第四十四話、プロローグ
理屈を説いて戦い始めるのに、途中で感情という壁にぶつかって、終いには理想を追い駆けるから駄目なのだ。
言っていることは正しいし、共感できる部分だってまったくない訳じゃないのに、自分では一貫しているつもりでも周りからすると目的がころころと変わっているように見えるから、誰もついて行けないのだ。
事あるごとに魔術師の在り方に疑問を投げ掛けるマウだったが、常に人生のクライマックスを迎えているような彼を正しいと認めれば、待ち受けているのは、きっと取り返しのつかない泥沼に違いなかった。
日に日に成長するサボテンは、その象徴であるかのようだ。
魔力により成長を促され、己が何者であるかさえ忘れた観葉植物は、この日の朝、ついに食虫能力をも獲得した。
鋭いニードルで覆われた蔓が、他でもない自分を付け狙っているようで、アプリカは落ち着かない。
小鳥ほどもあるキリギリスという視覚情報を内包した使い魔。特技はバイオリン。
それが彼だ。
使い魔というのは、簡単に言えば魔力の一種であり、魔力を自動制御するために仮想人格を付与された存在である。
魔力を二重起動しているようなものなので、当然ながら術者への負担は通常の比ではない。
魔力の制御は修練で磨くことができるから、使い魔に頼るのは本来なら不名誉なことだ。
だが、古代の魔法使いたちが魔術師と名を変え、暮らしが安定するにつれて、魔術師が自らの魔力を自慢できる相手は同じ魔術師に限定されていったから、いつしか彼らは持久力よりも瞬発力、発想の奇抜さや柔軟性をより高く評価する傾向を強めていった。
事実、それらは才能と呼ばれるもので、後天的な努力では到達できない分野に属する。
人間は五感の内で視覚を重用する生き物だから、目に見えない努力よりも、はっきりとした才能を好む。
アプリカの主人は一言で言えば努力の人だ。
マウとかユーティとか呼ばれる彼が、自身の使い魔であるアプリカと比して平凡などと評されるのは、ひとえに生まれた時代を間違えたとしか言いようがない。
運も実力の内と言うなら、それもまた主人に課せられた宿命なのか。
止まり木で翅を休めているアプリカは、幸せそうに布団の中で眠っている主人を見るにつけて、不憫に思う。
己の使い魔に同情されているという事実が、またより一層に涙を誘うのだ。
アプリカの一日は、不正な手段で進化したサボテン(他称)の世話から始まる。
元々はエメスとかいう変な生き物(魔霊とか呼ばれている)に依頼されて種から育てたものだが、当の彼女がサボテンを永久機関か何かと勘違いしていたため、そのまま主人が引き取って育てることになった。
いささか歪な進化を遂げたサボテンは、植物にあるまじき自由意思を備えつつあったので、見捨てられなかったのだ。
情に脆いというのは彼の美徳であると同時に、最大の弱点でもある。
使い魔としてオーバースペックなアプリカは、主人の意思とは無関係に発現し、あまつさえ無断で魔力を拝借することさえ可能だ。
常識的に考えてありえないことなので、そのことを主人は誰かに相談したことはない。
魔力を織り込んだ演奏を披露し、更なる飛躍をサボテンに課したら、次は自分の番だ。
部屋の中央に吊り下がっている止まり木に舞い降りて、瞑想する。
主人は人としてどうかと思うほど無茶をやらかす人間なので、彼を支える使い魔として日々の努力は欠かせない。
殊に最近は何を血迷ったのか、死と隣り合わせの新生活を始めたりと、まったくもって油断ならない。
主人は昼頃まで寝て過ごす。
自宅警備員という、何だか悲しい響きの職に就いており、朝方まで働いているからだ。
本当なら昼を過ぎても寝ていたいらしいのだが、大抵は途中で邪魔が入るので、仕方なく起床する羽目になる。
「マウマウ〜」
本日の闖入者は、姉姫とか呼ばれている変な生き物だった。
他人の部屋に入るときは扉をノックするのが習わしなのだが、何故か主人の部屋だけは適用外であるらしかった。
どうでもいいが、主人の名前を連呼すると新種の鳴き声のようである。
姉姫が扉を開けたとき、主人は既に着替えを終えてくつろいでいる。
寝顔を見られるのが嫌らしく、来客をきっかけとし「影踏み」という魔力で身支度を終えるよう設定しているのだ。
至福の二度寝という美しい未来が砕け散る様は、アプリカの胸に何とも言えない寂寥感をもたらす。
しかし主人はめげない。
彼が就職したのは、帝国といって、およそ最悪な評判と、それに見合うだけの実績を叩き出している職場だ。
帝国に連行される前、主人は魔術師たちの国に住んでいた。
魔力に目覚める条件からして真っ当な人生にバックドロップするようなものなので、魔術師は実にその大半が人格破綻者という素敵な人種だ。
その中にあって、例外的にまともな人格をしている主人は、それ故に身近な者に対して過保護になり易い。
特に同年代もしくは年下の異性に対してはその傾向が顕著だった。
「マウです。こんにちは」
穏やかに返した主人は、いちいち服を選ぶのが面倒くさいという理由で、白いカッターシャツを好んで着る。
会社勤めのデキる大人への憧れもあるのだろう。
まだ成長の余地はあるからと大きめのサイズで一式を揃えたため、余った袖を腕まくりする癖が付いていた。
一方、姉姫の服装が白いドレスで統一されているのは、混戦時に見分け易いようにという、きちんとした理由があった。
そのぶん彼女は、日によってころころと髪型を変える。
腰まで届く銀髪を、今日は背中で軽く編み込み、大きなリボンで結んでいた。
滑らかな髪は、彼女の動きに合わせて小さく跳ねる。
「遊びに来たぜっ」
特にこれと言った用事はないらしかった。
将来的に帝国の未来を背負って立つ筈の姉姫は、同時に国内で随一の暇人でもある。
主人は、小さな子供にするようにちょいちょいと手招きした。
「ちょうどいいトコに来た。ナイスタイミング姉姫。そうさな、さしずめ…ザ・ナイスタイミング姉姫…てことだな」
即興で二つ名を与えたのに、おそらく深い意味はない。
さしずめという単語を使いたかっただけだろう。
「よろしい。わたしは今日からザ・ナイスタイミング姉姫として生きよう」
主人がおかしなことを口走った所為で、一人の少女が今、人生という名の道を踏み外そうとしていた。
傍目から見て、この二人は、ちょっと気持ち悪いくらい仲が良い。
姉姫の方はどうか知らないが、主人は生まれて初めて出来た友人とどう接して良いか分からず、とりあえずテンションを上げてみたのだ。
慣れてくれば落ち着くだろうとアプリカは楽観視していたのだが、何とそのまま定着してしまっていた。
慣れとは恐ろしい。
主人の部屋には、調度品の類いが極めて少ない。
正確には、少なくなった。
部屋まで詰め掛けて来た魔霊に対応している内に、少々前衛的な形状を獲得してしまったため、魔霊の長老に頼んで放棄して貰ったのだ。
でも最近、人面樹という魔霊にお願いしてテーブルセットを再び導入した。
今度は長持ちするといい。
結論から言うと三日で壊れたけど。
新品の椅子にちょこんと腰掛けた姉姫に、主人は勿体ぶって告げた。
「まずは、これを見てくれ」
「こ、これは…!」
主人がテーブルの上に置いたのは、一冊の本だった。
事態を悟った姉姫が、ごくりと生唾を飲み込んだ。
そこには、こう記されていたのだ。
『世界の名剣全集』と。