第十七話、縁
この挨拶回りには意味がないのではないかと、将軍が疑念を抱き始めたのは至極当然のことと言えた。
今にも噛み付かんばかりの剣幕でマウを睨んでいたエメスが、ころりと態度を変えてこんなことを言い出したのである。
「ところで、例のものは?」
エメスの激情をどこ吹く風と受け流していたマウが、片眉を吊り上げて彼女を見る。
「…サボテンなんて手に入れて一体どうするんだ?」
「決まってるだろ」
そんなことも分からないのかと、エメスは大仰な仕草でマウの鼻先に指を突き付けた。
「もちろん植えるんだよ、あたし自身になっ」
「そんなもちろんはないんだよ」
マウは嘆息した。空中でくるくる回っているアプリカに片手を差し出すと、賢い使い魔は主人の腕に器用にとまった。
アプリカを腕ごと引き寄せて、マウが言う。
「今、種から育ててる。アプリカに協力してもらってね」
真っ当な植物の栽培に、使い魔の入り込む余地はない筈だった。
エメスの疑惑はもっともだろう。
「…それ本当にサボテンか?」
よしよしとアプリカを撫でていたマウが、使い魔の仕事にけちをつけられて「ハッ」と鼻で笑った。
「本物が手に入るなら苦労しねえんだよ」
ときどき妙にガラが悪くなる少年だったが、そういう時の彼には、逆さま心に余裕があるように見えるから不思議だ。
エメスも同じ印象を抱いたらしく、腹を立てることなく肩を竦めた。
「ま、ぱっと見、サボテンなら文句はないよ」
しかし、これにはマウが黙っていなかった。
彼はアプリカを定位置の肩に戻すと、エメスに詰め寄った。
「お前…そんなふわふわした気持ちで、おれたちのサボテンを枯らしでもしてみろ、ぶっ飛ばすぞ。こちとら、もうばっちり情が移ってるんだからな」
「え、サボテンて枯れるの?」
「こいつ…いや、駄目だ。やっぱりお前に、あいつは任せられねえ。おれが責任持って育てる」
咲かせるよ、大輪の花を…と昏く笑うマウに、約束が違うとエメスが食って掛かる。
「何だお前! あたしのサボテンだぞ!」
「いいや、おれたちのサボテンだね。あんたがあの子に何をしてやれたよ?」
自分と同じ顔をした女がサボテンの親権を巡って言い争うのを、将軍は見ていられなかった。
「やめろ。やめてくれ、頼むから…。そんなにサボテンが欲しいなら、次の遠征で持ってきてやる…」
そう言って二人の間に割り込むと、エメスが「あら、そう?」と途端に機嫌を良くした。
黒騎士団の采配は将軍に一任されている。
まさかサボテンのために戦うことになるとは思わなかったが、帝国はいつの時代も孤立無援だったから、今更どこの国を攻めても同じことだった。
人間側の足並みが揃っていれば、また話は別なのだが…実際にそうなっていないので無意味な仮定だ。
「将軍はいい子だなあ…」
エメスはそう言って見せ付けるように笑うと、将軍の肩越しにひょいとマウを覗き込み、あろうことか「べーっだ!」と舌を出した。
「子供か」と呆れる将軍だが、悔しそうに表情を歪めたマウもどっこいどっこいの精神年齢であるらしかった。
「ばーか! ばーか!」
と捨て台詞を吐いて駆け去っていくエメスに、将軍は本気でこの国の行く末が心配になった。
言い返す彼も彼だ。
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ! ばーか!」
どうやら自分も馬鹿であることを自覚しているらしいマウが、「あ、そうだ」と思い付いたように言う。
「エメス! カーテンな、あれどうする!」
「あとでー!」
遠ざかっていくエメスが、大きく腕を振った。
彼女を見送り、ふむ…と思案している様子のマウに、将軍が声を掛ける。
「他にも何か頼まれているのか?」
「ああ、いや…」
いったんは口を噤んだマウだったが、すぐに思い直してこう言った。
「…魔霊は、おれたち魔術師と縁が深いからな。断りきれかった…」
つまりそれは、手の内がばれているということだ。やり難くて敵わない。
如何にも無念そうに顔をしかめるマウに、さして魔力に詳しくない将軍でさえ、とうとう気付いた。
もしかして…と。
「…もしかしてお前…実は便利なやつなのか?」
マウは…マウは認めざるを得なかったのだ。
「…ええ、自分で言うのも何ですが、かなり便利なやつです」
だから、魔術師が帝国にやって来たと聞いた魔霊は、大抵がこう考える。
便利なやつが来たぞ、と。
どれ、少し顔を見に行ってやるか…と如何にも恩着せがましく、マウの部屋のドアを叩くのだ。