、メディアは安心して自分の気持ちに向き合おうとはしていない。


だが、スライムにとってはどうだろうかと、マウは思うのだ。


メディアは、熱に弱い。


そして人間は、この先、さしてそう遠くない未来で、魔霊たちに対抗して火器を開発するかもしれなかった。


そのとき、自分が寿命を迎えていない保障など何一つとしてない。


マウは真剣だった。


それなのにメディアは、(雰囲気的に)顔を真っ赤にして、言うのだ。


《あれを苛めていいのは、わたしだけだ。わたしだけが、やつの弱点を突ける。それが愉快でならない。それだけだ、勘違いするな》


マウは、少し自信がなくなってきた。


スライムの幸せを願うなら。

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