第3話「記録のない嘘」
特別対応係に配属されてから、俺は「記録」を信じるようにしてきた。
ログ、履歴、録音、チェックシート。
人の記憶は曖昧だが、記録は嘘をつかない――少なくとも、そう教えられてきた。
だが最近、その前提が揺らぎ始めている。
課長から渡された次の案件は、少し変わっていた。
クレーム内容は単純だ。
「言った」「言わない」。
法人契約している企業からの問い合わせで、サポート担当者が“不要なオプション契約を勝手に追加した”というものだった。
契約書には確かにオプションが付いている。署名もある。
営業担当は否定し、顧客は激しく抗議している。
「録音、ありますよね」
俺が聞くと、課長は一瞬だけ目を逸らした。
「……そのはずなんだが」
嫌な予感がした。
まずは顧客への電話。
落ち着いた声の男性だった。
『こちらは一切、追加契約の話は聞いていません』
――歪む。
『必要ないと言いました』
――歪む。
だが、次の言葉は違った。
『ただ……急いでいて、説明を全部理解していたかは自信がない』
歪まない。
俺はメモを取りながら、慎重に質問を重ねた。
感情は誠実だ。怒りも本物だ。
ただ、「聞いていない」という断言だけが、微妙に濁る。
次に、営業担当者を呼んだ。
社内では評判のいい人物だ。
「勝手に契約を付けるなんて、あり得ません」
――歪む。
「説明は必ずしています」
――歪む。
だが、不思議と悪意の音ではない。
嘘ではあるが、守ろうとしているのは“自分”というより、“やり方”だと感じた。
「当日の対応メモを見せてください」
「はい」
整った文章。
だが、どこか“整いすぎている”。
「この説明、いつ書きました?」
「……後です」
歪まない。
正直だ。
そして、正直な嘘がある。
問題の録音データは、結局見つからなかった。
正確には、「存在していた形跡はあるが、データがない」。
システム障害。
よくある言葉だ。
だが、その説明をした情報システム部の担当者の声は、わずかに歪んでいた。
「復旧時に、一部ログが欠損しました」
――歪む。
俺は、ここでようやく全体像を疑い始めた。
顧客は、説明を完全には理解していなかった。
営業は、説明した“つもり”だった。
会社は、都合の悪い録音を守らなかった。
誰も、意図的に騙そうとしていない。
だが、全員が少しずつ、自分に都合のいい記憶を選んでいる。
会議室で三者を揃えた。
顧客、営業、法務。
「今日は、誰が悪いかを決める場ではありません」
俺はそう切り出した。
「どうして、食い違ったかを整理します」
顧客に聞く。
「急いでいた理由は?」
「社内の稟議が、期限ギリギリで」
歪まない。
営業に聞く。
「説明を省いた部分は?」
「……正直に言えば、時間がなかった」
歪まない。
法務に向き直る。
「録音がない理由は?」
一瞬の沈黙。
「……残す判断を、しませんでした」
歪まない。
そこで初めて、すべての音が澄んだ。
結論は明快だった。
契約は一度白紙。
オプションは再説明のうえで再契約。
顧客への補填は最小限。
誰も完全には得をしない。
だが、嘘を抱えたまま続く関係よりは、ずっと健全だ。
会議後、営業が小さく頭を下げた。
「……助かりました」
歪まない。
デスクに戻ると、またメッセージが届いていた。
『あなたは、嘘を暴く人ではないんですね』
読んだ瞬間、耳の奥がざらつく。
歪みがある。
――違う。
俺は暴いていない。
嘘が生まれた“理由”を、並べ替えているだけだ。
そして、その作業を――
誰かが、相変わらず聞いている。




