第三十話、序章
将軍のポテンシャルについて思いを馳せていると、姉姫がぽんと手を打った。
「さて、そろそろかな」
そう言って、将軍と同じ型の懐中時計を襟元から引っ張り出して眺める。
中にいるのは、やはりサイレンで、こちらは姉姫の姿を模していた。
どうやら、彼女の外見は持ち主に準じるのが基本らしい。
意識は統一されているらしく、サイレンはマウにひらひらと手を振ってから、小さな身体を精一杯使って現在時刻をお報せした。
一つ頷いた姉姫が、懐中時計を胸元に差し込んだ。ネックレスと同じ要領で携帯しているらしい。
「将軍とおちびは今頃すっぽんぽんに違いない。わたしはこれよりお風呂に突撃するが、貴公はどうする?」
彼女は常に二手先、三手先を読んでいるようだった。
「いや、どうするって言われても…」
余計な情報を与えられて、マウは困ったように目線を逸らした。頬が熱い。
そんな彼に、姉姫が向ける視線は真剣そのものだ。
「悔しくないのかと言っているのだよ」
挑戦的な物言いに、マウが鼻白んだ。
「何っ…」
「100%だ」
身構えるマウに、姉姫は焦るなと言うように掌を突き付けた。
「知っての通り、城内は常にリブの監視下にある」
リブというのは、マウも知る、とある魔霊の愛称である。
「あれはエメスと相反する属性の魔霊だが、どういう訳か二人は仲がいい」
その理由は、エメスの対抗心が別の魔霊に向いているからなのだが、ここでは伏せた。
その魔霊とマウの接触を、諸事情から姉姫は避けたいと考えていたからだ。
「だから、わたしたちがお風呂できゃっきゃうふふしていると、ほぼ100%の確率でリブが乱入してくる。彼女は、エメスのことをとても大切にしているからな」
エメスの弱点は水だ。
泥は乾けば一定の強度を保つが、水に濡れると崩れてしまう。
つまり、さしものエメスも水場では力を発揮できない。
だから彼女に代わって、ということだろう。
「そうだ。理解したようだな。つまり今、三人の美少女が生まれたままの姿で洗ったり洗われたりしている計算になる。わたしが突撃すれば、実に四人だ」
マウの妄想を掻き立てる姉姫の意図は分からなかった。
「もう一度言う。貴公は悔しくはないのか?」
だが、そんなことはもはやどうでもよかった。
「分かった。おれも男だ」
そこまで言われては、引き下がるという選択肢はなかったのである。
彼は、ようやく理解したのだ。
「おれは、まだ戦ってすらいなかったんだな…」
マウの良心を担当しているアプリカが、二人を見比べてあたふたとしていた。
その良心を、マウは胸の裡に大切に仕舞い込んだ。
今はただ、力を蓄えるべきだった。
彼を止めるものは、もう誰もいなかった。
このとき、王城に一匹の獣が檻を破って放たれたのだ。