第六十三話、魔剣誕生
何もない部屋だな、と妹姫は思った。
マウの具合が気になって何となく着いてきたものの、ひと段落してみると、「魔術師の部屋」というものに俄然として興味がわいてきた。
しかし絵本によく登場する、人間一人煮込めるくらいの大きな鍋とか、奇天烈な魔導書とかは見当たらない。
少し残念だ。
唯一興味を惹かれるのが、天井から吊り下がっている止まり木だった。
あとは最低限の家具があるくらいで、きちんと掃除しているらしい点は評価できると思った。
ベッドの上に座ってきょろきょろと身をよじっているものだから、そのたびに長い髪が布団の上で跳ねて衣擦れの音を立てている。
お尻の下敷きにならないよう、マウがちょいちょいと魔力で軽く浮遊させていた。
止まり木を指差した妹姫が、博識な姉に尋ねる。
「姉様、あれは何ですか?」
魔術師の少年が城で暮らすようになって以来、何故か姉と一緒に居る機会が多くなった。
椅子に腰掛けて成り行きを見守っていた姉姫が、妹の指差した先を目線で追って首を傾げた。
「間取りの中心にあるから、おそらく前の住人が使っていたんだろう。以前、わたしも尋ねてみたが、先生も詳しくは知らないようだ。相当初期の魔霊なんだろう」
「魔獣かしら?」
姉と同様に首を傾げる妹姫に、姉姫は「どうかな?」と懐疑的な意見を述べる。
「伯爵が生まれて、次にベフィモスが生まれた。一見、無理がない流れのように思えるけど、わたしには少し唐突に思える」
ベフィモスというのはレヴィアタンの直兄に当たる魔霊で、魔獣と魔霊、両方の特徴を備え持っている。
雷と風を操る、強力な魔霊だ。
今は、女王に付き添って城にいない。
妹姫の理解が追い付くのを待って、姉姫が続ける。
「たぶん母様は、魔獣を量産する傍ら、実験的に魔霊型を生み出していたんじゃないかな」
その魔霊?魔獣?が、かつて羽を休めていただろう止まり木に、今はマウの使い魔が我が物顔で居座っている。
物憂げな表情で止まり木を見詰める姉に、妹姫は心の中で嘆息した。
(真面目にしてれば、立派なのに)
どうして普段はあんななのかしら、と妹姫が姉の将来を案じている最中、マウと将軍は無言の応酬を続けていた。
「……」
「……」
「…いや、さっさと寄越せよ」
痺れを切らせたマウが、片手を差し出したままの体勢で言った。
将軍は、マウ所望の剣を剣帯から鞘ごと引き抜いたはいいものの、先ほどから落ち着きなく身体を揺らすばかりで一向に手渡そうとしない。
「…でも、お前は姫様たちにやたらと馴れ馴れしいし…」
「あ?」
マウは、いい加減イライラしてきた。
彼女が何を躊躇っているのか、さっぱり理解できないし、魔力を連発した所為で疲れているのは事実だからだ。
とはいえ、女の子に苛立ちをぶつけるのは「優しい人」の定義から著しく外れている気がした。
マウは、努めて冷静さを保ち、将軍の手から彼女の愛剣をぶんどった。
「面倒くせえな…いいから、とっとと寄越すんだよ!」
インドア派とは思えない俊敏さで手元の武器を浚われた将軍が、何やら熱っぽい視線を向けてくるが、もはや知ったことではなかった。
将軍の剣は、やはり軽い。
見たところ、金属製には違いないようだが、純粋な鉄製とも思えない。
(…アルミか? ちょっと違うかもしれないな)
試しに鞘から引き抜き、刀身をまじまじと見詰める。
こうして改めて見ると…マウは思った…
(いい剣だよ、これ)
武器の良し悪しなど、マウには分からない。だが…
将軍は、そもそも知らないか、うっかり忘れているかのどちらかだろう。
将軍の剣には、幾層もの「運ぶものたち」が取り巻いていた。
剣にこめられた魔霊たちの真摯な「願い」に惹かれて取り憑いたのだろう。
魔術師であるマウには、そうした…目に見えない筈の怪しげな生き物が視える。
魔術師は魔力を制御するために自分を騙す必要があるから、己が五感のカスタマイズに熱心だ。
「魔眼」は、その究極形の一つで、先人たちが長い年月を掛けて磨き上げた、魔力の基礎となる秘術だ。
魅入られたように刀身を眺めて、マウがそっと呟いた。
「決まりだな…」
少し興奮してきた。
将軍は剣を新調したがっていたが、これを手放すなんてとんでもない話だ。
マウは、抜き身の剣を肩で器用に固定すると、捻挫した方の手の包帯をするりと解く。
鈍い痛みを発し続ける手に視線を落とし、じっと凝視すると、やがて手のひらに糸ほどの裂傷が走った。
ぷくりと浮かんだ血球に、いつの間にか顔を寄せていた将軍が「あっ」と小さな驚声を上げた。
マウは、いつになく厳しい口調でたしなめた。
「騒ぐな。この程度、魔術師なら誰でも出来る」
魔力ですらない。単なる自己暗示だ。
痛覚を遮断しようとして、…やめた。
この痛みには意味がある気がした。
無傷の手で再び剣の柄を握る。
握りを調節して、出血した箇所に剣先を押し当てた。
粛々とした雰囲気に呑まれて、将軍は「何をしているのか」とは問えない。
「…い、痛くない?」
「そりゃあ痛いよ」
剣先を伝った血液が、す、と刀身に滴る。
…だが、きっと必要なことだった。
マウの魔力は、彼自身に対して最大の効果を発揮する特性を備えている。
だからマウの血液は、彼自身が望むなら、魔力を付与するに当たってこの上ない純度を帯びている筈だった。
アプリカに手伝って貰えば手間を省けるだろうかと、ちらりと思ったが、すぐに考え直した。
愛しの使い魔は、将軍に対して少しばかり手厳しい。
最初の頃はそうでもなかったのだが、ここ数日ですっかりへそを曲げてしまったようである。
何が悪かったのか…
ああ、僕の所為かとマウは思い至った。
アプリカはマウの使い魔で、使い魔は術者の心を映し出す鏡だ。
(そうだよな。そう…)
マウは、考えを改めた。
自分一人でやろうとしたのは間違いだった。
止まり木で翅を休めているアプリカを見上げる。
「アプリカ」
彼の使い魔は、積極的には反対しなかった。
ただ、あまり気乗りしない様子で主人を見詰めた。
「アプリカ」
マウは、繰り返し使い魔の名を呼んだ。
「おいで。僕にはお前の助けが必要だ。これまで、ずっとそうだった。これからも」
そうして、じっと見詰め合う。
アプリカは何を思うのか。マウには分からない。
使い魔は、術者の分身だ。
彼らの意識は、魔術師が与えた仮初のものでしかない。
理屈ではそうなる。
それでも大切にしたいと願う「心」はきっとあるんだと、マウは思っている。
ややあって、アプリカは如何にも仕方ないと言うように、翅を広げて舞い上がった。
ぱたぱたと宙空を横切り、将軍の肩にとまる。
「え、そっち!?」
使い魔は、術者の分身なのである。
将軍の華奢な肩を足場に踏ん張ったアプリカが、バイオリンと弓を構えた。
「…何かごめんなさいね」
とりあえず謝ったマウが、将軍の剣を掲げ持つ。
くすぐったそうに身をよじった将軍が、びっくりして言った。
「わたしの剣が魔剣に!?」
「遅いよ気付くの!? そういう流れだったでしょ!」
とにかく、かくして、将軍の剣は新たに生まれ変わったのである。
効果のほどは、また後日。




