第五十八話、異端
「作戦は、こうだ」
旅の同行にエメスを加えた一向は、城内に足を踏み入れる前にミーティングをしていた。
中庭に集まるよう告げたスケルトンの真意は、マウには分からなかったが、師が弟子に求めるものは一つしかなかったから、将軍が取るべき行動は決まっていた。
黒騎士という権能を(しかも自分から望んで)与えられておきながら、将軍は模擬戦等で師に勝てた試しがない。
黒騎士が弱い訳ではない。
将軍の指揮が拙いという訳でもない。
スケルトンの技量が、それらを凌駕しているのだ。
将軍は、スケルトンに戦術のイロハを叩き込まれ、如何なる戦況にも即応できるよう鍛え上げられている。
だから、トップクラスの魔霊であるエメスを共に加え、お伽話の住人であった魔術師が傘下に降った、この機を逃す道理はなかった。
両膝を揃えてしゃがみ込んだ将軍が、地面に描いた庭園の簡単な見取り図にぽんぽんと小石を配置していく。
…ついでに、さも真剣な面持ちで話を聞いているような風情でこちらの膝小僧を注視しているエロ魔術師に、如何に自分が優秀な指揮官であるかを知らしめるチャンスだった。
他者に厳しく自分に甘い将軍は、自己顕示欲の強い少女だ。
何だか、普段、微妙に上から目線というか、子供扱いされているような気がしているから尚更だった。
何者かに呼ばれて振り返り、虚空に向けて「なら、僕の傍に居ろ」と独りごちた哀れな男の袖を引っ張り、座らせる。
将軍は念押しした。
「いいか。まず、わたしとエメスで足止めをする」
言われて、マウは幾許か思案したものの、やがて頷いた。
「…そうだな。おれとエメス、あるいは君とじゃあ、連携は難しい」
マウは認めた。心情的には自分が足止めを買って出たいところだったが、あの老剣士は疾すぎる。
魔眼で追えないということは、意識の間隙を突かれているということだ。
どれほどの死線を潜れば、あの境地に達することができるのか、それすら想像の範疇を超えている。
小石の配置にさっと目を通し、微かに眉をしかめたマウに、将軍はこほんとひとつ咳払いした。
この手の話になると、マウは食い付きがいい。
趣味が合うのだとしたら、少し照れくさかった。
引っ張られて伸びた袖を腕まくりをするマウに、彼女は続ける。
「それ、癖か? 見苦しいからやめろ。…で、続ける。師匠は、たぶん奇襲してくる。正面からかどうかは分からない。だから…」
将軍は、マウの癖をあまり好ましく思っていない。
身の丈に合う、という言葉があるように、装具には気を遣うべきだと考えているからだ。
言われて初めて気付いたというように、マウの視線が宙を泳ぎ、行き場をなくした手が空を掻いた。
そして結局、腕まくりした。
将軍はかちんと来た。
「馬鹿にしてるのか? やめろと言ったぞ」
「いきなり言われても、すぐには治せないよ。据わりが悪くて」
「ぶかぶかの服を着てるからだ。お前、わたしと大して背が違わないだろ」
「これから伸びるよ。まだ十五なんだ」
マウは、さり気なくサバを読んだ。
将軍の年齢を聞き知っていたから、年下だとバレたら何を言われるか分からないと思ったのだ。
こういう下らない嘘を、マウはよく吐く。
しかし将軍は、彼の年齢に頓着しなかった。
育った環境が違うのだ。当然、価値観も異なる。
「いいや、伸びない。お前は、ちびのままだ。そういう顔をしてる」
「顔!?」
容貌と身長の関連性について、彼女は一家言を持っているらしかった。
マウはショックを受けた。
のちに成人男性の平均程度までは成長するのだが、この遣り取りがなければ、平均を多少は上回ったかもしれない。
「……」
傍らで二人の問答を眺めていたエメスの視線が痛かったから、将軍は慌てて居住まいを正した。
「と、とにかく…奇襲に対応できるよう、エメスはわたしのカバーに回ってもらう。師匠は、気配を読むことに長けているから、蛇の陣で行くぞ」
「何だそれ」
尋ねたのは、マウではなくエメスだった。
将軍は、その場の気分で気に入った戦術に命名しておきながら、あとで勝手に名称を変更するから、本人にしか分からないのだ。
何となくニュアンスは伝わるものの、念のためにエメスは尋ねた。
将軍は、傷付いたような表情をした。
「…知らないのか?」
「…いや、分かるけど。あたしが、あんたに引っ付くやつでしょ。変装までしたのに、雨が降ってきて、はわわってなったやつ」
「…うむ。綿密な調査と情報操作が、通り雨ひとつでおじゃんだ。あれは…そう、はわわだったな…」
はわわだったらしい。
マウは、上空を覆いつつある分厚い雲を眺めた。
同じ惨劇が繰り返されなければいいが。
それだけが気掛かりだった。
「…二人が足止めしてる間に、おれは遠距離から狙撃すればいいのか?」
将軍は何故か得意げだった。
「そう。そこが肝だ。師匠の剣技は桁が違う。だが、やはり剣士だ。剣士が嫌がることは、師匠にとっても厄介なんだ。
当たり前のことだから、まったくの不意打ちにはならないだろうが、基本は押さえておきたい」
将軍の戦術は、基本に忠実だ。
人間で言うところの、歴史に名を残すタイプの軍師ではない。
だが、魔霊という、人間よりも強大な兵士を運用する上では、複雑にして緻密な奸計よりも、余計な支枝を削ぎ落とした策謀が有効なのかもしれなかった。
「期待しているぞ、じゅちゅし」
そう言って、将軍は締め括った。
最後に「術士」と言おうとして噛んだが、辛うじて言い切ったから、体裁は保てた筈だと信じたかった。
マウは気付いていないようなので、ほっとした。
だが、もちろんマウは気付いていたし、名前で呼ぶのに抵抗があるのなら、何故「魔術師」ではいけないのかと、わざわざ言いにくい呼び名を使わなくてもいいのにと思ったものの、口には出さずに頷いた。
代わりに、指を三本立てて突き出した。
「…?」
それが何を意味するのか分からなかったから、将軍はとりあえずマウの中指を指先でつまんだ。
「…いや、そうじゃなくて…」
マウは言い淀んだが、今回に関して言えば察しろという方が無理だ。彼は反省した。
長年の習性で、マウは女の子に対して甘い面がある。悪い言い方をすれば、子供扱いをしてしまうきらいがあった。
その彼が、将軍に対して謎掛けのような、はっきりしない態度をとった。
心の中でアプリカが、「彼女を信頼するな」と主張していたからだ。
マウは、魔術師の社会において異端の存在だった。
魔力の優劣を絶対的な価値観とする魔術師たちに対して懐疑的だったし、使い魔を道具としてしか扱わない者には嫌悪感すら抱いていた。
自分を正当化することに慣れきった魔術師は、己の非を決して認めようとはしないから、マウが自分を曲げない限りは必然的に衝突が起こる。
その頃、マウは進学クラスに在籍していた。
進学クラスと言うだけあり、クラスメイトたちは高等魔術師の卵ばかりだ。
彼女たちは将来を約束された人間だったから、マウを変なやつだとは認めても、彼と決定的な対立を迎えることはなかった。
だからマウは、同年代の魔術師と戦っても負けたことがない。
彼の使い魔が、やはり飛び抜けた存在だったからだ。
近距離戦では誰も敵わないとすら噂されていたから、彼を利用しようとする者も居た。
そのたびにアプリカは、主人に信じるなと警告した。
言ってみればエリートの一員で、しかも使い魔の助けなしでは平凡な素質しか持たないマウを妬む者は多い。
望んで苦境に立とうとする人間は少ない。
アプリカの言うことは、いつだって正しかった。
それなのにマウは、アプリカの提言を無視し続けた。
魔力の優劣に拘ることは虚しいことだと、支え合って生きることは恥ではないと叫び続けていた、当の本人だったからだ。
今、このときもそうだ。
将軍の指先の体温に絆されて、というのはアプリカの推測だが、マウは密かに打ち明けた。
「三度だ」
「…?」
マウの指をつまんだまま、将軍は首を傾げた。
それに合わせて、幼女のような癖っ毛を残す金髪が、肩を滑ってさらりと揺れた。
マウは頷いた。何に対して納得したのか、はたまた同意したのかは彼自身にしか分からないだろう。
しかし使い魔は術者の分身だから、きっとアプリカには筒抜けだった。
確固とした信念を持ち、人間の外面よりも内面を重視している筈の主人は、それなのに異性に甘いし、女の子のちょっとした仕草を見て癒されるのだ。
「使い魔は、術者の魔力を限界まで解放する」
マウは繰り返した。
「限界までだ。
だから、使い魔を発現したばかりの…訓練を十分に積んでいない魔術師は、最大威力の魔力を一度しか撃てない」
逆に言えば、一定以上の訓練を積んだ魔術師なら、自分自身で制御できる魔力の割合が増えるため、二度は撃てる。
「魔力は体力を食う。短期間で、魔術師が連発できる最大魔力は二度が限度なんだ」
マウにしても、条件は同じ筈だった。
どれだけ魔力を精密にコントロールできても、人間が不随意筋を自分の意思で止めることができないように、制御し得る総量には限界がある。
だが、何事にも例外はある。
マウだ。
「何故なのか? おれにも分からない。おれより優秀な魔術師は幾らでもいる。
でも、おれだけなんだよな、
…三度撃てるの」




