第三十五話、魔法みたいに
視点を変えれば魔力の在り方が違って見えるように、見方ひとつで人の貌も様々だ。
妹姫から見たマウは、ちょっと頼りなくて放っておけない感じの、けれど心の優しい少年というイメージだった。
マウは、これまでずっと他人に後ろ指を指される生活を送っていたから、幼子の純真な瞳に己がどう映るか不安なのだ。
だから妹姫と接するときは細心の注意を払ったし、小動物の癒し効果に多大なる期待を寄せていた。
そんなマウが、母を嫌っている、ましてや敵対したことさえあるという話は、十にも満たない少女にはショックだった。
渋々とステージに向かう将軍を見届けて、手持ち無沙汰になった妹姫は、手近な椅子に腰掛けて喧騒を見守る。
ステージ上で、将軍に懐中時計を手渡したマウが、恨めしそうに自分を見る彼女から逃げるように階段を下りるのが見えた。
彼は魔霊たちの注目が将軍に移るのを待ってから、再び影に紛れて、妹姫のすぐ隣に現れた。
黒騎士が配膳してくれたグラスの水に口を付けながら、妹姫はマウに声を掛けた。
「どういう原理なの、それ」
将軍が小難しい理屈を並び立てていたが、分からないことは訊けばいいのだと、子供らしい素直さで思った。
「おや、魔力に興味がお有りですか、小さなレディー」
テンションがおかしかった。
「…あなた、そんなキャラじゃなかったでしょ」
「夜の煌めきは人を狂わせる。そうは思いませんか?」
夜の煌めきとは何だ。
妹姫はそう思ったが、訊いても為にならなそうだったので追及しなかった。
分からないことは訊けばいい。
だが、知ったところでどうにもならないことだって世の中には往々として存在する。
しかし彼もまた自分に戸惑っているようだった。
マウは眉間を揉み解しながら、
「ちょっと待って。今…僕、かなりおかしいこと言ってる?」
「…そうね」
自覚が芽生えたようで何よりだ。
「…いや、おかしくない。だって、こんなにも世界は美しいじゃないか!」
でも駄目だった。
その場で無意味にターンしたマウは、劇場のスタアよろしく両腕を広げて天を仰いだ。
絶望を糧とする王族の第二王女は、マウの固有結界に対する耐性が高かったから、彼の異様なテンションに引っ張られないよう自制できた。
しかしそれも長続きはしそうになかった。
「なんか…胸がざわざわする…」
服の上から胸を押さえる妹姫に、マウは何の根拠もなく断言した。
「それは愛です!」
「たぶん違うと思うの」
だがしかし、マウが差し伸べた手には抗い難い何かがあった。
妹姫の手を取ったマウは、彼女を抱き上げてくるくると回る。
可愛らしい悲鳴を上げた少女の小さな身体を、彼は軽々と抱きかかえて、膝の裏に片腕を差し込んだ。
「影踏みはしょせん詐術! ですが、アプリカと一緒なら。ああ、僕のアプリカ。君は本当に優秀だ!」
あとは寝るだけだと思っていたから、お風呂上がりに裾の短い夜着をチョイスしたのが災いした。
ひらめくスカートを手で抑えた妹姫に制止する暇がある筈もなく、マウは影を踏んで宙に飛び上がった。
魔霊たちの喝采を浴びて、ぎこちなく歌っている将軍がよく見えた。
行灯を抱えた黒騎士たちが、一糸乱れぬ隊列で踊っている。
一心不乱に楽器を奏でる黒騎士も居る。
妹姫は、心の底から感激したのだ。
「すごい! あなた、空を飛べるの?」
「三メートルくらいならね。調子が良ければ五メートルってとこかな」
いつも背伸びしているような女の子が、年相応に瞳を輝かせている様子が微笑ましくて、偶には魔法使いらしいことをしなくちゃなと張り切る。
「しっかりと捕まっててね」
高い所が怖くはないだろうかと思ったが、妹姫は元気に頷いて両腕を首の後ろに回してきた。
人を乗せて飛翔できる魔霊は、そう多くはないものの、まったく居ない訳ではないのだ。
服越しに彼女の体温と胸の鼓動が伝わってきて、女王を撃たなくて良かったと思った。
それは弱さだと、同郷の魔術師たちなら言っただろう。
自分は間違っていないと叫び続けた半生だった。
しかし心のどこかでは不安だったのかもしれない。
初めて認められた気がした。
マウは妹姫を片腕で器用に抱き直して、空いた片腕を振り上げる。
親指と小指、薬指を折り畳んで、さっと振り下ろした。
「アプリカ!」
肩の上で、使い魔が弦を弾く。
ぴんと清浄な音が響き、テーブルの上のグラスが一斉にカタカタと震えた。
バイオリンを構えたアプリカが演奏を始めると、どこからか笛の音が鳴り響き、それらは黒騎士たちの演奏と混ざり合ってハーモニーを奏でた。
それは二分か三分ほどの出来事だったけど、妹姫は大いに感動して「魔法みたい!」としきりにはしゃいだ。
将軍もいよいよ本調子だ。
歌声に衒いが消えて、陰鬱な歌詞とは裏腹に最高の笑顔でステージ上を飛んだり跳ねたりしている。
乱入してきたエメスとの息もばっちりだ。
盛り上がっている会場に視線を落とすと、どういった経緯を辿ったものか、魔霊の長老が究極の納涼を実現していた。
「あ、先生」
妹姫がそう言ったので見てみると、姉姫と老騎士が並んで立っている。
図書室の主とは彼のことか。
なるほど、これは驚きだ。
自分を捕らえ、帝国に連行したのは彼である。
悪戯心を試すには怖い相手だったから、ゆっくりと降下して声を掛けた。
「今晩は〜」
にこやかに手を振ったのに、姉姫は大層ご立腹の様子である。
「マウ! 君ね、この魔法を解きなさい」
人差し指を鼻先に突き付けてくる彼女に、マウはハッピーな気分で「あはは」と笑った。
「そう、出会いは魔法だよね。それは素晴らしいことだよ」
妹姫を下ろしてやり、二割り増しの高速ターンを披露すると、姉姫が「お前の身に一体何があった!?」と驚愕した様子で肩を揺さぶってきた。
「自覚がないんか!?」
「お嬢さん、魔法は絵本の中だけですが…」
「それそれ! ばっちり掛かってるから!」
「今夜、僕は魔法使いになりたい」
「…これは駄目だ! 話が通じない!」
姉姫は傍らの骸骨剣士に視線で助けを求めるも、彼はお手上げと言うように首を横に振った。
ツッコミに定評がある妹はと言うと、絶賛オンステージ中の将軍にきゃあきゃあと黄色い声援を送っている。
彼岸へ行ってしまった実妹を見る姉姫の目が生暖かい。
彼女は再びマウに視線を戻し、じっと観察する。
そこで初めて、彼の使い魔が平静を保っていることに気が付いた。
「こいつかっ?」
姉姫には魔術師に対する先入観がないから、使い魔が主人を介して魔力を行使しているという本来ならば有り得ない真相に手が届いた。
アプリカを鷲掴みにする姉姫に、マウが「こらこら」と使い魔を庇う。
「もっと優しく扱ってよね。そもそも、魔力で心に干渉なんて出来る筈が…」
ない、と言い掛けて、彼は硬直した。
「…あるのか。ああ、そうか…」
マウは、両手で顔を覆って、その場で屈み込んだ。
「そうか、嘘なんだな…」
姉姫の手の中で、使い魔の姿が煙のように霞んで消えた。
…魔術師の学校は、子供を育てるための機関ではない。
子供の才能を数値化し、振り分けるための授業なのではないか。
そう考えると、残酷なほど辻褄が合った。
「なんだそれ…またかよ…」
「…マウ?」
心配なんて掛けさせたくなかったのに、とても立っていられなかった。
腰を屈めた姉姫が顔を覗き込んでくる。
魔力は解除されていた。
それでも一度火が付いた熱狂は、すぐには冷めない。
姉姫の言う通り、自分がこの事態を引き起こしたのだと思うと空恐ろしくなって、声が震えた。
「…将軍、怒るかな?」
階段の踊り場でエメスと一緒に「ばきゅ~ん♪」とかやっちゃってる彼女を、とてもではないが直視できなかった。
もしも自分だったら、もう末代まで祟るであろう有様だ。
しかし女の子の考え方は異なるのだろうか。
姉姫が、ひらひらと手を振り、こう言ったのだ。
「だいじょぶ、だいじょぶ。あれ、将軍の地だから」
それはそれでどうかと思った。