第六十話、対峙
最大魔力の解放は二度までだ。
「固有結界」もしくは「固定魔法」と呼ばれる例外を除けば、これは絶対と言っていい。
だから、もしもアプリカが諾々と従っていたなら、マウの勝ちだった。
百戦錬磨だからこそ、スケルトンは無意識の内に「ありえない選択肢」を除外する。
だが、例えば遠くから、高精度の魔力を撃つというなら、これは予想の圏内だ。
五感を歪めて、遠くのものを近いと誤認する…そうした技の持ち主と、かつて敵対したことがあるからだ。
もしかしたら…程度の考えだった。
何しろマウは、スケルトンの目の前で、既に二度、使い魔を行使している。
幾許か体力が回復していたとしても、不得手な遠距離狙撃を達成するだけの余裕は無いと踏んでいた。
手足に重い枷を嵌められたような感覚に愕然としたのは、それが完全な不意打ちだったから…だけではない。
現代の魔術師に、本来あってはならない技術だからだ。
これは、かつて存在した、「魔術師ではない人間が」「魔術師を倒すため」の技だ。
目まぐるしく動いていた師が、途端に失速したのを、将軍は見逃さなかった。
だが、事前の打ち合わせ通りであったにも拘らず、彼女は呆気に取られて逡巡した。
戦う術をスケルトンに教わって育った将軍は、師の強さを心のどこかで神聖視していた。
本当に魔力が通じるとは思っていなかったのだ。
ぞくりとした。
「今日の勝利」と「明日の敗北」は紙一重だった。
将軍は魔霊に育てられた人間だから、「人間」という定義に誰よりも拘る。
マウは人間だ。
人間だから…
いつか、帝国に牙を剥くかもしれない。
一度は結論を出した筈なのに、目の前で進行する現実は、何度でも問い掛けてくる。試されているかのようだ。
それでも信じようと思ったから、反駁を瞬時に押しやることができた。
戦局は常に流動的だ。
一度は取りこぼした勝機を、二度目も拾うことだってある。
もちろん、逆もある。
スケルトンは、歴戦の剣士だ。
その戦歴は凄まじく、光弾を全包囲に音速で撃ち出す魔獣にさえ打ち勝ったことがある。
討伐を命じたのは、女王だ。
大した権能を持たない筈の量産型の魔獣が、戯れに作った「最強を目指して設計された魔獣」を打ち倒したから、どこまでやれるのかと興味を抱いた。
負ければそれまでだと、ただ剣を上手く振れるだけの魔霊など不要であると考えたのだ。
…積み上げたブロックを何本まで抜いても倒さずにいられるだろうか?
そんなスリルを愉しんだ。
…同胞が一人帰らなくなり、また一人、また一人…
積み木のように
倒れていく
女王が憎くないのかと…とある魔獣は言った。
憎くはないと答えた。
それが騎士だと。
そして今、スケルトンと呼ばれる魔霊の最後の生き残りが、魔力を斬るのを、マウは見た。
(あるのか!? そんな魔力の捉え方が…)
あるのだ。
先刻、スケルトンは魔力を「扉」に例えた。
一方通行ではない…
マウの魔力は幻術を基にしている。
だから、もしもスケルトンが魔力を「斬れる」という意思に基づき行動し、それをマウが否定しきれなかったなら、マウの魔力は斬れる。
「影踏みの瑕」と原理は同じだ。
だが、それすら、マウは半信半疑だった。
無意識の領域を完全にコントロールできる生物など、本来存在しないからだ。
だが、これではっきりした。
自らの肉体を骨格や筋力ではなく、イメージで支える魔霊には、それが出来るのだ。
人間と同じように考えていては勝てない。
乱暴な言い方になるし、正確でもないだろうが、こう考えるべきだった。
魔霊は「女王の魔力」だ。
だから、魔力の存在を肯定する魔術師では、魔霊に決定的なダメージを与えられない。
魔術、という単語が頭の奥に浮かんだ。
使い魔は術者の分身だから、内心で遣り取りしていると、気付かない内に自分との対話になる。
魔術師が、自分たちの力を「魔力」と呼ぶのは、「力」と「術」を分離して考えなければならないからだ。
だが、「魔力」を制御する理屈を「魔術」とは呼ばない。
何故なら、「魔術」と呼ぶべきものが、他にあるからではないのか?
後戻りできない道を歩んでいるような感覚があった。
実際問題として、やたらと「よく見え」る。
魔力を断ち切ったスケルトンが、一拍遅れて殺到した黒騎士たちを剣一つでいなしているのも、片膝を付いた将軍が地面に手を当てていて太ももが、いや少し離れたところで何故か悔しそうな顔をしている姉姫のスカートが際どい角度を、
「くっ…!」
マウは、眉をしかめて片目をまぶたの上から押さえた。
彼は今更ながら気付いたのだ。
調子がいいどころの話ではない。
…絶好調だった。
「普段と変わりない様子」の魔眼が、自分の意思に反してぎょろぎょろと動く。
エメスはともかくとして、妹姫に反応を示したなら、これから先どうやって生きていけばいいのか分からなくなる気がした。
無言で見詰めてくる人面樹たちに責められているような気がして、訳もなく申し訳なくなる。
魔眼を仕舞えばいいと思い付いたのに、その思い付きの方を大切に仕舞い込んでしまったから、尚更だった。
だから、今は戦うべきだった。
将軍のことが心配だったから、影を踏めば彼女の傍らに立てる。
マウは、影踏みをほぼ完璧に制御できる。
戦っている女の子がいて、その近くに自分が居ないという選択肢は、マウにはない。
彼の参戦に、将軍は渋い顔をした。
傍目にも、マウの魔眼が気持ち悪いことになっていたからだ。
(歯車が回転し、滑車が上下するたびに)魔眼が血走り、瞳孔が収縮を繰り返している。
視線を忙しなく左右に往復しているのもマイナスポイントに挙げられるだろう。
「…お前、それ仕舞え」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
マウは一喝した。今の魔眼なら、スケルトンの動きを追えると思い付いたからだ。
将軍の隣にはエメスが控えており、その本性が巨大な泥人形だとしても、今は将軍の姿を模しているから、ひと粒で二度おいしかった。
意識せずとも、姉姫の隣にスライムが佇んでいるのが見えた。
厚い雲が頭上で渦を巻いている。
雨でも降ろうものなら、もう立ち上がれないかもしれないと、自分の中の冷静な部分が告げた。
白い衣装は水に濡れると透けるからだ。
マウは、鋭く舌打ちした。
「…時間との戦いになるな」
「…ん?」
意味が分からなかったので、将軍は首を傾げた。
マウは、スケルトンの動きをじっと観察している。
背後で、エメスが将軍と同じ仕草で首を傾げていた。
お前らは何が目的なんだと叫びたかった。
「突破されるのも時間の問題だろ。何か策でも?」
「ある」
将軍は断言した。
だが、マウは適当に誤魔化しただけなので、直前の自分の台詞さえ記憶からこぼれ落ちて、即答されても何のことか分からなかった。
「…え?」
「…ん?」
とっさに振り返ると、将軍とエメスが揃って同じタイミングで首を傾げた。
マウは、まぶたの上から片目を揉みほぐした。
「…いや、うん…続けて」
もう話を合わせるしかなかった。
なのに将軍は無情にも首を振る。
「説明している時間はない」
現実は非情で、常にマウを追い立てるかのようだった。
何が「ある」のだろうか…マウは模索しながら戦わねばならない。
《相談は済んだか?》
最後まで立っていた黒騎士を打ち倒したスケルトンが、調子を確かめるように虚空をひとなぎして、訊いてきた。
マウは、いつでも一人で戦ってきた。
弱みを見せたら負けだと自分に言い聞かせてきたから、こんなときでも強がる。
「随分と余裕だな。それ、あんたら魔霊の悪い癖だぜ?」
《ほざけ。ろくに魔力も使えないのだろう》
魔術師としてのマウに疑念を抱いているスケルトンは、解釈次第で核心を突くかもしれない言葉で探りを入れた。
だが、マウに自覚はないため、それは空振りに終わる。
「どうかな? もしかしたら、あんたはおれが魔力を使ったのを見たかもしれないな」
はったりだ。さすがに通用するとは思えないが、どちらにせよ言ってみて損はない。
思ったよりも消耗はしていないし、思考もクリアだが、他者に魔力で干渉できるほどの余力はなさそうだった。
体力の回復に要する時間は、その日の体調によって変わる。
感情が高ぶると疲労に対して鈍感になるから、はっきりしたところは分からなかった。
最大魔力の解放は三度が限度で、本当なら先程の魔力で昏倒していてもおかしくはないのだ。
術者であるマウは、アプリカの内部工作に違和感を覚えない。
内々で処理されるため、記憶は混同するし、あとは時間が解決してくれる。
埒が明かないと感じたスケルトンは、単刀直入に言う。
《魔力が変質したな。何をした?》
「あとで、こっそり教えてあげる」
他者に指摘されるとぼろが出るから、アプリカがせっせと記憶を抽送し、魔眼を強化したのだとマウに自覚させる。
もちろん、わざわざここで言う必要はなかった。
自覚が芽生えれば、制御も出来るようになる。
魔眼の活動を鎮めて、一部の駆動系は認識できないため、アプリカに託した。
この新技をスーパー魔眼とアプリカは名付けたようだった。
とても他人には聞かせられないネーミングセンスだった。
ちなみに、空間指定の物理干渉を、アプリカは「マジカルハンマー」と呼ぶ。どうしよう。
…いや、おかしいのは自分のセンスなのかもしれない。
使い魔を溺愛しているマウは、ときどき無謀な挑戦をして「今時」の調整を図るのだ。
「…まあ、スーパー魔眼ってとこだな」
「ねーよ」
エメスが即答してくれたので、自分は間違っていないと再認識できた。
何事も経験である。