第三十六話、救いの手を差し伸べて
将軍とエメスのデュエットに見劣りしない二人組と言えば、それはもう姉姫と妹姫の王族姉妹を置いて他には居なかった。
氷の美貌と、凍て付くような微笑、苛烈にして凄惨な性質と、圧倒的な自負心で知られる女王は、それ故に多くの魔霊から尊敬されていたが、女王にはない闊達さや和やかさ、優しさを持つこの姉妹にはアイドル的な人気がある。
恥ずかしがる妹姫の手を引いて熱狂冷めやらぬステージに上がった姉姫が、将軍とハイタッチして会場に向き直り、
「こん! ばん! わ~!」
とかやっちゃっている頃、マウは救命活動に勤しんでいた。
立場上、兄や姉に等しい魔霊の暴走に手を出しあぐねている黒騎士に代わり、スライムにひっついて離れない雪童を何とかせねばならなかった。
「ブレイク! 離れて!」
迂闊に近寄れば、ミイラ取りがミイラになるだけだ。
マウの退去命令を、しかし凍結したスライムに幸せそうに頬を擦り寄せている氷雪の魔霊は、頑なに拒んだ。
大気中の水分が結露し、水雫となって髪を伝うものの、それらはたちまち凍結してしまうから、つららと化した髪の毛先がぱきぱきと音を立てて床に氷の根を張りつつあった。
メディア。それが彼女の名前だ。
名前…と言うよりは、総称と呼んだ方が正しいのかもしれない。
この時代、科学知識というものがなかったから、人間たちは自然界の猛威を魔霊の仕業と考えていた。
例えば氷雪の魔霊は、吹雪を呼び寄せ、雪山で遭難した人間を凍死させる存在として恐れられている。
自然界の脅威は人間たちにとって身近で、ごくありふれたものだったから、必然的に魔霊は黒騎士のような例外的な種に限らず、数多居るものと決め付けられている。
メディアというのは、伝承に登場する雪女の総称だ。
王族は人間たちの絶望を糧として生きるから、魔霊を生み出すのは女王でも、名付け親になるのは例外なく人間たちだった。
その名前が国内で有効活用されるようになったのも、将軍が魔霊を指揮するようになったここ数年の話である。
姉姫のグッドイブニングに、木々がざわめき、歓声が舞う。
陽気な陽炎が気炎を吐き、気まぐれな水虎すら狂喜した。
「愛してるぜ、ハニー!」
姉姫が髪の紐を解き、懐中時計を高々と掲げる。
ゆったりと背中に広がった銀色の髪が、鬼火に照らされて光沢を放ち、幻想的な美しさが観客たちを魅了した。
彼女の美声が会場を席巻する中、嫌々をするメディアに、マウはにやっと笑った。
「これは僕の歓迎会なんだろう? なに、焦ることはないさ。彼は君を嫌っている訳じゃないし、僕は君の助けになれる。違うかい? メディア」
《……》
彼女の沈思する気配が伝わってきた。
魔霊は、世界に蔓延する怒りや憎しみの具現だから、愛や希望と無縁ではいられない。
メディアの愛情は一途だったから、彼女は決して人間に対して好意的な魔霊ではなかった。
そこには、きっと嫉妬の気持ちもある。
古い魔霊の多くがそうであるように、スライムは人間たちを好ましく思っていたし、人間でありながら魔霊の味方をする将軍にとても忠実だ。
それが、メディアにとってはあまり面白くない。
しかし魔術師だけは話が別だった。
何故なら彼らは、言葉を持たない魔霊たちの架け橋になり得る存在だからだ。
筆を持てば即座に凍らせてしまうメディアだから、尚更だった。
言い包められるような形になるのは癪だが、せっかくの歓迎会だし、ここは花を持たせてやるかと…飽くまでも上から目線で彼女は渋々と折れた。
名残り惜しくも愛するひとから離れると、すかさずマウがスライムに近寄って片手をかざした。
「ありったけの毛布を!」
彼は黒騎士に指示を出しつつ、真剣な表情で眉間に皺を寄せる。
「なんて生命力だ…これなら!」
スライムを覆う分厚い氷が、表面から徐々に溶けていく。
マウは、魔霊の生態にさして詳しくない。
時間との戦いになるのなら、 遅遅として進まない解凍作業に焦りを覚えてもいい筈だった。
(アプリカを喚ぶか? だが…)
中にいるスライムごと氷を砕いてしまっては元も子もない。
人間の身体は炎を吐けるようには出来ていないから、体温と同じ熱を操るので精一杯だった。
焦るマウに、背後から嗄れた「声」が掛かる。
《どれ、少し手を貸そうか》
そう言って剣を鞘からすらりと抜き放ったのは、老練の骸骨剣士だった。
手骨で危なげなく支えた剣は、決して折れず曲がらず、その鋭さは石をも割くと言われるひと振りだ。
過剰な装飾の類いは一切なく、ただ鋼が本来備える輝きだけがある。
数々の逸話で知られる音に聞こえし魔剣が、こうして間近で観察すると何の変哲もない長剣に見えるのは、マウの気の所為なのだろうか。
将軍の師でもあるスケルトンは、氷漬けスライムに無造作に歩み寄ると、す、す、す、と…まったくの自然体で三度、剣を振った。
《こやつとは、付き合いも長いでな》
たったそれだけで、氷が剥がれ落ちた。
剣術に疎いマウでさえ、はっきりと分かった。
神業だ。
この人の弟子なら、将軍もさぞかし剣が達者なのだろうと、マウは思った。
後日、将軍が妙な相談を持ち掛けて来るまでは、そう信じて疑わなかったのである。




