第六十一話、本質
「来い!」
気勢を上げてスケルトンの前に立ちはだかるマウだが、実は無意味な行動だった。
彼の役割はスケルトンの注意を一瞬でも逸らすことにあり、それ以上の働きは求められていないからだ。
将軍が立案した作戦の要になるのは、やはりエメスであり、計画の全貌をマウは知らない。
エメスの正体を見抜ける筈の彼を、どこまで欺けるか。
問題はそこだ。
にわかに怪しくなってきた雲行きを、エメスは険しい表情で眺める。
彼女の弱点は「水」だ。
雨が降り始める前に決着を付けたかった。
「…おい、魔術師。邪魔だ。お前、見学してろ」
マウは無視した。
彼女は自分に不利益しか齎さない。
命令を聞く義理はなかった。
でも邪魔者扱いされて不安になったから、ちらりと肩越しに将軍の顔色を窺った。
彼女は地面に片膝を付いたまま、師の動向を見逃すまいと集中していた。
マウの視線に気付き、「ん?」と首を傾げる。
マウは、勝ち誇った顔でエメスを一瞥して、鼻を鳴らした。
学生時代はクラスメイトたちに蔑ろにされていたから、マウの主張にも熱が入る。
「将軍は、そんなことないって言ってるぞ」
「いいように解釈すんな! 雨が降ったら、あたしは力が出ないんだ。どけ!」
「……」
マウは、縋るような目を将軍に向ける。
新天地での生活に全く不安を覚えないほど鈍感な人間ではないのだ。
何かの役に立ちたかった。
誰かの助けになれる人間になりたいと、マウはずっと願っている。
努力は報われると信じたい。
将軍が、こくりと頷き、端的に告げた。
「退場」
「え? なに? 聞こえなかった、もう一度」
見苦しい抵抗を続けるマウを、将軍は見ていられなかった。
気まずそうに視線を逸らされて、駄々をこねるほど、マウは自分に自信を持てない。
向奥の観客たちに目線を転じると、妹姫が駄目押しをするように手招きしていた。
「……」
とぼとぼと戦列を離れたマウを、スライムが出迎えて労う。
一層みじめになった。
マウはスライムを撫でてやってから、妹姫の隣に座った。
すると妹姫が、呆然と呟いた。
「触った」
「え!?」
過敏な反応を示したマウに、姉姫が「ああ…」と納得の声を上げた。
「ときどき、普通に女の子の頭を撫でたりするよね…」
「そんなことないよ!」
マウは否定した。
だが、事実だった。
説得力に欠けていることを自覚していたから、本当に必要なのは弁明の機会だった。
「…その言い方だと、誤解を招くでしょ? 女の子だからって訳じゃないから」
マウは必死だった。
「子供はね、大切にしてあげないと。大人がちゃんと手を握っててあげないと…」
瞳を覗き込んでくるマウを、妹姫はざっくりと切り捨てた。
「そんな話してない。なんでそっちに持って行こうとするの」
何故かと問われれば、疚しいことがあるからだった。
「でも、おれ触ってないよね?」
彼は、どうしてもそこをはっきりさせたいようだった。
妹姫は…
「……」
彼の勘違いを正す義務は、自分には無いのだと気付いてしまった。
すっと目を細めた妹姫の雰囲気が変わった。
そこに拭い難い女王の面影を見て、マウは心なし身を引く。
「あの…」
妹姫は、今年で七つになる。
まだ幼い姫君の将来に期待しているから、マウは彼女と接するとき、本音を語ってしまうことが多い。
狭いコミュニティの中で育ち、自分を曲げずに生きてきたから、マウの「怒り」は方向性にぶれがなく、質量ともに申し分がない。
人間の絶望を糧とする王族から見ると、それはとてもとても美味しそうなのだ。
だからマウは、迂闊に信念めいたことを口にすると、妹姫から無言で見詰められる。
「……」
そこに姉姫も無言で加わってくると、マウは家畜たちの気持ちが分かるような気がした。
スライムの横に座ると心が和むのは、きっと自己保存の本能が満たされるからだった。
この魔霊の長老種は、触れたものを瞬時に融解してしまう、世にも恐ろしい特性をしているが、マウにはあまり関係がなかった。
スライムは多者との接触を恐れるが、心の奥底では触れ合いを求めているから、うっかり溶かしてしまっても影を畳めばそれで済む魔術師なら、側にいても緊張せずにいられる。
地べたに座り込んだ二人は、肩を寄せ合って将軍の奮闘を見守るのだ。
将軍には、秘策があった。
今日この日のために、ずっと練習してきたのだ。
ずっと、ずっと考えてきた。
人間の…自分の「本質」とは何であろうかと。
魔霊の権能は発展させることができる。
だが、それは自分の特性を、本質を理解していることが大前提だ。
例えば、エメスは完成した権能を持つ稀有な存在だ。
そんな彼女でも、「渇き」という属性から離れた権能を振りかざすことは叶わない。
人間である将軍には、「属性」という概念が、おそらく無い。
黒騎士たちの権能が一向に発展しないのは、属性を持たない本体に影響されている所為でもある。
では、どうするか。
マウという「人間」と出会ったことで、将軍はその答えを得た気がした。
人間の本質を決めるのは、自分自身だ。