第5話「当事者になる日」
クレーム対応の仕事をしていると、奇妙な自信が身につく。
自分は“外側”にいる。
問題の渦中には立たず、距離を保ったまま整理する側だと。
その感覚が、音を立てて崩れたのは、月曜の朝だった。
出社すると、デスクに一枚の紙が置かれていた。
社内フォーマットの報告書。差出人は、総務。
――内部申告についての確認依頼
一瞬、意味が分からなかった。
読み進めて、喉がひくりと鳴る。
対象案件:○月●日で扱った法人契約。
申告内容:「特別対応係による誘導的判断」。
俺の名前が、はっきりと記されていた。
会議室に呼ばれた。
総務、法務、そして課長。
全員の視線が、微妙に俺を避けている。
「事実確認です」
総務の女性が淡々と言った。
「あなたは、営業と顧客の双方に“同時に不利になる判断”を意図的に行いましたか」
質問は中立を装っている。
だが、その前提自体が――
歪んだ。
俺は息を整えた。
「意図的ではありません。事実関係を整理した結果です」
自分の声は、歪まない。
法務が続ける。
「結果的に、会社の責任範囲を広げています」
「必要な範囲です」
「その判断基準は?」
ここで、俺は初めて気づいた。
自分の嘘は、聞こえない。
この能力は、他人の嘘にしか反応しない。
自分がどれだけ正直か、どれだけ保身か、音では分からない。
課長が口を開いた。
「君の判断は、社内基準より“誠実すぎた”」
歪まない。
「だが、それが問題だ」
正しい。
だからこそ、逃げ場がない。
「今回は注意で済ませます」
総務が言った。
「ただし、今後は必ず“事前相談”を」
会議はそれで終わった。
誰も怒鳴らない。誰も嘘をつかない。
――なのに、胸が重い。
デスクに戻ると、例の番号から通知が来ていた。
『どうですか。当事者になると』
歪んでいる。
俺は初めて、返信した。
『あなたは誰ですか』
送信。
既読は、すぐについた。
『同じ会社の人間ですよ』
歪む。
『あなたの判断を、評価している側です』
歪む。
二つとも嘘だ。
だが、どちらが、どの程度かは分からない。
その日の午後、俺は一本の電話を取った。
小さな案件。返金額もわずか。
だが、声を聞いた瞬間、耳の奥がざらついた。
『あなたに対応されたせいで、社内で立場が悪くなった』
歪まない。
被害者だ。
少なくとも、この言葉は。
俺は静かに謝り、できることを説明した。
電話を切ったあと、手が少し震えていることに気づいた。
これまでは、他人の嘘を整理してきた。
だが今は、自分の判断が誰かの“クレームの原因”になっている。
帰宅途中、電車の窓に映る自分を見た。
疲れた顔だ。
だが、逃げたいとは思わなかった。
スマホが振動する。
『次は、あなたの判断そのものが問われます』
歪んでいる。
だが、予告としては正しい。
俺は画面をロックし、目を閉じた。
クレーム対応係は、外側に立つ仕事じゃない。
いつか必ず、線を越える。
――そして今、俺は完全に当事者になった。
今後は、
この“音”をどう扱うかを、決めなければならない。




