第五話、第二王女
王城で寝泊まりしている者の中で、厳密に食事を必要とするのは、将軍と魔術師の二人だけだ。
黒騎士に至っては睡眠すら不要だし(ただし彼らは休暇を寝て過ごすことが多い)、特殊体質の王族はこの世から戦争がなくならない限りは、まず飢えることがない。
ましてや現在は戦乱の世…
畢竟、つい先日まで食堂の利用者は将軍のみであり、あとはごく稀に他国の大使がやって来て最後の晩餐をささやかに楽しむ程度であった。
そこに新たに女王直属の魔術師が加わるようになったのは、割と最近の出来事である。
帝都で暮らす変わり種の人間二人。
彼らの食事を作るのは、城内の雑務がほとんど全てそうであるように、黒騎士の仕事だ。
手入れの行き届いた厨房で、リズミカルに包丁を動かしていた黒騎士の手が、ふと止まる。
麗しい少女たちが囲っている食卓は賑やかで、そこだけがまるで別世界のような華やかさだ。
小鳥がさえずるような、と形容するにはいささか姦しい食事風景を眺める黒騎士。
黒光りする鉄兜の奥で瞬く双眸が、一際鈍く輝いた…
これがのちに、とある少年を嬉し恥ずかしい悲劇へと誘うことになろうとは、このときはまだ誰も知る由がなかったのである…
それはもちろん、君主と仰ぐ女帝の長子にボディブローを叩き込んだ将軍とて例外ではない。
「ぐふぅっ」
身体をくの字に曲げた姉姫が、その場に崩れ落ちる。
帝国の正当たる継承者をノックアウトした将軍は、耳まで真っ赤にして息を荒げている。
「こ、このセクハラ王女は~…」
何かと過剰なスキンシップを図ってくる姉姫は、将軍の幼馴染みである。
年齢が近く、また同性であることを理由に、折りを見ては将軍の発育具合を確かめようとしてくるのだ。
同年代の少女と比べて、やや細身なことを自覚している将軍は、その度に実力を以って姉姫を諌めるのであった。
善き臣下とは、主を立てるばかりではない。時として過ちを正し導くものだ。
だが、主従揃っておかしい場合はどうすればいいのか。
呆れて眺めるより他あるまい。
結局この美しい幼馴染みに甘い将軍が、いつまでも死んだふりを続ける姉姫の頭を撫でていると、不意に第三者の視線を感じた。
「…何してんの、女同士で気持ち悪い」
冷たい光をたたえる翠玉の双眸が、姉姫と将軍を冷酷に見下ろしていた。
まだ幼い、十にも満たないであろう童女である。
戦場に身を置く者としては異例な程、将軍は周囲の気配に鈍感だ。
それはひとえに、あらゆる困難から彼女を守護してきた黒騎士たちの優秀さを物語っている。
しかしそれを差し引いても、この幼い姫君の隠行は、
(只事ではない…)
となる。
言葉も忘れて見入る将軍に、件の童女は一層呆れて嘆息する。
「そういうのいいから。あなた将軍でしょ。そういう仕事じゃないのに、何で年々芸達者になってくの…」
どこで育て方を間違えたかしら…と呟く彼女は、当然ながら将軍より年下である。
血を連想させる色鮮やかな真紅のドレスが、とてもよく似合っている。
気を取り直した将軍が、先の遣り取りをなかったことにして臣下の礼を取る。
「これは姫様、本日もご壮健で何より」
片膝を折って跪く将軍の立ち居振る舞いは、帝国軍将に相応しいものをとあつらえた竜皮の黒鎧にも決して見劣りしないだけの覇気が見て取れる。
「…本当にあなた、はったりに命懸けてるわね」
いっそ清々しいまでに己の職務に忠実で、それ以外はてんで駄目な将軍を、帝国の重鎮たちは殊更に気に入っている。
こんな将軍、他にはいない。
いたら、普通はクビになるからだ。
妹姫とて、そんな将軍が嫌いではない。
大人びた苦笑を漏らす第二王女に、将軍は無念を禁じ得ない。
「殿下も昔は、姫様のように可愛らしかったのに…」
「その言い方だと、まるで今のわたしが可愛くないと言っているように聞こえるから不思議だ」
復活した姉姫が、自分は庶民派なのだと主張した。