第四十八話、剣と魔力
死が不可避のものだから、人は何かを遺そうとする。
後世に何かを伝えようとするのは、限りある生命の、死に対する抵抗だ。
スケルトンという魔霊は、スライムやエメスとはタイプが違う。
ほんの些細なミスで、あっさりと滅びてしまう。
だから、伝えるべきことを、伝えられる内に、伝えておきたいのだ。
スケルトンの足取りは緩やかなものだった。
踵骨が床を擦る度に、襤褸の中でカシャカシャと音が鳴る。
《まずは機先を封じる》
魔霊の《声》を、魔術師だけは聞き取れる。
より正確に言うなら、彼らの意思を言語に変換して再生できる。
だから、マウは怯えた。
マウは、この骸骨剣士に完全敗北を喫したことがある。
エメスや黒騎士とは状況が違う、負けてはならない戦いでだ。
人間と同程度の身体能力で、練り上げられた技巧に敬意を抱いてしまったから、おそらく一生勝てない。
知らず知らずの内に後ずさり、マウを盾にこそこそと隠れていた姉姫と軽く接触した。
「ふぎゃっ」と小さな悲鳴がすぐ後ろから聞こえたから、もう肚を決める頃合いだった。
ぐっと眉間に皺を寄せて前へ一歩踏み出した少年に、老騎士が呵呵と下顎を打ち鳴らした。
《そうだ。いいぞ…お前には戦士の素質がある》
それが何より重要なことであるように言われて、マウは反論せずにはいられなかったのだ。
「そんなものなくたって、人は笑えるだろ。悲しいときは泣くんだよ」
魔霊の声が届くのは魔術師だけだから、突拍子もないことを言い出したマウに、このとき初めて二人が「会話」していることに姉姫が気付いた。
ひょいと肩越しに顔を覗かせると、口うるさい教師が無駄のない足運びでこちらへと歩いてくるのが見えた。
椅子に腰掛けている小っこいのに目で問うと、ふいとそっぽを向かれた。
あとで泣かそうと心に決めた。
今はマウだ。
「何だ、どした?」
「あんたほどの魔霊が、どうして!」
「…おおう」
その温度差に、姉姫はうめいた。
彼女は悩んだが、置いてきぼりは寂しいので、とりあえず参加してみることにした。
「や、やめろ〜!」
マウを押しのけて前に出ると、彼を庇うように両腕を広げて立ち塞がったのだ。
教え子に対してすらも、老騎士の動きに迷いはない。
襤褸の裾を跳ね上げて剣帯に手骨を差し込んだスケルトンが、振りかぶった得物を容赦なく姉姫に叩き付けた。
快音が鳴り響いた。…ハリセンだった。
馬鹿弟子の二人が、これで叩かれると大人しくなるので、常備しているのだ。
イイ顔で前のめりに倒れ込む姉姫。
「無茶しやがって…!」
その背後から飛び出したマウが、刀印を正面に突き出す。
自らの肉体を完璧に制御できる彼の瞬発力は、ほとんど人類の限界値に近い。
自分より遅い筈のスケルトンを、それなのに見失うのは何故なのかが、マウには理解できない。
ぴたりと側面に付いたスケルトンは、そのとき既に抜剣していた。
回避する暇などあろう筈もない。
だが、逆袈裟に跳ね上がった剣先が、迂闊にも踏み込んだマウを捉えても、そうでないマウなら掠りもしない。
影を踏んでスケルトンの背後に現れたマウが、至近距離から襤褸の背中に刀印を突き付ける。
しかしそれよりも早く、びんっと剣の柄を手骨で器用に弾き飛ばしたスケルトンが、その場で急激に旋回し、空中で半回転した剣を逆手に掴み取って、マウの喉元に突き付けていた。
「何ソレ!?」
魔眼の反応が、まるで追い付かない。
マウの悲鳴に、倒れ掛かっていた姉姫が踏ん張りを見せた。
片腕を振り上げて、スケルトンを背後から強襲する。
「死ねぇ〜!」
本気すぎて怖い。
この機会に恩師を亡き者にしようというのか、どす黒いオーラが目に見えるようだった。
…いや、実際に見えていた。
姉姫の腕を、黒いもやのようなものが覆っていた。
王族は人間とそう変わりない、非力な存在だが、魔霊を生み出し支配する「力」を持っている。
姉姫の腕を覆った鉤爪状の「闇」は、魔霊の原型だ。
しかしそれすら、彼女を教え導いた先生には通用しない。
マウの首にぴたりと剣を添えたまま、彼はくるりと反転し、残る片腕で力一杯ハリセンを振り下ろした。
「ご…ごっつぁんです」
頭頂部から突き抜けた衝撃に、姉姫がもんどり打って倒れる。
「姉姫! くそっ…だったら!」
スケルトンが転進して駆け出したとき、マウは再び影を踏んで、今度は円卓の上に片膝を付いた姿勢で出現した。
ショートレンジの差し合いでは勝負にならない。
距離を置くなら、印象に残った円卓の付近が最適で、けれど幼い妹姫の背に隠れるほど恥知らずにはなれなかった。
その思考を、完全にトレースされていた。
先読みしてこちらへ直進してくるスケルトンに面食らうマウだが、さすがにこの距離だ。先手を取れる。
刀印を横なぎに振るったマウが、使い魔を発現した。
「アプリカ!」
マウの魔力は、対象の内面に働きかける幻術の特性を強く帯びている。
発動したなら、避ける術はない。
襲い掛かる横殴りの衝撃波を、スケルトンはひらりと跳躍して回避した。
「避けっ…ええ!?」
行き場を失った衝撃波が、轟音を立てて本棚を直撃した。
「おしおきね」
惨劇を目の当たりにした妹姫が、ぽつりと呟いた。
一生懸命がんばれば、いつか報われるとマウは信じている。