第十話、分岐点
午後。騒動もひと段落し、四人はいったん解散することに。
とはいえ、マウにはやることがない。
さてどうしたものかと思案していると、両手を突き出して伸びをした将軍が声を掛けてくる。
「わたしは城内の見回りに行くが、お前はどうする?」
マントを摘み上げて、身体を左右にひねりながら身だしなみをチェックする所作が、いかにも女の子らしくて微笑ましい。
だから、暗に「この只飯喰らいが…」と罵られているような気がしたのは、きっとマウの被害妄想に過ぎないのだろう。
それすらも、器用に片足立ちをして具足を整える将軍の白い太ももの前では霞んで見えるから現金なものだ。
女体の神秘に感じ入って小刻みに頷いているマウの不埒な目線に気付いて、将軍がさっと赤面した。
「…やっぱり駄目だ。お前は部屋で大人しくしてろ」
それも退屈な話ではある。
そそくさとマントで四肢を覆い隠した彼女から視線を外して、マウは姫姉妹に目を向ける。
「二人はどうする?」
姉妹の午後の過ごし方は実に対象的なものだった。
「わたしはお昼寝の時間だ」
「図書室で授業の続き」
「…そう」と頷くマウに、姉姫が聞いてもいないのに言い訳をした。その気持ちが、マウにはよく分かる。
「おちびはまだ幼いからね。わたしには授業なんて必要ないけど」
言い訳めいてはいたものの、それは事実の一端でもあったから、将軍は口出ししない。
この姉妹が女王から受け継いだものは、力や容姿だけではない。
高い知能もその一つだった。
まだ幼い頃、妹姫が生まれてさえいなかった時分の姉姫(当時は「姫」とだけ呼ばれていた)は、非常に勤勉で物静かな美少女であった。
あの頃が懐かしい。
美しく成長した姫君の頭の中身が多少愉快なことになっていようと、将軍の忠義を揺るがない。
それは、現在進行形で可愛らしい妹姫が、これから数年で前例を辿り悲しい進化を遂げたとしても同じことだ。
燃え立つ使命感を新たにする将軍の横では、マウが最近では癖になっている腕まくりをしながら、
「…授業かあ。面白そうだね」
「一緒に来る?」
妹姫は、この年上の少年に少なからぬ興味を抱いている。
魔術…正しくは魔力か…に対する知的好奇心もあったし、何より尊敬する母がわざわざ連れてきた人間だ。
自分が生まれる前からずっと帝国に仕えてくれている将軍は別として、王族を恐れない人間というのは…ひどく珍しい。
将軍には軽んじられているようだが、公の場で実在を確認された魔術師の噂は、近隣の国々に多大なる影響を及ぼしつつある。
人は、未知のものを恐れるものだ。
そう遠くない未来、帝国魔術師として国際指名手配されるのは、まず動かない事実だろう。
彼の関心を買っておくのは、将来的に決してマイナスにはなるまい…
「先生は誰なの?」
「それは行ってみてのお楽しみね」
マウの問い掛けに、彼女は自分が主導権を握れるよう巧みに受け答えする。
「わたしが魔力に詳しくないように、あなたは魔霊のことをあまり知らないみたいだから。きっと驚くわ」
「それは楽しみですね、姫」
妹姫の誘いに、ほいほいとついて行こうとするマウに、将軍が声を荒げた。
「駄目だ! やっぱりお前は、わたしと一緒に来い。姫様と二人きりなど…天が許してもわたしが許さん」
そう言われては、妹姫も殊更には反論できない。
魔術師は確かに貴重な存在だが、女王より直々に黒騎士の指揮権を賜っている将軍は、この世で唯一の存在だからだ。
「ええ…」と見るからに乗り気でない様子のマウに、妹姫はいったん満足することにした。
「城内の案内なら、図書室に立ち寄ることもあるでしょ。またあとでね、マウ」