雨の夜の昔話
その日の夜。
雨は弱まっていたが、まだしとしとと降り続いていた。
湿った空気が外灯の光をぼんやりと滲ませている。
重厚な外観の花うさぎ亭の食堂は、昼間の騒ぎが嘘のように落ち着いていた。
冒険者の姿も少なく、どこかゆったりとした空気が流れている。
長机の端に、五人は並んで座っていた。
ヴァルは昼間より顔色が戻っているが、まだどこか気怠そうだ。
セリスはそっと様子を窺い、気づかれる前に視線を戻す。
ルカはそれを見逃さず、口元をわずかに緩めた。
「体調はどうだ?」
「……平気」
「ほんとか?」
「しつこい」
そのやり取りに、レオがにやりと笑う。
リュシアンは静かに食事を終え、ナプキンを置いた。
その時。
ザンブルが何も言わず、ルカの前に杯を置いた。
深い赤色の果実酒。
ラゼルベリーを使った、この宿自慢の一杯。
ルカは眉を上げる。
「親父さん、頼んでないぞ」
「安く手に入れた」
即答。
その後ろでツムギがくすくすと笑う。
「嘘ですね。サービスです」
ルカは小さく息を漏らした。
「ありがとよ」
ザンブルは何も言わず厨房へ戻る。
その背を、セリスがじっと見ていた。
少し迷い、視線を落とし、
それから口を開く。
「……そういえば」
全員の視線が自然と集まる。
「ルカさん、ここの店主と仲が良いんですね」
レオが目を瞬かせる。
「え、知らなかったの?」
「はい。……昔からの知り合いですか?」
一瞬だけ、空気が止まる。
ルカの笑顔が、ほんのわずかに揺れた。
ヴァルはそれに気づき、眉をひそめる。
リュシアンは静かに視線を落とす。
レオも、珍しく黙る。
雨音だけが響く。
ルカは果実酒を一口飲んだ。
「……まあな」
杯を置く。
セリスは踏み込みすぎたかと、小さく息を呑む。
「すみません、もし――」
「いや」
ルカは首を振った。
「長い話になるけどな」
その声はいつもの軽さを残しながら、
どこか遠くを見ていた。
「十年前だ。俺がまだ尖ってた頃」
ザンブルの背中が、厨房の奥で一瞬止まる。
振り返らない。
「魔獣討伐でこの町に来た。
状況も見ずに突っ込んだ」
レオが目を丸くする。
「ルカさんが?」
「今とは違う。……今も若いけどな」
わざと軽く言ってから、
脇腹に手を当てる。
「その時の傷だ」
リュシアンが静かに言う。
「……大きい傷だな」
「死にかけた。
仲間も巻き込んだ」
空気が重く沈む。
ルカは続ける。
「結果的に、親父さんの顔に傷を残した」
ヴァルの瞳がわずかに揺れる。
平原での撤退の判断を思い出していた。
「夜になって聞いたんだ」
ルカの声が低くなる。
「なんで、何の関係もない冒険者にそこまでしてくれるんだって」
静寂。
雨。
灯り。
「そしたら言われた。
似てる、って」
全員が顔を上げる。
「昔の相棒に」
厨房の奥で、ザンブルが小さく舌打ちした。
「ラークって男だ」
ルカは続ける。
「軽くて、調子が良くて、自信家。
でも誰より仲間を見てた」
リュシアンが静かに問う。
「……亡くなっているのか?」
「無茶な突撃でな」
重い沈黙。
ルカの目がまっすぐ前を向く。
「親父さんは言った。
無茶は英雄じゃない。ただの自己満足だって」
「……」
「生きて帰ることが、一番難しくて、一番価値がある」
レオが小さく笑う。
「だから撤退を選んだんですね」
「ああ」
短い返事。
「俺はラークを知らない。
でも、あの話がなかったら今の俺はいない」
沈黙。
やがて、セリスがそっと言う。
「素敵な人だったんですね」
ザンブルは振り返らないまま吐き捨てる。
「……ただの馬鹿だ」
そして少しだけ声を張った。
「まあそれのおかげで女房とこうして今幸せにいられてるんだから、それでいいじゃねぇか!」
奥からツムギが顔を出し、柔らかく笑う。
その穏やかな横顔を見て、レオがにやりとした。
「へぇ……じゃあ、その傷がきっかけってこと?」
ザンブルが眉をひそめる。
「なにがだ」
「いや、だってさ。そこからどうやって結婚までいくのかわからない」
セリスも興味津々で身を乗り出す。
「確かに……気になります」
リュシアンも珍しく視線を上げる。
ヴァルは黙ったままだが、耳だけはしっかり向いている。
ザンブルは盛大にため息を吐いた。
「……そりゃあ」
腕を組み、わざとらしく鼻を鳴らす。
「おめぇ、女房が押しかけてきたんだよ」
一瞬の沈黙。
「は?」
五人の声が揃う。
奥からツムギの、のんびりした声が飛んできた。
「ええ、わたしからです」
あまりにもあっさりとした肯定に、場が静まる。
「顔に傷作ってまで町守るなんて、素敵じゃないですか」
さらり。
ザンブルのこめかみがぴくりと動く。
「やめろ」
「だからお見舞いに通って」
「やめろって言ってんだろ」
「毎日お花持って」
「おい」
「そのまま押しかけました」
レオが腹を抱えて笑う。
「強ぇぇぇ……!」
セリスの目がきらきらしている。
リュシアンは小さく口元を緩め、ヴァルもわずかに肩を揺らした。
ザンブルは耳まで赤くしながら吐き捨てる。
「……まあいいじゃねぇか!こんな話は!今が幸せなんだからよ」
ツムギが嬉しそうに微笑む。
「はい」
食堂に笑い声が広がる。
雨音は、もうほとんど聞こえなかった。
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