リインカーネーション
世界には預言があって、明日滅ぶそうだ。
_______________________
二週間前、大切に育てていた花が枯れた。
一月前、将来の夢を訊かれて俯いた。
半年前、目覚まし時計が鳴らず遅刻した。
私は人と関わる度に将来性が無い、優柔不断だと云われる。夢も娯楽も無く、流されるままに過ごしているのだから正しい評価と云える。世間では専ら終末予言の話題で、教室内でも時折話題に上がる。
私は矢張り興味無く、時を重ねては教室の隅っこで欠伸を零す。
「明日が来なければ良いのに」
ただ歩いて、雨が降るから傘を差して、寄り道する同級生を追い抜いて、家に帰れば宿題を終わらせ来なくとも良い明日を待つ。
『本当に?』
「……え?」
不意に去来する声音は一人の人間を優しく否定し、立ち止まらせた。正面を向いても誰も居ない。後ろを振り向いても誰も居ない。右を向いたら塀があって、左を向いたら道があった。
代わり映えの無い道が途端に恐ろしくなり逃げるようにして顔を背けたのが三秒前、
「っなに!?」
時の刻みに大地が震撼した。否、落雷の如き衝撃が風景を乱し砂塵を巻き起こした。実際に落雷が落ちたのではない。道の先で何かが落っこちたのだ。
目に入った砂が涙腺を傷付ける。明らかな異常事態にそれまで前へ進もうとしなかった足は左手の方面、光の衝撃波の発生地点へ向かった。
自分でも理解に苦しんだ。何故に態々向かうのだと。有象無象の野次馬になるだけだ。馬鹿馬鹿しくて目の奥が痛む。制服のまま、寄り道など有り得ない、私が、有り得ない。
「誰も居ない?」
とうとう辿り着いた場所は嘸や騒々しいのだと思っていたが宛にならない直感が外れたらしい。人の手が長らく途絶えた無駄に広い民家は老朽化が進み、植物が生え散らかしていたが、これといった情報は得られず寧ろ困惑した。
引き返すなら今だ。それでも足は前へ進む事を選んだ。穴ボコな床に、地を這う不潔な害虫、転がったままの灯篭、極め付けは先程の衝撃による損傷が見受けられない事。
「何やってんだろ私」
「っっ……」
「ひっ今度は何!?」
(ひと、……こんな所に?)
「あの、貴方は」
「"カサネ"」
「ーーっ私の名前、なんで知っ……て」
「……そうだね」
不気味な風音に怯える自分が馬鹿らしくなり、踵を返そうとした矢先に再び風音に怯えた。空き家に現れた気配は人の形を取り、ゆらりと接近した。
柱に罅を入れ障子を破り、害虫を散らす目の前の人間はお世辞にも清潔とは言えず、ボロ雑巾の様な衣服に鬱血した皮膚と血腥い空気を纏わせ、私の名を呼んだ。
泥の様な黒髪と充血した瞳から目が離せずにいると、更に近寄って来た。まるで迷子の子犬の様な覚束ない足取りに、身動きが取れずに五秒前、目を瞑る。
「"初めまして"」
そう言って彼はパタリと倒れた。
手が触れる直前、力尽きた様子の彼に釣られて尻もちを付く。今になって心臓が早鐘を打ち苦い空気を体内に取り込む。それ以上の何を出来る筈もなく、弛んだままの涙腺が一筋雫を垂らした。
_____
「逃げなかったんだ」
「起きて早々言う事ソレ?」
半刻後。目元を擦りながら砂っ気を払う最中、彼が目を覚ました。立ち上がろうとして立ち上がれなくて、結局四つん這いの状態で不可解な笑顔を見せた。
「腰が抜けて動けなかったのだろう」
「ん……。貴方は思ったより元気で何より。じゃ、そろそろ立てそうだから。さよなら」
「待って。君は明日、此処に来るだろう?」
「来ない。不審者とこれ以上一緒に居たら可笑しくなる」
腰が抜けたのは事実だ。然し彼の妙な笑顔を見つめていたら今度は歩けるような気がして、思い切って足に力を入れた。
床が軋んで竦みそうになるが、不審者と空き家から一刻も早く離れたくて遂に歩く事に成功した。が、私の手首を掴んだ彼が数秒、時を奪う。
「僕は預言者さ。君は明日も会いに来る」
そう言って彼は、また倒れた。
行く訳が無い。義理も同情も無いのだ。彼の名前すら知らない、彼の目的も正体も知らない。通報して終わりだ。終わりなんだ。
_______________________
翌日。
「おはよう」
「……おはよう」
制服姿の私は預言と踊る。空き家に住み着く預言者とやら、なんて怪しい。だけど通報する気は起きなくてまだ痛む右眼を擦って挨拶を交わした。
「当てようか」
「見れば分かるよ。私、予定無くて結構暇だから怪我の手当くらいならしても良いかなって。それに貴方の名前も知らない」
「当ててみて」
「無理」
救急箱片手に、何をするのか誰でも判る。自分から進んで何かをしたいと思ったのは随分久しぶりな事で、それが不審者の彼相手に発揮されたのが気に食わなくて、理性と倫理が縁側を遠ざける。
「僕は魔法使いさ。君に魔法を掛けよう」
「今度は魔法使い?……設定の多い人」
「カサネが笑顔になれる魔法を」
「私の名前、どうして知ってたの」
「僕は預言者さ」
「そうだったね」
(憎らしいのに、憎めない。逃げたいのに、近付く。私が私じゃないみたい)
彼と目を合わすのも憚られる茜色の午後。黙ってしまった私に彼は変わらず話し掛けて怪しさを重ねる。預言者よりうんと不確かな魔法使いに呆れて、諦めて土足で空き家に入る。黒ずんだ床に救急箱置いて、彼を顔をじっと見つめる。
「傷の手当をしたいから見せて、傷……!」
「驚いた顔してる」
(なにこれ、傷、なんてものじゃない…まるで)
「まるで陥没。って思ってる」
「私の考えは筒抜け……預言者って狡いね。それとも魔法がそう言わしてる?」
「今は魔法が使えない。此処にはまだ魔法を使う為のエネルギーが揃わないから」
傷の手当と称して伸ばした手の先を引っ込めた。捲り上げられた上半身は確かに傷だらけで酷いものだったがそれ以上に胸元が陥没していた。心臓のあるべき場所が醜く歪み、胸元を中心に多方向へ広がる罅割れた肉体、手当の意味を成さない彼の具合に私は誤魔化すように下手な台詞を吐いた。
「貴方って何処から来たの」
「少なくとも此処よりは生きにくい世界」
「魔法って何っ?」
「人の形を変えてしまうものだ」
「貴方は何……?何が目的で魔法の使えない此処に来たの」
質問攻めにしても答えを聞いても、曖昧で不確かな現状が明かされるばかりで余計に困惑し救急箱の蓋を閉じた。彼と出会ってからの私は、すっかり変人になってしまった。得体の知れない何かに催促されるように唾を飲み込んで最後の質問をするが、
「……華を探しに」
そう言って彼は矢張り倒れるのだった。
(嘘は言ってない……けど真実は欠けたまま)
「完全に気絶してるし。やっぱり変な人」
奇妙な邂逅に意味を探していたら私がどうにかなってしまいそうで、彼の気絶を最後に目線を上げた。
「待って」
「えっ」
上げたのだが、直後に下がる。不意に目覚めた彼が制服の裾を引っ張って、ガクンと視界が傾く。彼の胸元に倒れ込む形となり、慌てて離れようとするが床に付けた手から力が抜け思うように動かせない。
「二週間後、世界は滅びる」
「は……?冗談のつもりなら」
「僕は預言者さ。世間でも盛りの終末預言は当たる。もう何度も滅びた」
「!私、貴方と居ると可笑しくなる」
「またおいで。魔法を掛けてあげよう」
さらりと流れた前髪の間から覗く純銀白の瞳に魅せられて、思うように動かせない。瀕死の体からは想像もつかない程の煌々とした輝きに、胸が詰まる思いだ。
預言なんて二の次で、唇を噛み締めて力を振り絞った。何に対しても不感症な私が生まれて初めて産声を上げたような、気恥ずかしさにとうとう遂に逃げ出した。
「カサネは一週間後、此処へ戻る」
____________________
其れから三日四日と経って動悸は治まった。霞む右目に目薬を差して、来なくとも良い明日を待つだけの日常に戻り私の心は全く動かくなった。
(あの瞳が、傷跡が、頭から離れない)
『この庭いっぱいに花が咲いたら私は……』
「っ、今のは」
最近、奇妙で不可思議な風景が右目に映る。遠い記憶のようで真新しい過去のような風景は必ず瞳サイズの湖に溺れて曖昧に消える。
私が意味を見出さなければ瞳の中の風景は無意味になる。
「もう一度だけなら、会っても」
曖昧なのは私の心だった。瞳の風景と共に溜まっていった膿を排出するように瞬きして決意した。意気込みがてら深く頷いて見せたら次第に心は開け、心地良い風を良いものだと思えるようになった。
更に三日経過した週明け。何時の間にか明日を望んだ私を新調した目覚まし時計が歓迎する。雨上がりの空が、路上の猫が、私を歓迎する。まるで祝福を受けたような爽快感に、歩幅が大きくなる。
「おはよう」
「――!」
影法師が揺らぐ空の色。空き家に到着した私はまたしても両足を貼り付けにされた。オンボロな空き家とは対照的に、荒れ放題だった庭は異国の花を咲かせていた。白昼夢の様な幻想的な花盛りの庭に、私は只々驚くばかりで風の撫でるさまを見過ごしていた。
「驚いた顔してる」
「だって、驚く」
「言った筈だ。魔法を掛けると」
「魔法使えるの?」
「使えないけど、頑張った」
「……どうして?どうしてそこまで、私は会って間もない人に頑張ってもらえるような人じゃない」
「僕は魔法使いさ。君の笑顔を引き出す数奇の魔法使い。……花が咲いたらきっと明日を笑えるようになる」
「明日を笑えるように?」
『この庭いっぱいに花が咲いたら私は明日を笑えるようになる。そんな気がするんだ』
彼が魔法を使ったのか否か私には判別出来なくて、漠然とした心苦しさに花に影を落とした。誰が為に振るう手の平は傷が増えているように感じて、右目の風景に溺れる暇を与えてはくれなかった。
「……私は何を差し出せば」
「"明日、笑っていて"」
「笑えない」
「……」
「だけど、花が咲いてしまったならお世話しないといけないね」
「……、そうだね」
花の種類は何だろう。エーデルワイスに似た白に、デイジーに似た赤や黄、アイリスに似た青紫、際限の無い色彩豊かな花々に私は笑う事が出来なかった。笑えない私は彼の沈黙に後ろ暗さを感じて、顔を上げた。
頑張って笑ってみたけどきっと下手っぴで醜い顔で、彼も同じように笑顔が歪んでいた。
翌日。私達は少しだけ距離を改めた。
貴方の事は知ってるようで何も知らない。興味の沙汰も無かったのに、日を追うごとに心が鳴動した。
「貴方の世界、故郷ってどんなところ?」
「夜でも明るい陽気な街。月夜の音楽会は朝まで続く夜更しの街」
六日前、私物の如雨露で土を濡らした。往年のインタビュアーのように身を乗り出して質問して、彼越しに故郷を覗き込んだ。
「カサネを音楽会に招待したいのに、残念。魔王に滅ぼされて亡くなった」
「魔王、…!?その傷も、魔王が?」
「半分は自傷」
三日前、液肥を吹っかけた。純銀白の瞳が不安定に揺れて虚心を彷徨うから、代わりの涙が私の心を代弁した。
「魔王は生き延びる為なら手段を選ばない。もう時期やって来る」
「それが預言の日?」
「対抗手段は揃ってる」
昨日、花が萎れた。チクリと痛む目を擦っても痛みは取れず、悪化した。彼の世界は滅びたらしい。魔王と一騎討ちの末、膨大な魔力が時空を歪めて異世界へ落ちたのだと。魔王は彼と時を同じくして傷を癒やし、力を蓄え、明くる日に終末を齎す。
「六華と呼ばれる魔力の塊が魔王を消滅させる、預言書の話だ。六華の欠片の内、四つはこの手の中に。一つは魔王の手の中に」
「世界は滅びる。…つまり貴方は負ける?」
「欠片が揃って負ける」
「魔王の対抗手段なのに揃ったら負ける?」
「負ける」
今日、光も当てられない真実が落ちた。魔王を消滅させる力の結晶六華は魔王の手によって欠片に分断され、闇に埋もれた。然し、彼の言葉には矛盾があった。何故、消滅の力が貴方を負かすのだろう。
徐ろに身動いだ指先がコツンとぶつかる。刹那の距離に怯える私はもう居なかった。仄かに灯る熱が指の間を絡めて、風の通り道を塞ぐ。
噤んだ唇からフッと吐息が零れ、彼は不格好に寝転がった。
「明日が怖い?」
「とても怖い。怖いよ。貴方は怖くないの?」
「何よりも恐ろしい事が二つある。其処に魔王は居ない」
「……私も、そうだね……怖いのは魔王じゃない。日常に潜む"不実"。魔王よりも恐ろしいのは私の親だったりしてね」
明日が怖い。未来が怖い。でもそれは二週間以上前から思っていた事だ。結ばれたままの熱が、ぎこちない笑顔を作って視界を狭める。私はまだ貴方を見ていたいから両目を開いて、同じ台詞を口にした。
「明日が来なければ良いのに」
「本当に?」
「……えっ」
「……」
「……、……」
隙間風が熱を攫っていく。毎日思ってる事を口にしただけだった、なのに、彼の台詞は聞き覚えがあった。
瞬間、急速に日が沈む。藍色の太陽が告げるは明日無き世界。彼は笑っていた。花が萎む様に、純銀白の蜜が消えてなくなる。
「花がらを摘まなきゃ」
口を付いた誤魔化しが私に不実の烙印を押す。
「萎れた花を、摘み取るの。病気を移さない為に、蕾に栄養を与える為に……。長く見ていたいから、花を咲かせてほしいから」
湿気を含んだ夜風が花を揺らす。さらさらと、ひらひらと。取り繕った不実の心を遠ざけようと歩き出す。軍手を忘れてしまった、振り向いて鞄から取り出さねば、けれど彼の側は冷えてしまったから。
固まった表情筋が僅かに、揺れ動く。再び感じた熱は夜風を纏わせて、私に密着した。
「いくな」
気付けば、彼に抱きすくめられていた。
「僕は預言者さ。明日、世界が滅ぶ」
「……」
「だからもう何処にも行くな。此処に居ろ。居てくれ、ずっと!」
「急にどう……」
「明日なんか来なければ良い」
「!」
「時が、止まらないんだ。この瞬間、何度も何度も願ったのに、魔法は命を奪ってく」
魔法は奇跡とは言えなくて、預言は絶対的とも言えなくて、お腹に回された傷だらけの腕と首筋に掛かる息の続かなさが、切羽詰まった彼の心根を表すようで、耐え難い微熱に返す言葉が思い付かない。
「私が、……」
(私が魔法使いだったら、なんて言えない。魔王と戦う貴方を、私の方が行かせたくないのに)
鼻を啜る音が聞こえた。泣いているのだろうか。すっかり黙りこくってしまった彼に私は、言葉を掛ける代わりに彼の素肌を撫でた。罅割れた貴方をこれ以上、傷付けぬ様に怖がりながら、何度も。
_______________________
昨日より遅い帰り、門限だってとっくに過ぎて、帰って来た私を見て親は一言言った。
"気持ち悪い"
私が悪いのは解ってる。
"空き家に入り浸るなんて"
馬鹿げた話だよね。
"一人で可笑しくなった"
一人?そんな筈は、
「私は一人だった?」
親は言った。私は一人で、空き家に居て庭は荒れたままで、親は何時だって正しい、それが世界なのだ。
けど、けれど、私は絶対一人じゃなかった。熱を感じた。冷を感じた。張り付いた制服がベッドに沈んで暖を包もうとも私の熱は冷めやらない。
食事も喉を通らず、風呂に入る気力も無く、泥の様に眠った私を次に起こしたのは右目の痛みだった。
「……いつっ…今、時間は」
夢を見た気がした。時刻は二分前に明日を迎えた。来なくとも良い明日が目の前にあって、両目を瞠るが未だに世界は正常で、私だけが明日に怯えていた。
「明日、世界は滅びる。魔王の手によって。彼は負ける、彼は、戦って……傷付いて、私と同じように明日に怯えて、なのに居なかった事に出来る訳無い……!」
(会いたい……溢れて止まらない……そうか私は)
譫言の様に言葉を付いて沈めた。鉛の様に重い体を持ち上げて息を切らした。震える細腕に力を込めても、私は立てない。彼は戦ってるかも知れないのに立ち上がるだけで、こんなにも苦しい。
彼の存在を確かめたくて、不実でないと思いたくて、私はベッドから転げ落ちた。痛みを増す視界が、警鐘を映すも見えない振りして窓を開けた。私にしては珍しく音を立てて乱暴に開いたから夜風が驚いて音を突き返した。
二週間前、可笑しくなった私は歪んだ笑顔で四角い夜の窓を潜った。冷えた瓦に飛び降りて、思いっ切り地面に飛び込んだ。
瞬間的な右目の疼きが、両足の痛みを緩和し奇跡的に無傷で腰を下ろす事となり、考える間もなく地面を蹴った。
踏み付けた風が素足の私を引き止めようとモゾモゾ動く。初めての事だ、夜中に飛び出して素足でアスファルトに触れるのは。やけに気分が悪い、目が痛いのか頭が痛いのか、胸が痛いのか足が痛いのか、判らない。
吐気を催す酷い夜だ。途中で転んでも、意識が消えても私は藍色の夜を諦めない。
「ハァハァ、誰も居ない、花が無い……」
だらりと力が抜けた。ようやっと辿り着いた空き家に彼は居なかった。彼が居た痕跡も何もかも魔法みたく無くなった。渇いた喉が吐き出したのは掠れた声一つ。冷めきった指先から伝わる感じない所在。
「いや、嫌……嫌よ、だって」
『来るな』
「此処に居た、のに」
『そんな目で見るな』
「!こんな、時に痛っ……!!」
『僕と出逢うな』
「ううっ……〜〜っ!」
『カサネ。初めまして』
「ーーーっ」
頭が割れるように痛い。痛い、痛い。絞り出した唾液がみっともなく叢に垂れる。瞼に映る風景が徐々に砕かれていく。頭の中に響く大鐘によって、徹底的に。
不意に蘇る記憶は、不潔な出逢い。こればっかりは砕かれる訳にいかず瞳孔を開いて大鐘を追い出せば、世界は貴方の命を思い出した。
「カサネ!?」
「良かった、ちゃんと生きてる」
「また君は来てしまったんだね」
「〈おめでとうカサネ。10回目の決戦だ〉」
「止めろっ!カサネに手を出すな」
(あれが、魔王……!)
「〈また性懲りもなく同じ台詞で、飽きないかね愈々〉」
頭痛は治まり、不器用な彼と目が合った。然し次の瞬間には私は彼を見ていなかった。魔王が其処に佇んでいたから。さも当たり前のように私の名を呼ぶ魔王は姿形こそ人間に近しいが、纏う空気は常軌を期していた。
血塗られた人の皮に、寸分の狂いもない漆黒の衣、暗雲を纏って禽獣の爪を向ける魔王は捕食者の眼光で私に微笑みかけた。花が咲くようなとても素敵な笑顔だった。
「カサネ下がって」
「〈抑圧された少女カサネ。君の右眼には今何が視えている〉」
「私には何が……」
「聞かなくていい」
「〈そろそろ思い出しても良い頃だ。収穫には少し早いが〉」
「止めろ!!」
馴れ馴れしく牙を立てる魔王は私ではなく、私の右眼を視ていた。"何が視える"と問うても風景は彼と魔王の一騎討ちしか見せてくれなくて言の葉は喉を詰まらせた。草木を揺らして飛び出した彼は植物の杖を体内で生成し魔王に挑む。杖から放たれたのは水分を含んだ水の花、花飛沫。
飛沫が飛ぶ。杖が折れた。また肉体を削って戦は繰り返す。魔法が使えるようになったのか、はたまた最初から使えたのか私には解りっこないが、一つ確信して言えるのは彼は今笑っていない事。
こんな状況ではそれこそ魔王でも無い限り笑顔を見せる人は居ない。ボロボロの体で何度打ち砕かれようとお構い無しに、時折赤色の飛沫を散らしては彼が命を縮める。
「〈君にプレゼントを贈ろう。心して受け取ってくれ給え〉」
「触れるな!!」
「六華の欠片!?―――!!?」
魔王が決定的な隙を見せた。突如として方向転換した魔王の隙を突き、背後に回った彼が魔法の杖を突き刺して横っ腹に血塗れの花を咲かせる。
だが、苦肉の表情を浮かべたのは彼の方であった。二人して視ていたのは私の右眼。二秒前に投げ込んだ六華の欠片が風景を切り裂き、濁し、歪ませて。
「ゔっううー、!!!」
(欠片が、目の中に!?……違う、これは)
六華は六つの欠片に砕けた。硝子片のような透明な欠片は魔王が一つ、彼が四つ、そして最後の一欠片は
「あの時……」
「カサネ!避けろっ!!!」
「ーっ」
「〈グブブブ。魂の叫びほど心地良いものはない。其処には矜持も倫理も無い〉」
答えを押し退けたのは彼の悲痛な叫び。切り裂かれた風景の中で私を突き飛ばした彼に血塗れの花が咲く。真っ赤な香りが鼻孔に侵入する頃には彼は、地面に倒れて血反吐を吐いた。魔王の傷と同じ箇所、されど幾許強く彼を苦しめる。
よくよく見ると喉元にも花を咲かせており血潮が気管支を圧迫しているようだった。このままでは数分も経たぬ内に、取り返しのつかない事になる。
そんなの、絶対嫌だ。生きてる彼に会いたくて此処までやって来たのに、見たくない。命の途絶える様など見たくない。腰の抜けた私は地面に広がる生き血の生温さを感じながら、心を冷やす。
「〈君は今、楽園の入口に立っているのだ。もっと喜び給え〉」
「嫌だ。私は彼と明日を迎える」
「〈私は心の底から願っているのだ。魂の解放を。法に、或いは環境に因って、閉じ込めた魂の輝きを取り戻したいのだよ。カサネ……魂が震えているぞ、抑圧された精神を今こそ解き放て〉」
「……」
(親は言った。貴方は気持ち悪い、普通じゃないと。……本当は笑い方を知っていた筈なのに普通じゃないと決め込んで、思わされて忘れてしまった)
魔王は斯く語り、物語の核になろうと大手を振る。魔王の言葉、だからじゃなくて私を理解して大振りするから、思わず見てしまう。右眼が疼く、欠片が突破ろうとしてくる。苦しい、なんて怖い魔王なんだろう。
「カサネ」
「……」
「〈さぁ亡国の救世主よ。欠片を揃えて見せろ。六度目の殺人鬼よ〉」
「欠片が揃ったら負けるのは私が、貴方に」
「……、僕はただカサネを救いたかった。……初めて出逢った日から今日まで、せめて貴方にだけは笑ってほしかった」
心が彼の声に振り向いた。掠れて呼ぶ声に愛しさを隠せなくて、魔王を見るのを止めた。
彼の懺悔は此処で途切れたのだが、右眼の欠片が彼の魔力とリンクして、見せてくるの、彼の貴方の過去と未来を―――。
_______________________
最初は故郷の死だった。陽気な街で、哀しみに無縁な街が魔王軍の侵略により明日を見ない荒れ地になった。
子供だった僕は名前も覚えていない誰かに守られて傷が完治する頃、孤児院に居た。偶然か必然か、魔法に対して適正が高い僕は魔法学校に通い始めて、魔力を研鑽した。亡骸に抱かれる子を見たくないが一心で研磨し、卒業を待たずして魔法使いの称号を得た。
人の温もりを求める事を憚り、暫し単独で魔物退治に勤しんでいたが僕の活躍を聞きつけたらしい青髪の男が微笑って手を差し伸べた。とても温かく傷の多い手だった。
男には仲間が居た。戦士の男と僧侶の女の三人で魔の根城を目指しているのだとか。彼等は兎に角強かった。向かう先負け知らずな僕達に国王陛下は遂に、魔軍討伐隊の称号と青髪の男に勇者の褒章を与えた。
正式に踏み出した一歩目は重々しく、断崖絶壁に追い込まれたような感覚であったが道中の細やかな幸福を、僕は忘れない。
立ち寄った村での魔物騒動。聖剣騒動。盗賊の果し状に魔幹部との激戦。ニセ勇者を救った事もあるし収穫祭は楽しかった。戦士と僧侶の教会未遂事件や勇者の決裂事件、魔法使い達の昇級試験なんてものもあった。
廻り巡る過ぎ去った時間が懐かしく寂しく思う。そうそう忘れちゃいけないのが二年後、無限迷宮。仕掛け絵本に迷い込んだ様な迷宮に苦戦して帰れなくなるかと思ったよ。辿り着いた宝物庫に眠る預言書を呼び起こして、魔王と六華の関係性を知る。
其処からは夢中で六華の欠片を探した。紆余曲折の末、集う力の結晶に希望を見出した。勝てる、僕達は戦える、魔王城はもう目の前だ。
魔王城ともなると末端ですらツワモノ揃いで永らく他種族が踏み入れない訳だ。けれども勢いづいた僕達を止める者は居ない。勝って勝って勝ちまくって、ようやっと魔王城に乗り込んだ。
不気味に気配が途絶えた城内、瘴気を浄化する僧侶を守りながら駆け上って時に降った。
僧侶が死んだ。
「〈君達が創めた物語だろう?驚くなよ〉」
倒した魔物の腐敗臭に紛れて放たれた一撃は僧侶の加護を射抜き、心臓を穿いた。回復魔法を掛ける間もなく現れた魔王によって僧侶は死んだ。
血涙を流す戦士に唇から血を流す勇者、再び姿を消した魔王。僧侶の死は二重の意味で痛手だった。せめて美しい亡骸のままで、と温もりを手放した。
魔王城に出口は無い。城門は堅く閉ざされ退廃の空気を閉じ込める。蝕む瘴気を払拭する光属性の魔法はとても負担が大きいけど、此処が正念場だと思い込んで、僧侶の想いごと繋ぎ止めた。
せり上がる階層に心ばかりが浪費され、精神的にも肉体的にも限界は近かった。だけども正面を向けば玉座の間。
戦士が死んだ。
「〈人を殺すのに、愛は最適解だ〉」
玉座へ辿り着く手前、魔物の質が変化した。次第に形を変容させ人の皮を被る魔物達、そう死霊使いが潜んでいたのだ。死した魂を使役する死霊は、事もあろうに僧侶の魂を潰した。
死霊となって襲いかかる僧侶に戦士は相対し、躯を抱き寄せた。傷付いた体で傷付けぬように優しく慈悲深く、勇者を玉座に先行させ戦士は願った。魂の消滅を。
血を飲み込み苦し紛れに息を吐きながら、それでも僧侶を離さず。二人の魂が穢されぬよう僕は魔法を掛けた。とびっきりの愛の魔法を。
慟哭を上げても返ってくるのは無慈悲な灰燼。疲弊し切ったこの体を動かすものは魔力でも責務でもなく、子供じみた意地。不浄を晴らす光属性の魔法を途切れさせぬ為に、動かない足を動かした。人を陥れ、欲望の果てに世界を壊す魔王を殺す為に、僕は玉座の間へ踏み入った。
酷い顔をしていたと思う。僕だけの合流に口数少なく勇者は手を差し伸べた。彼の温もりが僕を生かして、泣かした。
勇者は聖剣を携え、魔王と血を交える。六華の発動には詠唱と精神統一が必要だ。勇者が魔王を引き付ける間に魔法使いは魔力を高め続ける。そして、魔法使いの準備が整う間に勇者は魔王の全力を受け止め続ける。
既に光属性の加護は消えているのに、勇者は止まらず。片腕が消し飛ぼうとも腹に風穴が開こうとも、両足が捩れようとも、魔王を受け止め続けた。
狂気じみた勇者の行動に遂に魔王は圧倒される。半永久的な魔力、他者を一方的に嬲れる攻撃性、光でありながら誰より闇が似合う姿に魔王は慄き、勇猛果敢な彼を認めた。
認めたからこそ、その一言が勇者の攻守を狂わせた。
「〈魔の力に触れた君達は死んだも同然〉」
浄化し切れない瘴気が膿となり僕達の体内を喰い破るまで後―――。
六華発動の瞬間、魔王が嗤った。聖光なる輝きが玉座の間を覆う中で、吐き出した血は不浄であった。
勇者が死んだ。
「〈勇者がこれほどとは。予想外だった〉」
六華は不発した。数秒遅れで気付いたのだが、勇者は最期の力で僕を守って生かして泣かしたのだ。最後の最後で命を優先した勇者を、誰が責めよう。魔王か?魔王でさえ勇者の行動は讃えた。人を理解せず、勇者を理解した魔王は六華を砕いた。
刹那、衝撃波より速く魔法使いは走った。足掻いて藻掻いて、溺れようとも呼吸を続けた。とっくの昔に消し飛んだ命を無理矢理繋ぎ止め、地獄の底で劈く。
明日を鑑みない雄叫びに劣勢を悟った魔王は逃走の選択肢を視野に入れるが、此処は魔王城。逃げられはしない。
「六華発動―――!!!!」
「〈馬鹿な。不完全で放つとは……!〉」
不完全で良い。僕がどうなろうと良い。明日が見えなくても良い。僕はただ、人生を懸けた洗浄をしているだけなんだ。
何の為って?そりゃあ……………………………?
闇を切り裂いた光の導が聖剣を飲み込む。魔力同士の衝突、六華の不完全発動。極限までに高められたエネルギー体は魔王の肉体を崩し、魔法使いの魔力を奪い、異次元の空間を創り出した。
これで魔王諸共、消滅するのだと思い込んで馬鹿みたいに安心したんだ。
『貴方は誰?』
二週間前、カサネに出会った。
疑り深くも近付く彼女が、異世界の人間だと気付いたのは彼女の話を聞いてから。魔王も居ない、魔法も無い、僕だけが違う世界が羨ましくて、苦しくて、嫌いだった。
『そんな目で見るな』
一週間前、カサネは会いに来るのだ。
まだ名前も知らなかった頃の少女が羨ましくて、嫌いだった。平和なこの世界で、明日が来なければと云う少女が嫌で突き放した。
「……」
「〈気付かなかったかい?少女の瞳に〉」
カサネが死んだ。呆気なく、死んだ。血溜まりに浮かぶ欠片。六華が揃った、魔王を消滅させる事が今、出来る、のに僕の魔法は、馬鹿な選択をした。
「初めまして?」
二週間前、カサネに出会った。
三回目、
「来るな」
『来るよ。貴方が笑えるようになるまで』
十回目、
『最初から殺しておけば出逢う事も無い。何もかも終わり、嫌いだ君が』
「……」
二十三回目、
「どんなに小さくても良い。願って」
『この庭いっぱいに花が咲いたら私は明日を笑えるようになる。そんな気がするんだ』
六十六回目、
『明日が来なければ良いのに」
「本当に?僕は今日を笑えないカサネに明日、笑っていてほしいから。目を瞑って』
?回目、
『私はカサネ。貴方の名前は?』
「僕はルイ」
??回目、
『訊いてもいい?貴方は何の為に魔王と戦って傷付いているの』
「……?」
???回目、
「明日、笑っていたかったんだ」
『私も笑いたい、貴方の隣で。私、貴方が』
_______________________
『僕は預言者さ。明日、世界が滅ぶ』
頬に伝う熱が、実は熱を冷ます雫だったと遅れて気付いた。魔力の欠片が何度も何度も何度も、風景を描いて何も無かったように白紙に戻す。長い道程で漸くルイ君の真実を知れて、嬉しくてやっぱり嫌だった。
私達って何処か似てるかもねって喋りたいのに今、口を開いたら涙を止めるものが無くなってしまうから頷くだけで伝わらない。
「そう、似てるね」
「……!」
狡い人。時を遡る、時空間に干渉する程の魔法は貴方の体を傷付け罅割れていく。繰り返す懺悔と告解に、淀む純銀白の瞳。私を映さない瞳は今、何が視えているのだろう。
「〈サァ。少女カサネ。運命は君の手に在る。愛しい彼を救いたくば愛を選択しろ〉」
(私が欠片を取れば、私が死ぬ……このまま何もしなければ彼が死ぬ。救えるのは私、だけ)
「死なせたくない。貴方に明日、笑っていてほしいから」
「カサネ……魔王の言葉は聞かないで、あれは支配したいだけの偽称だ」
「けど、私の未来一回で優しい貴方が解放されるなら、そうしたいの。貴方の傷ごと持っていくから……長く生きてほしいから」
「!」
運命の二者択一。何度目だろう、私は何度貴方を選ぶのだろう。頼りない口先が私の選択を咎めるも無意味だと悟ったのか、次第に言葉を無くしていく。
彼から目を逸した私はその先の十秒間の秘跡を知らない。血に塗れた萎れた花が彼に光を与える。銀翼の魔法使いに微笑みかける。
(そうか、そうだったのか……何でもっと早く気付かなかったんだ……救える、カサネの明日を―――)
「ごめんね。……ぅゔ〜っ!!!」
「〈欠片が体内に入った。勝った!我が支配は揺るがぬ天命〉」
彼の心の変化に気付かぬ私は少しだけ身を捩らせて倒れ込む彼の手を握った。瞬間、瞬く彗星が右眼に宿る。六つの欠片が収まる右眼は瞬く度、光の雫を落として私の悲しみを体現する。熱は感じなかった。冷え切った体は夜に張り付いたままで、
「カサネ、ありがとう」
「なっ……何して」
「君の選択が君自身を生かす。僕はもう迷わない」
「―――!!」
魔王がしめたと嘲笑したと同時刻、コンマ数秒違わぬ時中、熱を感じた。とても弱々しく直ぐに掻き消えてしまう様な微熱が、埋めく冷気を逃した。
動けない筈の彼が目の前に居た。張り付けの体を組敷いて彼の熱が私に覆い被さる。生温い血の海に仰向けになる私は、どうして、涙が止まらない。一等星の様な瞳が私を見つめている、私の右眼を見つめてる。
「〈また、同じ事をしたね。然し一手遅い〉」
「同じじゃない。もう同じじゃないんだ」
「〈何だと?これは……!?〉」
「花がらを摘む様に、カサネの右眼の光を摘む」
「!」
「ずっと勘違いしてた。君を救いたい一心で、揃ってしまった欠片に絶望して罪を重ねた。けれど、違ったんだね。長く花を咲かせる為に、命を繋ぐ為に花がらを……六華を摘み取る」
「っ!」
今にも崩れそうな右手が頬を撫でる。慈しむ様に、悲しむ様に、擽ったい感触に思わず千切れかけの袖を掴む。赤色の液体が制服を汚して、身動ぎすれば素肌が跳ねる。スルリと擦る掌が目元の涙腺をなぞって、フッと微笑を零した。表情筋を動かす体力も無いだろうに安心させるように、笑っていたんだ。
魔王に聞こえない声量で呟いたのは二人だけの花園。ふと綻んだ"花がら摘み"。満開の六華が私の体を蝕む前に、丁寧に繊細に、コンタクトレンズを外すように彼の手が私の右眼に侵入した。
「僕を選んでくれてありがとう」
「〈馬鹿な。何をしている〉」
「……体が、貴方の体が保たない。私は貴方を失う為に貴方を選んだんじゃない……!」
「〈そうだ。命が惜しくないのか。死ねばカサネとの明日が消える事になるのだぞ〉」
「愛を利用するお前が聞いて呆れる。大切な人の為ならば、僕が隣にいなくとも笑っていられるなら、命など惜しくない。そうやって皆死んだ。……勇者も戦士も僧侶も、人を愛した。だから命を賭す事を厭わぬ」
まるで激薬だ。種を繋ぐ為の求愛は、人の知性と結び付き深層心理を支配する。愛によって産まれても愛されず、時に裏切られる事も救われる事もある。用量以下の愛は、愛とは言えなくて大きな愛は厭に恐ろしくて。
立ち上がった側から罅が広がる肉体に、のしかかる愛は余りにも大きく重く、貴方を盲目にする。
「〈まるで愛の奴隷だ。雁字搦めで自由である筈の魂が悲鳴を上げている〉」
「柵を乗り越えていくのが人だ。世情だ。魔王よ愛を利用するには理解が足りなかったな」
魔王の顔が醜く歪んで怒りに染まる。愛の最適解を知らぬが故に魔王は其の身を滅ぼす。長ったらしい詠唱は二週間前に済んだ、隣に居た彼が魔王の背後を取って花飛沫を放つ。それ自体に威力は残っていないが、刹那の晦、六華を上空に打ち上がった。
同時に見やる魔王と私。霞む視界では光が魔王を撃ち抜いた光景が辛うじて伝わるのみで、機能が壊れていく。
「〈私は、私は……こんな、この程度で消滅するものかッ!ぐぁああああー!!!〉」
「はぁあああーーっ!!!!」
夜空に咲く六華が光を伴いながら魔力を飲み込む。消滅魔法が発動されたにも関わらず俗世の執念、支配の根源に囚われた魔力の塊 魔王は闇夜を連れ込み光を蝕む。光属性の魔法を使い熟す彼は六華の守護者として魔王の肉体を打ち滅ぼしていく。自らの体と魔力と命を犠牲にして。
―――魔の欠片が消えた暁、純銀白の空間が空き家を仕立て上げる。何処でも無い無の空間に彼が居た。瓦解する体を抱えた彼が。汚れ一つ見当たらない制服を翻して私は彼に近寄る。少し、近過ぎるくらいに。
『カサネ』
「行ってしまうの?」
『ごめん』
「折角会えたのに」
『また会えるよ。必ず』
「それは預言者としての言葉?それとも魔法使いとしての言葉?」
『どっちだろうね。もう自分が解らない』
「貴方を助けたかった。これ以上傷付いてほしくないの」
『うん。伝わってる。ごめん、きっと会いに行くから』
「じゃあ最後に一言だけ」
自分は行くなと言っておいて、明日には消えてしまう彼を本当は行かせたくない。折角上手く顔を作れるようになったのに、見せる相手が居なくなってしまう。
傷の無い顔が愛しくて、触れたい衝動を抑えて愛の言葉を伝えた。私は二週間前からルイ君の事が、ずぅっと。
「ルイ君が好きです。初めて出会った時から今日までずっと大好きです」
『……』
「?私の気持ちもお見通しでしょ」
『いや、えっ知らな……。本当に…………?』
「〜〜〜っ何で急に純情ぶってるの!?本当だよ好き好き好き!!伝わった!?!」
『〜〜っ、んん、伝わっ…僕も、好きだ』
「待ってるから」
『待っていて。明日、笑っていて』
「約束だよ」
『約束だ』
下手な作り笑顔がすっ飛んで、ルイ君は顔を赤くした。それはもう純情めいたトキメキを爆発させて。経験豊富そうな指の絡めが、嘘みたいで釣られて私まで赤赤と沸騰する。貴方と居ると可笑しくなる!私が私でなくなる!
矢継ぎ早に息を切らせば漸く伝わったみたい。愛の奴隷?自由の尊厳?人間はそれほど高尚な生き物じゃない、哲学的な言葉で包めようとも人間は結局只の獣だ。少しだけ、選択肢の多い獣だ。
消えゆく肉体に触れる魂が多く、私を視ていた。青髪の男が、筋肉質の男が、淑やかな女が、ルイ君を優しく抱きすくめて、私に笑いかけていた。それはそれは素敵な笑顔だった。
またね。また、明日。
_______________________
_______________________
世界には預言があって、昨日滅んだ様だ。
明日、親に愛想を尽かされた。
四年後、将来の夢に向かって走った。
八年後、久方振りに地元を訪れた。
何時かの災害で空き家は崩壊したそうだ。買い手の付かない家は解体された。何も残ってない、何もない土地を態々戻って来て買い取るなんて私って相変わらず可笑しな人。
荒れ放題な庭を前にガーデンデザイナーの血が迸る。何処から手を付けてやろうか。花卉栽培農家としても此処は見過ごせない花園である。
私には友人と呼べる人が居ない。将来も何もなかった頃、選択肢ごと捨ててしまったんだ。けれど、見上げた真昼の太陽は私を小さく照らす。夢も希望もある若者と変わりなく照らすのだ。
世間では何が流行っているのだろう。軍手と作業服で叢と格闘する私を笑う制服姿の彼女達はお揃いのキャラアクセを鞄に付けてる。それが流行りなのかな。
「今日の作業はこんなものかな」
(早く)
あの夜の日以来、右眼がよく見えない。弛んだ涙腺が余計な涙を誘う。彼が居た記憶は嘘じゃないって云われてるみたいで本当はちょっぴり嬉しかったりするのだけど、泣いてばかりじゃ説得力ないか。
緑の草っぱに寝転ぶ。眩しくて少し目眩がする。ねぇ、私待ってるよ。上達したんだよ笑顔の作り方、だからね――。
「早く明日にならないかな」
預言者でも魔法使いでも無い彼に、
『初めまして』
もう一度、出会えたなら。
_______________________
_______________________
_______________________