第五十七話、枝葉
帝国王城の中央庭園は、魔霊たちの憩いの場として人気を集めるスポットだ。
日中なら、庭師(黒い)と木々(人面)の熱い戦いが観戦できるだけでなく、つい先日、実在を確認された魔術師が暇そうにしているのを目にする機会も多い。
今日に限って言えば、噴水の縁に腰掛けて足をぶらぶらしている美姫らを幸運にも鑑賞できるだろう。
その傍らで、風景に溶け込むように佇んでいる骸骨剣士が、将軍の師だ。
「しっしょ~!」
ぶんぶんと手を振って駆け寄ってくる直弟子に、スケルトンは内心で目を細めた。
姫姉妹を教え子に持つスケルトンだが、その半生を剣に捧げた彼の技を正しく継ぐ者がいるとすれば、それは将軍に他ならなかった。
目指す目的が勝利なら、手段は剣でなくともいい。
部隊の運用、戦場の機微を徹底的に叩き込んだ自慢の弟子だ。
その彼女に刃を向けねばならないのは、哀しいことだ。
すっと片腕を上げて、ぴたりと剣尖を伸ばした老師に、将軍は駆け寄る足を止めた。
「師匠?」
時代の変節を感じていたから、スケルトンはそう遠くない未来で、自分が朽ち果てるだろうことを意識している。
伝えるべきことを、伝えるべきものに伝えておきたかった。
彼の上半身が、ぐらりとよろめいて見えた次の瞬間、スケルトンの剣先が将軍の細い首にぴたりと添えられていた。
彼女を呼びに行った筈のマウがこの場に居なかったから、将軍の無知を装う態度が演技であることは分かっていた。
だから、「将軍」の口角が無機質に吊り上がり、三日月に歪んでも、スケルトンは驚かなかった。
「こんにちは」
眼前でさらさらと風化した少女の正体は、将軍に化けたエメスだった。
では本当の将軍はどこにいる?
いや、そうではない。
エメスと分離した細い腕が、まっすぐ伸びていた。
日の光に対して垂直に腕を伸ばせば、腕の内側は陰になる。
将軍の身体から剥離した「影」は、彼女自身がそう在りたいと願うように、騎士の形質を獲得してスケルトンを取り囲んだ。
魔霊は「本質」に縛られるのが普通だ。
如何に変身能力を有していようとも、「心」の具現たる彼らは「自分」からかけ離れた姿にはなれない。
だが、ごく一部の魔霊は、自らの権能を発展させていく過程で、そうした制限を超えていく。
ひとつ例を挙げるなら、「人間に化ける」という現象を分解し、部位ごとに変身したり、更に細かく、指を長くしたりと試みているうちに、やがて「人間」という枠組みから外れていく…
権能の「発展」と呼ばれる現象が、これだ。
完成した権能は、その属性において、およそ人間が想像しうる範疇、全てを再現できると考えていい。
例えば、自身を薄皮一枚とし、将軍をコーティングすることだって出来る。
それがエメスという魔霊だ。
「……」
その彼女が、今、羞恥に悶えて地に伏した。
帝国軍が誇る元帥は、戦闘時と平常時のギャップが激しい少女だ。
戦場では「貴様に明日はない」とか言っていた口で、次の日には「今日はピクニックだぴょん☆」とか平気で言ったりする。
その場で突っ伏してひたすら地面に視線を固定しているエメスの苦悩を、将軍が察することはない。
「エメス!?」
「…どうしてこうなった…」
「立て! 来るぞ」
木漏れ日が枝葉の影を落とすように、黒騎士の召喚は瞬く間に成立する。
「光の速さ」という概念が、この時代には無いから、将軍は「影姫」と呼ばれている。
この世の生物が光を情報の媒体として選び、進化した以上、それを上回るものが、たとえ実在したとしてもだ、認識はできない。
それは、人間の心を加工されて生まれた魔霊とて例外ではない。
如何にスケルトンが技を極めようとも、将軍の召喚速度を超えるスピードで剣を振り回すことはできない。
だからこの怖るべき剣士は、召喚主たる将軍の意識の間隙を縫って反撃するのだ。
わずかひと振りで、召喚された黒騎士たちの手元から剣が弾き飛ばされる。
技術というものに限界はないかのようだった。
独特の歩法に翻弄されて、黒騎士たちの剣は空を切る。
まるで魔法のようだ。
将軍の隣で、立ち直ったエメスが歯噛みした。
(あたしを頼れよ、将軍。剣聖が何だってんだ…あたしなら勝てる。利用できるものは何でも利用する。そうだろ。あんたはそれでいい…)
人間は弱い。ちょっとした怪我で死ぬし、そうでなくとも百年も経てば寿命だ。
だからエメスは、将軍を見ていると心配でそわそわする。
無意識のうちに、一歩踏み出したのはそのためだ。
それを、将軍が見咎めた。
「エメス」
エメスではスケルトンには勝てない。
将軍はそう考えている。
負けるとは言わないが、エメスの攻撃が、あの骸骨剣士を捉えることはないだろう。
だから、将軍はエメスを自分の傍らに配置しておきたかった。
彼女の変身能力は、強力な武器であるが、それだけではなく、むしろ強力な武器「にもなる」点を、将軍は高く評価している。
おそらく最上位の権能であるとさえ。
元帥の声に、エメスは渋々と引き下がる。
それでも自分は負けないと思っていたから、鬱憤を晴らす相手が必要だった。
「魔術師! 何やってんだ、さっさと撃て! あたしが仕留める」
わざわざバラしてどうする、と思ったマウは、距離を隔てた庭園の片隅で、樹上に隠れ潜んでいた。
将軍の指示だ。
近距離戦ではスケルトンには勝てない。
勝機があるとすれば、遠距離からの狙撃しかない。
枝と枝に足を掛けて器用に立ち、庭園の中央付近に刀印を向けているマウを、人面樹たちが興味深そうに見ていた。
肩には、発現したアプリカが既にとまっている。
マウが、同世代の魔術師と戦ってきて今日まで無敗でいられたのは、幾つかの切り札を隠し持っているからだ。
使い魔の無音発現は、そのひとつだった。
身内に甘い彼だから、一度心を許した相手には、自分にとっての生命線であるそれらを躊躇いなく晒してしまう。
何度か騙されて痛い目に遭っているのに、それでも人と人は手を取り合えると心のどこかで信じているからだ。
だが、アプリカの考えは異なっていた。
術者の分身である筈の使い魔が優先するのは、主人の身の安全だ。
まったく無関係な戦いで手の内を晒してどうするのか。
だからアプリカは、使い魔なしでも遠距離狙撃できるよう、マウの魔眼を「改造」した。
より早く、より遠く。
「魔法」という、ひとつの究極に到達したアプリカには、それが可能だった。
より広く、より深く。
マウの魔眼が、彼自身にさえ理解できない理屈で拡張した。
剥き出しの眼球を、その隣に新しく浮かび上がった歯車と滑車が連動し、マウの視界を深く鋭く押し広げた。
魔眼のカスタマイズは、高等魔術師にとってさして驚くべきことではない。
「定跡」と呼ばれる魔力の多くは、極めれば大きな役割を果たすからだ。
自らの魔眼に起こった変化に、マウは気が付かなかった。
ただ、いつもより遠隔視が鮮明で、スケルトンの動きが手に取るように分かった。
まるで、実際にあの場にいるかのようだった。
調子がいいと思った。
彼は、エメスの求めに応じるように魔力の引き金を絞った。