第1話「嘘の音」
クレーム対応の仕事に、向き不向きはある。
少なくとも俺は、「謝ること」自体は苦じゃなかった。
「このたびはご不便をおかけし、誠に申し訳ございません」
そう言いながら、頭の中では相手の話を分解していく。事実、感情、要求。どれが本体で、どれが飾りか。大手家電メーカーの特別対応係――いわゆる“火消し役”に配属されて三年、俺はそれを習慣として身につけていた。
そして、もう一つ。
人には言っていないが、俺には“音”が聞こえる。
相手が嘘をついたときだけ、声がほんの少し歪む。ラジオのチューニングが合っていないときの、あの微妙なズレ。言葉の意味は普通なのに、耳の奥で引っかかる。
最初に気づいたのは子どもの頃だ。大人の「大丈夫だよ」が、大丈夫じゃない音で聞こえた。成長するにつれ、それが「嘘」だと分かった。理由も真実も分からない。
ただ、嘘かどうかだけが分かる。
だからこの仕事に就いたのは、偶然じゃない。
その日の最初の電話は、最新型の空気清浄機についてだった。
『御社の製品、説明と全然違うんですよ。まったく効果がない』
声は落ち着いている。怒鳴らないタイプのクレーマーだ。
俺は仕様を確認し、使用環境を聞いた。
『ちゃんと説明書通りに使ってます』
――歪んだ。
俺は一瞬、ペンを止めた。
説明書通り、という部分だけが、微かに濁る。
「恐れ入ります。設置場所をもう一度ご確認いただけますか」
『だから、ちゃんと――』
再び歪む。
嘘だ。だが、ここで「嘘をついていますよね」と言うのは最悪手だ。
俺は謝罪を重ね、訪問点検を提案した。相手は少し考え、了承した。
電話を切ったあと、隣の席の先輩が言った。
「穏便に済んだな」
「ええ」
現地対応は翌日。
顧客宅はマンションの一室で、空気清浄機は窓際の床に置かれていた。
「日当たりも良いし、問題ないですよね」
顧客はそう言った。
――歪む。
俺は視線を下げ、コードの取り回しを見た。
吸気口が、カーテンに半分塞がれている。
「こちら、少し空間を空けていただけますか」
「え?ああ……」
今度は歪まない。
設置を直すと、数分で数値が改善した。
顧客は気まずそうに笑った。
「まあ、勘違いってこともありますよね」
その言葉は、歪まなかった。
帰社後、報告書を書いていると内線が鳴った。
法務からの取り次ぎだという。
今度の案件は、返金要求。
原因不明の故障で業務に支障が出た、という主張だった。
会議室に入ると、顧客と営業、法務が揃っていた。
顧客は淡々と話す。
「こちらに非はありません」
――歪む。
「御社の不良です」
――歪む。
だが、営業が言った次の一言で、俺は息を止めた。
「記録上、使用方法に問題はありません」
――歪む。
珍しいことじゃない。
だが、今日は違った。
歪みが、重なって聞こえた。
顧客も、会社側も、嘘をついている。
どちらも、自分に都合のいい形で。
俺は資料を見直し、ログの一部に不自然な空白を見つけた。
操作履歴が、ある時間帯だけ抜けている。
「この時間、装置は使われていませんか」
顧客が答える前に、営業が口を開いた。
「ええ、使われていません」
――歪む。
顧客の沈黙。
その沈黙は、歪まなかった。
俺は結論を出した。
返金は一部のみ。原因は操作ミスだが、記録管理は会社側の落ち度。双方に非がある。
会議が終わり、法務が小声で言った。
「助かったよ。荒れずに済んだ」
俺は頷いたが、胸の奥が少し重かった。
真実は、誰のものにもなっていない。
デスクに戻ると、私用スマホに通知が来ていた。
知らない番号からのメッセージ。
『さっきの判断、正しかったと思いますか』
心臓が一拍、遅れた。
文面は普通だ。だが、読んだ瞬間、頭の中で“音”が鳴った。
歪んでいる。
――俺は、返事を打たなかった。
嘘が聞こえるのは、電話の向こうだけじゃない。
この仕事を続ける限り、そういう場面は増えていく。
それでも、俺は今日も受話器を取る。
嘘の音を、聞き分けるために。




