第二十話、笑顔
帝国の魔術師は考える。
外見で人を判断するのは愚かなことだ。
大切なのは心の在り方と実績であり、何を思い、何を成したかで人の価値は決まる。
心が清らかでも臆病では意味がない。
如何なる功績も、歪んだ行いを正当化することはできない。
容姿の美醜など、論ずる価値すらない些末なことだ。
己の信念と語り合い、確かな手応えを感じたマウは、澄んだ瞳で現実と再び向き合う。
「だが、てめえは駄目だ」
人間は誰しも自分が可愛いとよく言うが、そんなものは嘘っぱちだとマウは思う。
《そう熱心に見詰めてくれるなよ。照れるじゃあないか》
この可愛げのない言い草ときたらどうだ。
皮肉げに口元をひん曲げた表情の憎らしいこと。屈折した内面が滲み出ているとしか思えない。
第一、目付きが気に入らない。
天使のようだったサイレンの変貌に、たまらずマウは将軍の手に縋り付いた。
「何でだよ! 何でこんな…畜生~っ!」
絶叫するマウに、将軍は頬を引きつらせる。
「そ、そこまで嘆くことか?」
人間の姿に化けることができるタイプの魔霊に、しばしば真似られる彼女だが、仕方のないことと割り切っている部分もある。
やむを得ない事情でもない限り、女王の姿を借りるなど言語道断だし、姫姉妹が女王の生き写しである以上、必然的に選択肢が狭まるからだ。
マウの姿を写し取ったサイレンは、小憎らしさこそそのままだが、等身が縮んだこともあり、一つ一つのアクションが大振りで健気に見える。
だが、マウ自身はとうてい許容できなかった。
魔術師として鍛え上げた魔眼も、初対面の者には効力を発揮しない。
本性すら定かでないのに、その正体を幻視することは叶わなかった。
むしろ真実と呼ばれるものがこの世にあるのなら、それは魔力と正反対の概念と言ってもいいだろう。
意思の疎通を助けることはできても、本当の意味で心を通じ合わせることはできない。
だから、きっとマウが戦っているのは、いつだって「それ」だった。
幾度となく挫折し、それでも諦めきれない。
後悔することに慣れ過ぎて、後戻りすることもできない。
魔力が嫌いだった。
運命を呪った。
世界は醜くて、息をするのも苦しくて、
…でも守りたいものもある。
「アプリカ!」
将軍の肩に隠れてサイレンをそうっと盗み見ていた使い魔が、主人の求めに風を切って飛翔した。
差し伸べられた片手の甲にとまったアプリカが、力強く後脚を踏み出す。
マウの視線に緊張が走る。
「…賭けになるな。やれるか?」
震える声に、アプリカはバイオリンと弓を構えて応じる。
それだけで十分だった。
奏でられた旋律と、魔力が螺旋を描いて調和する。
「…何をやっとるんだ、お前らは」
と呆れる将軍の掌の上で、サイレンの姿が再び変化する。
蛹が羽化するように、髪は金糸の輝きを取り戻し、瞳は目も覚めるような碧眼に。
声は天女のソプラノを彷彿とさせた。
《あら、こんなの初めてだわ。しばらく見ない間に魔力の使い方も進歩したのね》
彼女は音の魔霊である。
おもに音声を蓄えて、それにより身体を構成する。
共振という現象を通じて、遠く離れた分身と連絡を取り合うことも可能だ。
伝達と攪乱を得意とする、情報戦のエキスパート。
それが「海の魔女」と畏怖を以って囁かれる言霊サイレンである。
《家にいるわたしから「声」を拾い上げるなんて、凄いわ、魔力屋さん》
しきりに感心するサイレンに、マウは笑顔を向ける余裕がなかった。
「くっ…」
その場でがくりと片膝を付き、屈み込んだマウを、将軍が慌てて介抱する。
「ど、どうした?」
彼の手にとまっていたアプリカの姿が、掠れて消えた。
使い魔を維持できなくなるほど、マウは消耗していた。
「ま…」
「ま?」
顔色が真っ青だ。将軍の心配が募る。
「魔力を、使い過ぎた…」
苦しそうにうめいた少年に、将軍は同情した。
思えば、彼は今日一日で立て続けに魔力を連発していた。
そのほとんどが自業自得であり、同情の余地すらなかったことが、殊更に将軍の涙腺を刺激したのだ。
「お前は、どこまで馬鹿なんだ…」
特に、潜在能力を極限まで引き出す使い魔の行使は、マウの体力を著しく奪ってしまう。
意識を失う直前、彼は倒れ込みながら傍らの少女を見て、ふっと年相応の笑顔を覗かせた。
気絶したマウを抱きかかえた将軍が、悲痛な叫び声で彼を呼ぶ。
「術士! 術士ーっ!」
窓から射し込んだ日の光が、満足そうに微笑む彼の横顔を優しく照らしていた…