第三十九話、将軍の決意
警備上の問題から、王族と将軍の寝室は城の最上階付近にある。
人間は空を飛べないからだ。
マウの部屋が一階にあるのは、階段の上り下りを苦手とする魔霊も居るからである。
魔霊たちの居住区から少し離れた、中庭に程近い角部屋がマウに宛がわれた寝室だ。
表札が掛かっていない、古びた木製の扉を開けると、軋む音がした。
ここは、今や滅んだ古い魔獣のかつての住処の一つだ。
鳥類に属する魔獣だったのか、部屋の中央には天井から鎖で固定された止まり木が吊り下がっている。
その止まり木に寄り添うように、質素な寝台がぽつんと置かれている。
カーテンを閉める習慣がないのか、間取りに対して随分と大きく感じる窓から月明かりが差し込み、室内を仄かに照らしていた。
寝台の上で規則正しい寝息を立てているのは、当然マウだ。
眠っているときの彼は、表情から険が取れて少し幼く見える。
寝顔を見物することしばし。
将軍は…「よいしょ」とマウの掛け布団を剥ぎ取ると、熟睡している彼の腕を掴んで引っ張り起こした。
「時間だ、行くぞ」
「……」
マウは抵抗しなかった。だらんと首を垂らして、ふらふらと将軍に追随する。
彼女の足取りに迷いはない。
一体どこへ連れて行こうというのか。
疑惑の黒鎧までしっかりと着込んで、夜の散歩もあるまい。
懐中時計なんて洒落た小道具を持たないマウだが、彼の体内時計は魔術師ならではの正確さを誇る。(だからと言って例の懐中時計が欲しくないという訳では決してない。むしろ欲しい)
時刻は、草木も眠る丑三つ時だった…
クソ真夜中に部屋を訪ねて来るのは、黒騎士団の伝統なのかもしれない。
そういうふうに考えれば、少しは寛容になれる気がした。
もちろん、そんな伝統はない。
将軍はマウの腕を引っ張り廊下を歩きながら、
「ときに、術士。お前、夜目はきく方か?」
「……
……
…きくけどおっ…」
マウは、たっぷりと間を置いてから駄々をこねる子供のように嫌々をした。
魔術師は夜目がきく。
まったく見知らぬ土地に連れて行かれて、さあ案内しろと言われても困るが、「魔眼」といって、過去に見た光景と現在を照合して暗所を見通す術がある。
とくにマウの魔力は、対象との距離が近ければ近いほど、つまり自分自身に対して最大の効力を発揮する特性を備えていたから、いわゆる「定跡」と呼ばれる初歩的な術が得意だった。
魔眼は定跡の一つだ。
研究し尽くされて、最短の道のりを定められているから、発想力や構想力を必要としない。
マウは平凡な魔術師だから、持久力や集中力といった精密さを磨くことは出来ても、その上を目指すことは出来ない。
それなのに使い魔だけが際立って優秀だったから、この少年は魔術師たちの間ではちょっとした有名人だった。
夜目がきくと聞いて、将軍が食い付いてきた。
「ほう! それはいい。適任ではないか」
大抵の魔霊は夜目がきかないからなあ…と呟いた彼女に、マウが舟を漕ぎながら相づちを打つ。
「ん…夜目え? そんなイメージ…ないけどなあ…」
はきはきと答える将軍が、いっそ憎らしいほど対照的だった。
「そうとも。女王陛下は人間どもが苦しんでいるのを見るのが好きだからな。魔霊の活動時間は日中がメインだ」
ろくでもねえなあ…とマウは思ったが、王族の体質を鑑みれば至極当然のことなので、口には出さなかった。
とにかくひたすら眠かったので、将軍の柔らかい手を意識せずに済んだのは幸か不幸か。
寝癖の付いた髪をぐしゃりと掻き乱して、マウは「あー」だの「うー」だのとうめいた。
「…で、なんなの? 夜分遅くっていうレベルの時間帯ですらねえぞ…」
ぼやくマウに、将軍が足を止めて振り返った。
ふわりと鼻先を掠めた髪から甘い香りがした。
「思えば、わたしが甘かった」
彼女は真剣な表情で、マウの両肩を掴んだ。
「お前が陛下を嫌っているのは何となく分かっていた。それなのに…
わたしが、いけないんだ。
許せとは言わない。だが、安心しろ。わたしが、お前を教育してやる」
将軍の瞳が、熱く燃え盛っていた。
ありがた迷惑だった。