第十五話、戦い
長老に挨拶を済ませたら、次は…
頭の中で予定を組みながら、将軍はマウを連れて廊下を歩く。
スライムの間を出てから何かあったのか、鎧を脱いだ身軽な姿だ。
いつも鎧の下に着込んでいる黒い肌着は飾り気に欠けるものだったが、十代の少女の繊細な身体のラインがはっきりと浮かび上がっていて、ガラス細工のような儚さがある。
その後ろに続くマウの頬には、色鮮やかな紅葉が咲いている。
彼には、一度決意したことを曲げない心の強さがあったし、それを実行に移すだけの決断力が備わっていた。
しばらくそのまま無言で歩いていると、やがて二人は、なだらかな階段に行き当たった。
マウの記憶にある限りでは、城門から真っ直ぐ伸びる通路の先には階段があり、それを登りきると今度は謁見の間へと続く扉がある筈だ。
他国の城内部の構造をマウは知らないが、城門を突破して通路をひた走ったその先に謁見の間があるという造りは、女王の美意識によるものだろう。
謁見の間には玉座があり、帝国の元首たる女王が悠々と腰掛けている…という構図が、王城の日常的な光景である。
その女王が、しかし本日は留守なので、将軍は鬼の居ぬ間に案内してくれるつもりなのだろうか。
忠義心の篤い彼女のことだ、てっきり女王不在の間は謁見の間には何人たりとて立ち入らせないとか言い出すと思っていたので、意外ではあった。
まさか無計画のままここまで連れてこられたとは思いもよらないマウである。
戦闘を想定されて作られた階段は、急ではないとはいえ長大で、これからここを登るのかと憂鬱になる。
一段目に足を掛けた将軍が、「ん」と手を差し出してきた。
「転んだら危ないからな」
「…ありがとう」
マウは素直に礼を言い、彼女の手を握った。
「いや…」
将軍は少し思案したあと、マウを引き寄せて、彼の腕に身体を密着させる。
女性特有の柔らかな感触がした。
「この方が安全だ」
頬を赤らめた将軍が、そう言ってはにかむ。
マウも微笑みを返し、
「そうだね。でも、少し残念かな」
絡ませた腕とは別の方の手を、胸の高さまで引き上げて、その指を微かに蠢かせた。
「おれにその手のまやかしは通用しないぜ、女王の眷族」
直後、「ちっ」と舌打ちして飛び退いた「将軍」を、不可視の力が拘束した。魔力だ。
「本物の彼女をどうした」
両腕を軋ませて束縛に抗おうとする女に、双眸に冷たい光を宿したマウがにじり寄る。
女は、がらりと口調を変えてせせら笑った。
「へえ…本当に魔術師なんだ」
マウは答えず、更に拘束を強めた。
「言え」
肉が食い込むほどの負荷にも、女は顔色一つ変えない。
「ぬるいね、人間。この程度であたしを呪縛したつもり?」
「そうか。なら…」
マウは、掲げた腕をゆっくりと前方に突き出す。
「アプリカ」
空間を裂いて発現した使い魔が、マウの肩にとまる。
マウ自身は決して天才的な魔術師ではなかったが、極めて優秀な使い魔を連れていることで、彼は有名だった。
魔霊に使い魔を感知する術はない。
しかし魔術師を知る者なら、使い魔の存在を知っていてもおかしくはなかった。
事実、女はマウが発した言葉の意味を正確に理解していた。
「それがあんたの使い魔の名前?」
「そうだ。知っているなら話は早いな。最後通牒だ…将軍をどこへやった!」
激昂するマウに、将軍の姿をした怪物が哄笑を上げた。
使い魔の存在を知っていて、なお笑うことのできる存在に、魔術師は絶対に勝てない。
何故なら、魔術師にとっての最後の切り札が使い魔だからだ。
魔霊は人間ではないから、優に人間の限界を越える。
魔術師は…魔力は…
「知ってるよ。もちろん知ってる。物理的に不可能なことは魔力で再現できない。あたしクラスの魔霊に、人間はどうやっても勝てない!」
「! エメスか!」
女の正体に辿り着いたマウが、最悪の事態に歯噛みした。
「もごーっ!」
マウの後ろで猿轡を噛まされて転がされていた将軍が、悲壮な声で叫んだ。
その声に振り返ったマウが、爽やかに微笑んだ。
「ああ、何だ。そんなところにいたの、将軍。気付かなかったなあ…」
「これからいいところだったのに…」
エメスは残念そうである。
つまり、そういうことだった。