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太陽を抱く君へ  作者: 雛子
第1章 ムノの娘
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王都テーベ


 ムノでも祭礼は行われているが、テーベでは1年で60回以上の祭礼が存在し、数日間だけのものもあれば、数週間続くものも存在する。勿論神官や王族たちのみで行われる神々の神聖なる祭礼もあれば、一般庶民も巻き込んで盛大に行われる祭礼もある。

 今回の美しき谷の祭りも王族から一般庶民までが参加できる代表的なものの一つだ。


 母とメティトに見送られ、アネンと父と共に多くの従者とラジヤをつれてムノの屋敷を出たのは昼頃のことだった。

 アイに関しては懇ろになっている女性のところに寄ってからテーベに向かうらしく、出発の日の早朝に、挨拶だけをして出て行ったという。一体あの兄のどこがいいのかと首を傾げてしまうが、変人だと言われている私には考えても分かることではないのだろう。

 道中は砂嵐もなく、空はすこぶる快晴で、まるで今回の祭りを神々が祝福していると言わんばかりだ。

 さすが軍人の長である父は背筋を伸ばして馬に跨っており、その嫡男である兄も同様だ。

 馬で行きたい気持ちは抑え、今回のテーベまでの道のりは大人しく輿に乗り込み、時々ラジヤを呼び込んでは、会話をして暇を潰しつつテーベへの道を進んでいった。




* * * * *




 二日かけて到着した念願の王都テーベは想像以上に華やいで、壮大で、賑やかだった。

 我が国の信仰の中心地として尊敬と憧れを集める、最も裕福な、王の治める大都市。

 どうしてもとせがんで輿から降りることを許してもらうと、上着を羽織ってから兄の馬へ移動し、兄の後ろに乗って進んでいく。

 門をこえて馬の脚がテーベの地を踏みしめた瞬間、私の視界は地面も見えないほどに人々で埋め尽くされ、あちこちから賑やかな歓声が溢れて溺れてしまいそうなくらいになった。輿からではこの活気を目の当たりにできなかっただろう。輿を降りて良かったと自分の判断を褒め称えたくなくなる。


「ああ、すごい!なんて大きな都市なのかしら!ムノとは全然違うのね!」


 胸が高鳴って仕方がなかった。

 馬上で風を浴びながら人々の声の賑やかさや、どこからか聞こえてくる音楽を全身で聞く。上着も何もかもを放り投げて走り出したくなるくらいに気持ちが良かった。

 ムノも大都市と呼ばれるところだが、テーベは別格だった。


「ここはファラオがいらっしゃるテーベだからな」


 馬で私たちの前を行く父が満足そうに答えてくれた。


「お嬢様!上着はしっかり被っていて下さいね!」


 私達のあとを追いかけるラジヤが声をかけてきた。わかっているから大丈夫と返事をして、上着を被り直しながらあたりを見回す。

 本音を言えば、上着なんて脱ぎ捨ててしまいたいくらいだった。身体全体でこの賑やかな都の空気を感じたい。


「どこを見ていてもわくわくしちゃう」


 生まれ育ったムノとは全く違う光景が広がっている。見たことの無いものに溢れ、聞いたことのない楽器の音色がどこからともなく流れてくる。

 美味しそうなパンの焼ける匂いに、ハスの花の香り。様々なものを並べ売る商人たちで埋め尽くされた大通り。子供たちが楽しそうに犬を追いかけて走って行く無邪気な足音。何かの遊戯だろうか、若者たちが宙に飛び上って一回転して着地したりなど、こちらが驚くような芸をやって見せて歓声の中得意げに胸を張っていた。


「ねえ、アネン兄様、あれは何かしら。たくさん人が集まってる。ほら、あそこ」


 とある人混みが気になり、兄の背を叩いて指で示した。


「ああ、あれは異国の商人たちが店を開いているんだよ。珍しいものをよく持ってきてくれるから人だかりが出来やすい」


 兄ははしゃぐ私を落ち着くよう宥めながら話してくれる。私が馬から飛び降りやしないか冷や冷やしているようでもあった。


「見て。あそこでも何かやってる……あっ、剣術の試合ですって!楽しそう!見に行ってみましょうよ」


 男たちが「今から剣術の試合を開催する」と大声をあげているのに気付いて提案したものの、それを聞いていたらしい父が毅然としてこちらを向いて首を横に振った。


「立場を弁えよ、ティイ。我らはあのようなところで紛れる身分ではないのだ」


 兄が口元に指を当てて「これ以上何も言わないように」と仕草で私に念を押してきた。背後を振り返れば、ついて来ているラジヤも同じように目で私を窘める。

 肩を落として、過ぎていく光景を眺めた。

 武術はするのも好きだけれど、見るのも好きだ。父と兄とで観戦できたら楽しいだろうと思っても、父はそれを良しとはしないらしい。よく考えてみれば、昔から自らの武を誇りにしており、加えて身分に関して一際厳しい父が、民衆の武芸など見るはずがなかった。


「さあ、テーベの我が屋敷だ」


 父が自慢げに降り立った、王宮近くにある屋敷を前に一族一行の馬たちは止まった。父とアイがテーベで過ごしていると言う我が一族の屋敷に、ついに到着したのだ。今日は明日の祭典までここで身を休めることになっているが、ムノの屋敷よりも新しく、豪華な装飾が成されており、こんな立派なところに入っていいのかと躊躇うほどだ。


「すごく立派なのね……」


 あんぐりと口を開けたままそう零すと、兄は身体についた砂を払いながら相槌を打った。


「そうだね。多分、王宮の次に大きいのではないかな。ティイは一度だけ来たことがあるはずだよ」

「5つの頃だもの、覚えてないわ」


 屋敷の入口にはすでにアネンの妻と屋敷の侍女たちが待っており、私たちの姿を認めるなり恭しく挨拶をした。

 アネンは一度妻の実家にも赴き、その後に王宮にテーベに戻った旨を伝えてくると言って妻を連れて出て行き、私は落ち着く暇もないまますぐに着替えさせられ、屋敷の広間で父の隣に座っているよう命ぜられた。何でも他の軍事に関わる一族が父に挨拶に来ると言うのだ。

 座椅子に腰を埋めながら気付かれない程度に肩を落とす。これではテーベの街には行けそうにない。


「イウヤ殿、大変ご無沙汰しておりました」


 一人の中年の男性が私たちに敬意を払いながらそう述べた。いくつか言葉をかわして次の人がやってくる。

 皆、父が率いてきた軍の人々やその家族だという。

 会話を傍で聞きながら、向けられる笑顔に笑顔で返すものの、もうすでに顔が引きつっているような気がしてならない。

 これで何人目なのか。目まぐるしくやって来る人々の多さに、この時間が永遠に続くのではないかとさえ思えてくる。


「イウヤ殿は、明日はどちらの方へ出席されますか」

「明日は王宮へと行き、ファラオの後に続いて参る予定だ」

「さすがはイウヤ殿。ファラオのお傍につくことができるとは羨ましい限りです」


 再び二言三言交わして次の人に入れ替わる。

 父はこんなにも偉い人間だったのかと驚いた。兄たちが言っていたのは大げさなことではなく、私の一族は自分が思っていた以上に高貴な身分らしい。長時間座っていることによる足の痺れさえ吹き飛ぶほどに、自分の置かれた立場がありありと私を飲み込んでいく。立場や身分ばかりが独り歩きして、私の思考が追いついていかない。

 なんだか目が回りそうだ。


「噂をお聞きしましたか。ファラオが病の床についていると」


 相手が声を潜めて父に告げた。父は険しい顔でそれに頷く。


「耳には入ってきている。いよいよ王子のご即位が濃厚となってきているようだ」

「あのミタンニ王家の血を引く王子が王となったら我が国はどうなるのでしょうなあ」

「血に関しては問題にするところではない。だがあの奔放な性格は問題になり得る。あの王子しかご子息がいらっしゃらないのだ。腹を括るしかあるまい」


 ファラオが病床とは初めて知った。この国の王が亡くなるなど想像もできない。

 そのご子息はただ一人だけ。エジプト王家から出る正妃ではなく、ミタンニ王国の王女であった第二王妃を母君として生を受けた、エジプト王家の血筋を持つ男子。将来この国の王になることを約束された唯一の後継者、アメンホテプ・へカワセト。

 父の話の中にあまり出てきたことはないが、年は私と同じ頃であったと記憶している。

 勇猛果敢で領土を広げ、国の安定を極めたファラオの第一王子であるにも関わらず、戦いなどに興味を持たない、のんびりとした方であると父が愚痴にも似たことを零していた。

 もし今のファラオが亡くなって、そののんびり屋と噂の王子が王として政権を握ることになったなら、この国の在り方は変わっていくのだろうか。


「そちらはお嬢様で?」


 こちらに声をかけられた気がして顔を上げると、来客の目は私に向いていた。


「末の娘だ」


 父が答えてから私も慌てて軽く会釈をする。他の来客もちらちらと私を見ていたが、直接声を掛けられるのはこれが初めてだった。


「随分とお美しくていらっしゃる。一番上の兄君に似ていらっしゃるのですかな」


 誉められること自体が今まで少なかった私はどうしたらいいか分からず身を小さくして、呟くようにお礼を告げた。


「私の倅も今回出席させていただきます。どうぞ仲良くしてやってください」

「は、はい……こちらこそ是非」


 テーベの都を訪れたい一心で父や兄についてきたが、どうやら他の出席者との交流もしていかなければならないらしい。この分では、私がやりたいことの半分もできないままムノに帰ることになってしまいそうだ。


 どうにか挨拶を終えた頃、遅れて到着した兄アイを迎える前に、慣れないことをした私は明日の祭礼での衣装を確認するなり、そのまま倒れ込むように眠ってしまった。



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