第六十二話、決着
そして。
「どうしてこうなった…」
自室にて、マウがうめいた。
ベッドに座り、片腕を包帯で肩から吊っていた。
軽度の捻挫らしい。
よりによって利き腕だったため、スライムが手ずから食事の世話をしてくれている。
個人的には姉姫にお願いしたいところだったが、将軍の許可が降りなかった。
将軍に頼まなかったのは、夕飯のメニューが熱々のシチューで、わざわざ火傷の危険を冒すこともあるまいと考えたからである。
責任を感じているらしい将軍は、小刻みに震える手でスプーンを差し出しているスライムと、雛鳥のようについばんでいるマウを見比べてはそわそわしている。
挙動が不審な彼女に、妹姫がずばりと言い放つ。
「謝ったら?」
「う…」
痛いところを突かれて、将軍が気まずそうに身じろぎした。
隣に座っている姉姫が、急き立てるように将軍の脇腹を肘で突ついた。
「謝っちゃえ、謝っちゃえ」
「う~っ…」
幼馴染みにまで囃し立てられた将軍は、唇を尖らせて恨めしげにマウを見る。
こうまで彼女が渋るのは、マウが怪我をしたのは彼が手抜きをした所為でもあると思っているからだ。
影踏みという魔力を簡単に言い表すなら、「あとだしじゃんけん」に近い。
たとえ怪我をしたとしても、影を畳んでしまえば「なかったこと」に出来るからだ。
ところが実は、マウの影踏みには、本人も自覚している致命的な弱点があった。
それは、他者を庇った場合には連続して影を踏めないという点である。
情に脆く、感情に正直なマウは、主張がはっきりしていることもあり影踏みに迷いがない。
迷いがないから、出たとこ勝負で退路を失うのだ。
相手がチョキを出して、グーを出せば勝てると分かっていても、後ろで見ているちょっと間抜けな女の子が救われるなら、パーを出して自分の負けでいい。
それがマウの生き方だ。
だが、そんなことをわざわざここで打ち明ける必要はないし、何かと格好付けたい年頃だったから、マウは憮然として言う。
「…悪かったな。魔力を連発して疲れてたんだよ。大体…」
と言って、ちらりと姫姉妹に視線を遣る。
視線とは別に、将軍に向けて言う。溜息混じりに、
「…君、剣を使えないって。騎士なのに…」
そのことを意図的に隠していた姉姫が、「にこっ」と笑って誤魔化した。
同罪の妹姫も姉に習って、ふんわりと意味なく微笑んだ。
…ここで許してしまうから駄目なのだと、マウはこれまでの半生を振り返って自戒した。
心の中でアプリカが応援してくれていた。
だが、速やかに鎮火された怒りを再燃するためには、何かしらの火種が必要だった。
「……」
何だか期待の眼差しを寄せられて、将軍がぎょっとした。
少年の魔眼が前触れなく発現していたからだ。
とっさに片目を押さえたマウが、部屋の出入り口に目を向けると、ちょうどドアが閉まったところだった。
去り際にスケルトンが微かに笑っていた気がした。
久方振りの敗戦に思うところがあったのだろうか。
…そう、結果から言うと、マウたちは勝利を収めた。
具体的な経緯は、こうだ。
まず跪いた将軍が、複数の黒騎士を顕現した。かに見えた。
が、実はそれはエメスが作り出した砂の彫像だった。
スケルトンは騙された振りをした。
彼は、黒騎士の本体である少女が応戦せざるを得ない極限状態を作り上げようとしていたからだ。
マウの魔力に囚われた一瞬の隙に、将軍とエメスは入れ替わったに違いない。
だが、そうではなかった。
将軍が真に欲したのは、「入れ替わることも出来たという状況」だった。
斬り伏せた「黒騎士」が砂と化して崩れ落ちた瞬間、スケルトンは驚いた振りをした。
将軍に名を呼ばれて、待ってましたとばかりにエメスが飛び出した。
迫り来る「将軍」と、足元を取り巻く砂、そして様々な要素から、スケルトンは罠に嵌められたと察した。
先行して殺到した「黒騎士」が内面から爆ぜて更なる異形と化した。
複数の端末を並行して操るという面に関してさえ、分隊規模であれば、完成された権能を持つエメスは将軍の上を行く。
このとき、スケルトンは初めて「本気」を出した。
動きの緩急で敵を惑わせるのがスケルトンの本領であると、マウは考えていた。
だが、そうではなかった。
極限まで無駄を省き、最低限の手数で最大の効率を叩き出すのが、スケルトンの本来のスタイルだった。
瞬く間に殲滅された砂人形に、それを為した老騎士に、魔神の本性を顕にしたエメスが哄笑を上げた。
愚かな…とスケルトンは囁いた。
どの魔霊にも共通して言えることだが、魔霊が全霊を振るえるのは本来の姿を成したときだけだ。
だから、魔霊を本当の意味で打破しようとしたなら、彼らの全霊が凝り固まった「本性」を打ち倒すしかない。
咆哮を放ったエメスが、巨腕を大地に叩き付けた。
砕け散り舞い上がった石畳が、瞬時に砂の槍と化してスケルトンに襲い掛かった。
初撃を回避したスケルトンが、それらを剣で迎撃しつつ、エメスの腕を駆け上がる。
足を砂に囚われる前に、彼は大きく跳躍し、エメスの肩口から脇腹にかけてを剣でなぞった。
それは、おそらく特別な一撃だった。
剣というものは、極めれば極めるほど枝葉が削ぎ落とされてシンプルになる…それが剣聖と称される老剣士の持論だった。
骨格も筋肉も、血流もない筈のエメスだが、スケルトンには他の…何かが見えていた。
剣でなぞられた傷は決して深いものではない。
にも拘らず、エメスの身体は両断された。
彼女の巨体が、大量の土砂を巻き散らして崩壊する。
スケルトンの貫禄勝ちといったところだったが、代償は大きかった。
着地の衝撃で踵骨を破損し、立ち上がることも難しくなってしまった。
すぐ後ろに愛弟子が立っていた。
そうなるよう、調整して跳んだのだ。
黒騎士を召喚するという選択肢も残されている筈だった。
しかし将軍は、相手が師であるということも作用してか、最後の最後で選択を誤った。
勢いよく抜剣し、
…これにはスケルトンもびびった。
将軍の手から、黒塗りの剣がすっぽ抜けた。
砂塵に覆われる中、なおも鈍く光った、くるくる回る剣を、姉姫と妹姫が切なそうに見詰めていた。
焦ったのはマウだ。
剣とは、つまり鉄塊である。
指先で刃をなぞれば、それだけで出血するのだ。
そこに重量が加われば、骨も無事では済まない。
とっさに影を踏み、師弟に割り込んだマウが、飛び上がって剣の柄を掴み取った。
そこまでは良かった。
が、首尾よくキャッチした将軍の剣は、異様に軽かった。
どういうことなの…と呟いたマウは、空中で重心を崩して着地に失敗した。
愛弟子のあまりの不甲斐なさに呆然としていたスケルトンは、辛うじて再構成したエメスの巨大な手で鷲掴みにされた。
それが、事の顛末である。
文字通り勝利を掴み取ったエメスは、喜び勇んで宣伝に出掛けた。
無理な体勢で着地して悶絶しているマウのことなど眼中にないようだった。
マウの部屋に集った一同の注目を浴びて、将軍はもじもじしている。
「…今日は、ちょっと調子が悪かったんだ」
いじけたように人差し指を突つき合わさる彼女に、マウは「仕方ないなあ…」とぼやく。
「出た!」と余計な茶々を入れる姉姫を軽く睨んで、怪我をしていない方の手を将軍に差し出した。
「?」と首を傾げる将軍に、マウは微妙に目線を逸らして告げた。
「剣、貸して。魔剣、欲しいんだろ? 約束は守る」