第二話、帝国の魔術師
「……」
無言で落とし穴から這い上がってくる将軍を、黒騎士に混ざって見物していると、不意に顔を上げた彼女と目が合った。
先程までの上機嫌が嘘のような無表情である。
日の光を浴びて輝く髪が砂まみれになっていて、マウは訳もなく残念に思った。
そんな彼に、将軍はおもむろに背を向けて、マントを外す。
取り外したマントを掌で叩くと、土ぼこりが舞った。
作業を続けながら、彼女は言う。
「言い訳があるなら聞く」
何の証拠もなく実行犯であると決め付けられて、マウは納得が行かなかった。
たまたまこの場に居合わせただけという発想はないのだろうか。
確かに自分が計画し実行に移したことは事実だが、それは結果論に過ぎない。
その旨を告げると、将軍は「そうか」と一つ頷き、
「では認めるのだな」
そう言われて初めて、マウは己の不覚を悟った。
「…誘導尋問という訳か」
さすがは帝国軍を率いる将だ。
マウは彼女に対する認識を改めた。そして同時に、思ったよりも自分は賢い人間ではないらしいことを、このわずかな遣り取りで自覚した。
この経験は無駄にはならないだろう。
しかし今、状況は自分にとって圧倒的に不利だ。
胸中で舌打ちした少年だったが、
(…いや)
この際、誰がやったかなどどうでもいいのだと思い直す。
もっと重要なことだ。
これだけは言っておきたい。
「おれは完璧な仕事をした」
穴の深さ、角度は元より、日程の調整、カモフラージュの稚拙さに至るまで全てが綿密な計算に基づいたものであることを伝える。
将軍をこうしてからかうために、自分が並々ならぬ情熱を以って取り組んだこと、その熱意の前では如何なる障害も無力であったことを、技術的な見地を交えて長々と語った。
「……」
それを、将軍は黙って聞く。
振り返ると共にマントを優雅に翻して羽織り、肩口の固定具で留めたとき、既に彼女は剣の柄に手を掛けていた。
「…言い遺すことはそれだけか?」
聴衆と化していた黒騎士たちが息を呑む。
彼らは、自分たちの指揮を執る少女がろくに剣を扱えないことを熟知していた。
彼女に求められるのは戦術指揮官としての能力であり、そこに個体としての戦力は含まれないからだ。
慣れない刃物など振り回して、怪我でもしたらどうするのか。
周辺の国々から悪鬼と恐れられる魔霊兵士たちが上官に向ける眼差しは、厳しくも生暖かい。
すると…黒騎士たちの動揺を敏感に察知した魔術師が、不敵に笑った。
「無駄だ」
「何っ…」
将軍は我が目を疑った。
今しがた「ぼくの落とし穴」を熱く語っていた少年の姿が、忽然と消失したのだ。
誰にも気取られることなく将軍の背後に回った魔術師が、彼女の髪に掛かっている砂を指先でそっと払う。
将軍は驚き飛び退くのがやっとだった。
「魔術…か!」
実在すら定かでないとされる怪しの技。
まさか、こんな下らないことで目にしようとは夢にも思わなかった。
しかし魔術師は「違う」と首を振る。
「魔力だよ。それと…僕を甘く見たね」
傲然と言い放ち、将軍の足元を指差す。
彼女の体重を支えた地面が、不吉な陥没を見せた。
マウは言う。
「落とし穴は一つじゃない。二つだ」
本日、二度目の悲鳴が王宮に響いた。それはどこか間が抜けていて哀れみを誘うものだったという。
自らの理論の正しさを証明したマウは、満足そうに幾度か頷くと、一転して脱兎の如く逃げ出した。
彼のあとを追い、怒りの形相で城内に駆け込んでいく将軍を、黒騎士たちはその場に佇み見送るのであった。