あいわんだー
──「はーあ。嫌だわ、今年から合同教室なんて」
──「ええ本当に。教室が獣臭くなってしまいますもの」
何処からかそんな声が聴こえてくる。
あっちでも。そっちでも。
ここは王立学園。
広大な敷地には貴族棟、平民棟とあり、其々中等部・高等部がある。
貴族棟では伯爵家から上の家格とその下とでクラス分けされていたが、つい2年前に廃止された。
時を同じくして平民棟でも廃止されたものがある。
それは獣人との差別化だった。
獣人は10年前まで奴隷として扱われていたが、奴隷制度の撤廃により学園への入学が許された。ただ平民棟でもクラスは分けられ、差別意識が薄まるのには時間を要した。
獣人が学園へ入学し6年が経った頃、ちょうど生徒が代替わりしたときだ。優秀な獣人は平民と同じ特待生クラスへの進学が許されたのだ。
そして2年前──、そもそもの平民と獣人のクラス分けを撤廃。
ついに今年は平民棟と貴族棟の撤廃ときた。
時代は目まぐるしく変わる。
10年前まで奴隷だった獣人と、“それ”を扱う貴族が同じ教室になるのだ。
親の思想に強く洗脳される貴族棟では、不満と反対の声が上がるのも当然だった。
「はーあ。全く。嫌ですわ、みっともない。お国を良くしようとなさっている陛下のご意向なのに。それに不満を漏らすなど謀反と同じです! ね? ロゼッタ様?」
あちこちで聴こえてくる声に私のお友達が言う。
ロゼッタとは私のことだ。これでも一応公爵家の長女。
お友達が周りに聞こえるよう言ったので、暫し時が止まった。
「うーんそうねぇ……変化を嫌う方、ただ単に変わることが怖くて不安な方もいらっしゃるでしょうから一概には言えないけれど、ただ、その変化で成長できる人間で私はありたいと思うわ」
「!! くぅう……! なんとご立派な淑女でしょう!」
「さすがロゼッタ様ですわ!」
「やはり殿下の婚約者はロゼッタ様しか居りませんっ!」
「もう。ただの候補だって言ってるじゃない。貴女だって候補のひとりでしょう?」
「いいえいいえ、わたくしにはもうロゼッタ様が王妃になった未来しか見えておりませんもの! そして開かれた茶会でもその横にはわたくし達……はぁ……すてき……」
「んもう」
そう。由緒ある公爵家に生まれた私は、その生を受けたときから王家に嫁げるようにと教育を受けている。殿下とも親しくさせていただき、第一候補、むしろ他に候補者居たっけなとも囁かれている。殿下と同い年なのも余計よね。
全く迷惑な話だがこれが貴族の務めだとも分かっているから世知辛いもんだ。
一時よりはまだ良いほうかもしれない。それこそ10年よりもっと昔は王家に嫁ぐことが決まっていただろう。
そうじゃないだけよっぽどマシだ。父も他に好いている殿方がいるなら無理をするなとも言ってくれているし。
生憎そんな殿方は居りませんけれど。
それに眉目秀麗でありながら整ったお顔にスラっとした体躯、おまけに紳士な殿下を超えてくる男性などそう居ない。
なんてったって誰もが憧れる『王子様』なのだから。
「さっ、皆さんそろそろ移動しませんと良い場所が取られちゃうわ!」
「そうですわね! 今日は身体なんて殆ど動かしていないのに不思議ね、お腹がとってもペコペコなのよ」
「ふふ、キャロライン様ったら本当に食いしん坊なんだから。けれどわたくしも食堂のメニューに市政料理が追加されたって聞いてワクワクしてますの!」
「羨ましいですわ! 今日が月曜じゃなければ私も皆さまと食堂へ行ったのに!」
毎週月曜日。殿下の婚約者候補である私は、親交を深めるため生徒会室へお邪魔する。
本来ならメンバー以外の立ち入りは断られるが、公爵家長女として真摯に、丁寧に、生徒会メンバーと交流を図った結果だ。
学園に入学して最初は雑用係だった殿下も、この年、高等部2年から生徒会長となった。
恋とか愛とかよく分からないけれど、殿下と過ごす時間は穏やかだと感じる。
このまま、何事もなく時が進めば、きっと私は殿下の婚約者となるだろう。家や国のことを踏まえても、安全牌だと思う。
だから私はランチボックスを持って、今日も殿下の元へ向かうのだ。
見慣れた中庭の廊下を歩いていると、見慣れない顔ぶれの女性たち。
恐らく平民の方たちね。私を視界に捉えるなり「わぁ……」と呟いている。
本物の淑女は、ただ歩いているだけでもオーラが違うと家庭教師の先生が仰った。
私もきちんと淑女に見えているかしら。
「ごきげんよう」
「ごッ!? ごごごきげんよう……!!」
「ごごめんあそばせッ!」
「ちょッ、絶対それ違うからッ……!」
「へあッ!?」
「ふふふっ」
通り過ぎると小声で、「ちょっとーー……! アンタのせいで笑われちゃったじゃないのー……!!」「だッ、だってぇー! あんな挨拶されないじゃんフツー……!」なんてやり取りが聞こえる。
元気があってなんだか良いわね。
クラスの発表は午後からだけど、彼女たちは何年生かしら。獣人の方はどれぐらい学年に居るのかしら。
新しい時代が始まるんだと考えると思わず鼻歌を歌いたくなってしまう。
「あ」
鼻歌を歌いたい気分だったのに、目の前を同じ方向に歩いていく人物を見て、そんな気分も沈んでしまった。
彼女も同じく殿下の婚約者候補のひとり、侯爵家のご令嬢だ。そして周りにはお友達、もとい取り巻きのご令嬢方。
先ほど「謀反と同じよ」と言っていたお友達のニコル様が大嫌いな相手である。
何を隠そう私も彼女が苦手なのだ。
自分より下だと思う相手には隠すことなく見下して、私に対しても『己の方が婚約者に相応しい』『貴女は殿下の好みを理解していない』などと遠回りにマウントを取ってくる。
相手するのも面倒だし、それより何より相手に対して敬意がないのが一番残念。
お父様が奴隷商を営んでいたが、現在は奴隷禁止法に基づいて派遣会社に転換している。
しかしまだまだ差別意識が強いらしい。
因みに彼女の家は元々伯爵家だったが派遣会社に転換した際、王の印象があまりにも良かったため侯爵へと格上げされた。
確かに、ただただ使われるだけの奴隷だった獣人を、まるまる労働者として雇用するのだから良いモデルケースだろう。
獣人は私たち人間よりも体力があるし丈夫だし、動体視力が特に良い。欠かせない労働力なのだ。
派遣されている仕事内容に嘘偽りが無いかはいささか心配だけど。
とまぁそんなことより彼女と顔を合わすと絶対面倒なことになる。
ましてや殿下と共にランチを頂こうと向かっている最中だ。
気付かれないようにもう少し距離をとって歩こうかしら、なんて考えていたその時──。
目の前を歩く苦手な彼女に、横から出てきた男がぶつかった。遠くからでも耳と尻尾があるのが分かる。
獣人だ。
──「きゃっ、何よもう! 前見て歩きなさいよ!」
相手が誰であるかとか謝罪とか心配よりも先に、相手を責める言葉が即座に出てくる彼女。さすが。
対してぶつかった獣人の彼は、「悪い」とひとこと。
たったそれだけの謝罪にまた腹を立てた彼女はキッと睨みつけると、直ぐ様「ひっ!」と声を上げる。
──「やだ! 制服が獣臭くなってしまうじゃない! 穢らわしい!!」
明らかな獣人差別。
同じ貴族として学園の生徒として、人間として、恥ずかしかった。
騒ぎ立てる彼女を横目に、彼は黙って通り過ぎてゆく。
謝らなければ。
彼女の代わりに。
貴族が皆、ああも差別的な人種だと思われたくない。
だから此方へ段々と近付いてくる彼に、「あの」と声を掛けようとした。
でもその先の言葉が出てこない。
シルバーの少し癖のある髪、ぴんと立った人のそれとは違う耳。歩くたびにゆらゆら揺れるふわふわの尻尾。髪と同じく銀の鋭い目付きは、狼そのもの。
きっと雪がよく似合う。
彼という存在を心に捉えた瞬間、本当に時が止まった。
否、心臓が止まったの間違いかもしれない。
スラリとしなやかに歩く姿に目を離せなくて。
この世界全てがスローモーションに見えてしまう。
あまりにも私がジッと固まって見つめるものだから、怪訝そうな顔をして睨まれた。
お前も差別するのか俺が汚いんだろ、みたいな、そんな感じに思われたかも。
睨まれて睨まれて、私の横を通り過ぎてゆく。
差別をした彼女のときみたいに。
違う。
そんなこと思わない。
待って。行かないで。誤解しないで。
わたし、私は──、
「──あ、ああああの……!!」
「チッ、……んだよ」
舌打ちをされた。
人生で初めて。
ポケットに手を突っ込み怠そうに返事をする彼。
文句があるなら、と言いかけている。
違うの。
文句なんか言いたいわけじゃないの。私はただ──、
「すすす好きです──!!」
「は?」
は?
あれ?
私は何を言って??
「……からかうのもいい加減にしてくれ」
「違ッ! あのっ、あのっ……! 一目惚れをしたんです!!」
──!!
そうか!
わたし一目惚れをしたのか──!!