第四十六話、使い魔の半分は思いやりで出来ている
好きにすればいいと思った。
それを口に出して言わなかったのは、学生時代に培った勘が警鐘を鳴らしていたからだ。
将軍は、いつも腰に提げている剣を新しいものと変えたいらしい。
それを、何故わざわざ門外漢の自分に告げたのかが気掛かりだった。
だが、疑念を抱いていることを知られる訳には行かなかった。
マウも最近になって分かってきたのだ。
同じ人間だからこそ、自分と彼女の仲は際限なくこじれる。
帝国でたった二人きりの人間が脇目も振らず仲良くしていたら、魔霊たちの目にはどう映るか。
かつて将軍が悩み、そして彼女なりの答えを出した問いに、今度はマウが試される番だった。
しかし将軍と違って、目下の存在であるマウが悩む時間を、魔霊たちは与えてくれない。
マウは、将軍から手渡された『世界の名剣全集』をひっくり返して、背表紙を見詰める。
「でもこれ、物語に出てくる魔剣とか聖剣の逸話を集めたものだろ。実在しなくね?」
「何を言う」
将軍は強気だった。
「一ページ目を見てみろ」
言われて、開いてみる。目次などという気の利いたものはなかった。
代わりにあったのが、怪談集と見紛うような挿絵と、その説明文と思しき行書体だった。
「…おお」
マウは絶句した。
襤褸を纏った骸骨剣士が、岩山に突き刺さった剣を抜き放った場面が、流麗に描かれていた。
一人の人間が一つの技術に生涯を費やしたなら、それはもう努力や才能という領域すら超える。
不老長寿の魔霊が、永い年月を極限の修練に当てたなら、「技」というものの最果てに手が届くかもしれなかった。
剣士であれば、誰もが一度はと願う存在。
それが「剣聖」…生き残った最後のスケルトンである。
将軍は、その弟子だ。
「だからって君…前例があるからって…まさかおれに探して持って来いって言うんじゃないだろうな?」
雲を掴むような話だった。
将軍は…他に頼れる者が居ないとでも言うように眉尻を下げて、可愛らしくおねだりした。
「…だめ?」
「ばか、やるよ。こんなん、そこら辺を歩けば転がってるよ」
だから時間をくれと。マウは言った。
昨日の話だ。
「…どうしよう、姉姫…」
あらかた事情を話し終えた頃、マウは両手で顔を覆っていた。
話を聞いていた姉姫も同様だった。聞くに耐えないといった様子である。
しかし彼女の場合は、理由が違った。
姉姫は思い出したのだ。
…そういえば、彼の前で明言したことはなかった。
いや、あるにはあるのだが、そのときマウは交信中で話を聞いていなかった。
姉姫は、新品同然のテーブルに突っ伏した。まだ色濃い木々の新鮮な香りがした。
「やっべ…」
「…そうだよね、ないよね…」
「そうじゃなくて…」
「?」と怪訝な顔をするマウに、姉姫は慎重に切り出した。
「マウはさ…魔剣が見付かればそれで解決だと思ってるよね?」
「あるの!?」
「いや、ないけど」
腰を浮かせるマウに、姉姫はぴしゃりと言う。
そんなものはない。
金属で作られている以上、折れない剣はないし、使い続けていれば必ず歪み、曲がる。
この文献に拠れば、魔霊の牙を研ぎ鍛えた剣をどこぞの王家が国宝として祀っているらしいが、魔霊の部位に権能が宿ることはないし、あったとしてもそれは魔霊が進んでそうする以外に可能性はない。
「ないけど…」
姉姫は、それ以上を口にすることが出来なかった。
将軍は、姉姫にとって大切な幼馴染みだ。
ひめさま、ひめさまと追い駆けてくる人間の女の子を煩わしく感じた時期もあったが、過去の話である。
今では立場が逆転し、たまにうざったそうな目で見られる。
マウはどうだろうか。彼は、自分のことをどう…
そこまで考えて、姉姫は目線を伏せた。
王族は人間たちの絶望を糧に生きている。
友達になれる筈もない。
それなのに、彼は…平気で自分の手を取り、言うのだ。
「頼むよ! 友達だろ?」
マウは、この国にやって来て最初に優しくしてくれた姉姫に多大なる信頼を寄せている。
姉姫がマウに接触したのは、彼が魔力という異能を持った人間で、幼馴染みと妹に危害を加えるのではないかと疑ったからだ。
そのことを、姉姫はマウに打ち明けている。
何故なら、彼となら友達になれるかもしれないと心のどこかで期待してしまったからだ。それを自覚してしまったからだ。
打算で近付いたと知っても、彼はまったく気にしなかった。
マウの経験則によれば、最初から友情を求めて近付いてくる輩は、土壇場で「ふははは! まんまと騙されたな!」とか言い出すからだ。
友情は生まれるものではなく育むものだと学んでいたからだ。
だから、このとき、姉姫も同じことを学んだのだ。
「友情…!」
胸を打たれた姉姫が、マウの手を握り返す。
「ではヒントを一つッ…!」
「よし来た!」
椅子を蹴って立ち上がった姉姫が、細い腰に手を当てて、ぴんと人差し指を立てた。
裾が短いドレスから覗く、すらりとした脚線に目が行ってしまうのは、一概にマウの責任とも言い切れない。溌剌とした愛らしさが、この姫君にはあった。
彼女は、小刻みに身体を左右に揺すりながら言う。その度にドレスの裾がひらひらと舞い、マウの視線を誘うのだ。
「ヒント! ちゃらっ♪ 一ページ目!」
この城で暮らしていると、いつか女性の脚に偏愛を抱くようになりそうで怖かった。
姉姫は、太ももの半ばまでしか隠せないワンピースと、膝上まですっぽり覆う長さの靴下を好んで着用する。
ドレスの裾と靴下の境界線をどこまでも追及するのが、マウに課された宿命であるかのようだった。
「…難しいな…」
「え!? そ、そう?」
真剣な面持ちで沈思するマウに、ほとんど答えを言ったつもりの姉姫は戸惑いを隠せない。
もしも運命というものがこの世にあるのなら、真実と戦ってきたマウに微笑むのは、きっと悪夢のような現実だった。
彼の魔眼に映るのは、肉体を持たない意思たちが笑いさざめく光景だ。
目を凝らしても実体を捉えられない影に、ぽんと肩を叩かれた気がした。
「…ああ、分かってるよ」
その声が明らかに自分以外に向けられたものだったから、姉姫はとっさに周囲を見渡し、止まり木の上でじっとしているアプリカに気が付いてぎょっとした。
「い、いつからそこに…」
「意識を向けなければ見えていても認識できない」
出し抜けに、マウが言った。
彼は、いつしか瞑目していた。安堵したように微笑み、
「思いやりと同じだね…」
「しっかりしろ!?」