第二十四話、覆水
「あなたたち、二人していい歳でしょ。七歳の女の子に叱られて、何かおかしいなって思わないの?」
妹姫の説教はとどまるところを知らないかのようだった。
「……」
無言で項垂れる二人は、片や帝国軍を指揮する元帥であり、片や女王直属の帝国魔術師である。
憮然として腕を組んだ妹姫が、苛立たしげに革の靴底でコツコツと音を立てる。
「返事!」
「はい、正直どうかと…思います」
いちいち将軍にボケさせていてはきりがないと、ここは代わってマウが答えた。
いくら目覚めたとはいえ、体力が全快した訳ではないのだ。
さっさと部屋に戻って寝たかった。ていうか足が痺れて辛い。
「…そう。そうね。あなたは、まだ城に来て日が浅いものね」
鷹揚に頷いた妹姫に、マウは内心ほくそ笑むが…
「姫様、騙されてはなりません。この男はハイハイ言ってればそれで終わると思っているのです」
マウは戦慄した。
ここに来て、将軍はまさかの泥試合を演じようとしていた。
つまり、足の引っ張り合いだ。
「貴様、正気か…!?」
と声を潜めて覚悟を問うマウに、将軍はきっぱりと告げた。
「是非もない」
彼女には自信があった。
長期戦になれば、確実に勝てるという自信が。
自慢ではないが、正座は得意だ。妹姫のおしおきを、誰より数多くこなしてきたという自負がある。
「白籏を上げるなら今の内だぞ。帝国は捕虜を取らないが…骨を拾って再利用してやる程度の慈悲はある」
「…魔術師の辞書には、こんな言葉がある」
しかしマウも負けてはいなかった。
ずっと変人扱いされてきたということは、それでも信じた道を歩んできたということでもある。
譲らないと決めた一線に対して、彼はとことん頑固だ。
「鬼、邪に通じ魔に易し。口で立派なことを言うやつほど、足下を掬われやすいって意味だよ」
二人は顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。
「ふふふ…」
「ははは…」
立場も忘れて火花を散らせる二人に、妹姫は呆れて言葉も出ない。
そう言えば将軍の部屋には拷問器具が置いてあるのだと、ふと思い出した、まさにそのときであった。
「そこまでだ!」
「面倒くさいのが来た!」
実の姉を面倒くさいの呼ばわりである。
颯爽と現れた第一王女の姉姫が、「どかーん!」と口で言って体当たりを敢行したのはマウである。
とっさに体勢を整えて彼女を受け止めたマウが、溜息混じりに言う。
「お前さんは相変わらず元気だねえ…」
姉姫は彼の話を聞いていない。
「マウや! どうしてわたしの部屋に遊びに来ないかな君はっ」
「どうしてって、君…」
今日は珍しく天気がいい。
気温も高く、花が芽吹くこともあるだろう。
だからマウは、てっきり彼女が環境を慮り自主的に休止状態に入ったのかと深読みしたのだ。
姉姫は、一見そうと分からないように振舞っているが、とても賢く優しい少女だ。
王城での新生活を始めて一月にも満たないマウが、彼女の表面的な性格を裏までは読めても、その更に奥に潜んだものを看破することは難しい。
マウを口では責めつつも天真爛漫な笑顔を振り撒いている姉姫だから、尚更だ。
驚いたのは将軍である。
「殿下! そんなどこの馬の骨とも知れぬ輩に…!」
どこの馬の骨とも知れないマウは、悲しくも切ない。
「貴様あっ、べたべたするな!」
「ええ…この子はいつもこんな感じですけど…」
激怒している様子の将軍に、マウは背中を向けてしゃがみ込み、ちょいちょいと姉姫を手招きする。
よしきたと姉姫が応じる。
緊急会議だ。
「あのさあ…もしかして彼女って非マウ派なの?」
「非マウ派、非マウ派」
小声で尋ねてくるマウに、姉姫はこくこくと頷いた。
彼女は「んー…」と人差し指を咥えて、小首を傾げる。
「…つうか、何なの?」
要領を得ない問い掛けに、釣られてマウも首を傾げる。
「マネージメントしておいて何だけど、将軍の好き嫌いを密かに克服させたり、二択トンネルを設置して泥沼にダイブさせたりしたのには、何か意味があったの?」
「え、もちろんあるよ? 仲良くしようねっていう意思表示じゃん」
基本的に魔術師たちは、自分本位の考え方をする。
もしも彼らが他人にちょっかいを出すとすれば、それは「リアクションに期待してます=仲良くしましょう」という意思表示に他ならない。
だから彼はそれに習おうとしたのだが、そこは常識的な判断に定評があるマウである。
当初、彼は万が一にも将軍が気分を害さない程度の罠を設置していた。
が、結局のところマウは、彼女の潜在能力を甘く見ていたのだ。
いつ如何なるときも、将軍のリアクションはマウの予想を常に上回った。
例えば二択トンネルの際などは、一度スルーしておいて即座に振り向き特攻するという王道中の王道を披露してくれた。
これには陰で見守っていたマウも思わず吹き出してしまい、途轍もない敗北感を味わったものである。
と同時に…「ああ、これでいいのだ」と思った。
魔術師たちの好意の示し方は常識的に考えておかしいと常日頃から思っていたマウは、実はそうではなかったのだと確信した。
おかしいのは世界ではない、自分だったと大いに反省したのである。
そして行き着いた先が落とし穴である。
「まあ…途中で目的がすり替わったのは認めるけど」
あまりにも彼女のリアクションが素晴らしかったため、どこか意地になってしまったのだという。
それにしたって、城内で唯一の同族なのだ。
仲良くしたいと考えるのは当然のことではないのか。
しかし姉姫は人差し指を咥えたまま、
「んー…今更だけどさあ…文化が違うんだよね」
それ逆に嫌われるんでね? と。
「ちょっ、今更すぎ(笑)」
笑うしかなかった。