第五十話、スケルトンの分かりやすい魔力講座
魔力を使うという行為は、扉を開くことと似ていると、老教師は言った。
「魔術師」とは、その扉を開くことのできる人間だ。
つまり、魔術師でなくとも、扉さえ開いていれば潜ることはできる。
その現象を、気が遠くなるほどの歳月を戦場で過ごした騎士は「影踏みの瑕」と書き記した。
姫姉妹には彼の声が届かないから、ひょっとしたら自分にとって致命的かもしれないことを、マウ本人の口から伝える羽目になる。
しかし妹姫が興味を示したのは、まったく別のことだった。
「…先生、自分のこと儂なんて言うんだ…」
筆記では、いつも『私』と書いているのだ。
恥じらう歳でもない、スケルトンは、しかし気まずそうに講義を続ける。
《…お前は以前に他人を連れて影を踏んだだろう? だから、当然…知っているものとばかり思っていた》
一人称を避けて話しているのが分かるから、マウも微妙に気まずくなる。
「その…瑕ってやつ? 僕…おれは魔術師の学校で魔力の使い方を習ったけど聞いたことないにょねマウです」
引きずられてマウの一人称もぶれてしまい、早口で誤魔化そうとしたから、挙句に語尾まで怪しくなって、最後に自己紹介を付け加える始末だった。
姉姫が顔を背けて必死に笑いをこらえているのが見えたから、二人の間の空気がますます微妙になる。
《他者を同伴する影踏みは、その者の同意を得られる状況が必要だ。…分かるか? 私を攻撃したことで、お前は逃げ道を失ったのだ》
「…ごめん、全然分からない」
一人称を変えたことに気付いたら負けだと分かっていたのに、気持ちとは裏腹に研ぎ澄まされた五感が鈍感になることを許してくれない。
スケルトンは、根気強く説明する。
《お前に反撃を許す状況を、先に私が作ったということだ。無意識にしろ、お前がその状況を受け入れ攻勢に回った時点で、私がお前の魔力に干渉した》
つまり、攻性の魔力を放ったことでマウの「現在」が確定し、それにより影踏みの下地が崩れたということだ。
だが、本人の意向を無視して進学クラスに放り込まれたマウは、授業について行けずに落ち零れたのだ。
スケルトンの語る難解な理屈を聞いてすぐ理解できるようなら、今頃マウは魔術師の里で高校受験に向けて勤しんでいる筈だった。
「な、なんとなく分かるような…?」
何故? どうして? と問うたびに、この少年の魔術師としての歪さが浮き彫りになるかのようだったから、スケルトンの口調からも自信が失われていく。
《そもそも、あの場面で空間指定の魔力を使ったのは何故だ? 対象指定だったなら、最低でも私を足止めできた筈だぞ》
マウは、答えられなかった。同様に考え彼が編み上げた呪縛の術を、補強し上書きしたのはアプリカだったからだ。
空間指定の物理干渉など、マウには逆立ちしてもできない。
つまり、アプリカが紡ぎ出す理論の多くは、マウの理解を越えているのだ。
そして、そのことを、マウは誰にも打ち明けるつもりはない。
魔術師なら誰しもが欲しがる情報だと分かっているからだ。
家族を守りたいという強い欲求が、マウにはあった。
魔術師をよく知る老騎士だからこそ、使い魔が術を書き換えたのだとは決して思い付かない。
《…これは言うまでもないかもしれんが、剣士である私が対等の条件で魔術師に勝とうとするなら、影踏みの瑕を突くしかない。お前が圧倒されたと思うなら、それは私の思惑に嵌ったということだ》
お前もそうしろと言外に語り、老教師は筆を置いた。
もしも高等魔術師が帝国を襲撃したなら、現時点のマウでは太刀打ちできないと思ったからだ。
彼が魔術師の里を出奔したのは個人的な事情だろうと察していたものの、歴史の奔流は私情を容易く呑み込み押し流してしまう。
時代が動いたのだと、老騎士は感じていた。