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太陽を抱く君へ  作者: 雛子
第3章 王宮

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迎え


 テーベに向かうの日の空は、澄み切った青さを湛えていた。

 いつもと同じように自分の部屋で目覚めて、それを察したラジヤが他の侍女たちと共に私の身支度を整えようと動き出す。ぼんやりとその音に耳を傾けていたら、部屋に差し込む太陽の明るさでわずかに瞼が震えた。あまりに変わらぬ日常の光景に、輿入れの話は夢だったのではないかと思ったものの、侍女たちが用意した輿入れのための衣装を見て、「私は今日この屋敷をでていくのか」と漠然と思った。

 この屋敷での最後の食事を家族に囲まれて済ませ、迎えの時間に間に合うように母に選んでもらった衣装を身に纏い、王子から送られてきたもので首元や耳元を飾り立てた。王宮へ持ち込む荷物をメティトとラジヤが確認するのを傍目に、父から王宮に入ってからの心得を聞く。要約すれば「問題を起こすな」「しっかりと責務を全うするように」だ。責務とはおそらく御子を産むことを言っているのだろう。

 ただ、こうしていてもあまり実感は沸かない。まるで他人事のように聞いてしまう自分がいる。この生まれ育ったムノの地を離れることも、この屋敷で過ごすことはもうないのだということも、なんだかうまく飲み込めていない。

 このままで大丈夫だろうかと不安はあるものの、ワクワクが止まらないでいるラジヤの明るさを見ていると少し安心した。


「王宮よりお迎えが参りました」


 そう侍女から告げられたのは昼前のことだ。

 今回のテーベへの輿入れには王家の兵と侍女たち、そして父の側近と長兄アネンが同行する。

 すべての準備を終えて、両親やわざわざ来てくれた兄たちに挨拶を済ませた。

 父は終始上機嫌で、アネンと母は少し心配そうながらも微笑んでくれて、アイは変わらずつんとしていたが鼻高々と行った様子の顔をしていた。

 ずっと世話をしてくれたメティトや他の侍女たちからも涙を浮かべながら「お幸せに」と声をかけられ、それに微笑んでお礼の言葉を返す。

 そうしてそのまま皆と共に屋敷の外へ向かった。

 気持ちは驚くほどに穏やかだ。

 幼い頃、母やメティトの目を盗んで駆け抜けた廊下。兄たちの剣術の稽古を眺めた中庭。こっそりと侵入して書物を漁った父の書斎。流れていく光景をひとつひとつ自分の中に焼き付けて進んでいく。

 そうして今まで当たり前のように過ごしてきた場所を通り抜けて屋敷の外へ出ると、ずらりと並んだ王家の兵たちと侍女たちが待ち構えていた。

 一糸乱れぬ列を成した王家の従者たち。一人の娘をテーベに連れて行くためだけに用意されたこの人数とこの仰々しさは、正妃を間違いなく王族のもとへ届けるためのものなのだと思い知るのに十分だった。

 風が後ろに吹き流れる。光景に圧倒されたままの自分の長い髪がそれになびいた。

 ここで初めて、「本当に私はここを離れる。そしてもう二度とここに戻ってこない」という言葉が現実味を帯びて私の前に立ち憚った。実感するのが遅すぎやしないかと自分に指摘したくなる。


 ──ああ、淋しい。


 ずっと誰にも言えなかった、隠れていた感情が急に顔を出し始めた。今母の顔を見たら泣いてしまうかも知れない。このまま生まれ育った屋敷の奥に駆け戻ってしまいたいような──。

 太陽の眩しさに目を細めながら感傷に浸っていると、一人見知った顔が私たち家族の前にやってきて礼を示した。


「イウヤ殿のご息女、ティイ様をお迎えに上がりました」


 王宮からの侍女を束ねて連れてきたのは、宰相の娘タニイだった。

 恭しく頭を下げて告げるその姿は立派な王家からの従者に違いなかった。


「タニイ!」


 緊張していたものの、見知った顔があって心底安堵し、思わず駆け出して彼女の手を取った。

 黒い上着を羽織った、すらりとした立ち姿は、とても凜々しく勇ましい。男性とも見紛うほどの長身が、背景の兵たちにとても映えている。


「ああ、良かった。どんな方が迎えに来るのかどきどきしていたの」

「私で安心した?」


 得意気に彼女は笑ってみせる。

 大きく何度も頷く私を満足そうに眺めて、タニイが凜々しく口元を綻ばせた。


「やっぱりティイは別嬪だね」


 自分がこれでもかと着飾っているのを思い出して急に恥ずかしくなる。少し身体を動かすだけで、金で作られた髪飾りや耳飾りが揺れて音を成した。


「ありがとう。お母様や侍女の皆と選んだの。変じゃないかしら」

「こりゃ王子も喜ぶよ」


 そう言われて、王宮で待っているという自分の結婚相手を思い出して、更に気恥ずかしくて身を小さくした。

 未だに今まで会っていたあの青年が王子という事実が自分の中で上手く結びついていない。これから知らない人に会いに行くような心地だった。


「……タニイは王子殿下のことをよく知っているの?」


 おずおずと気になっていたことを尋ねた。

 この前会った時は話す間もなくて、結局今も王子と知り合いらしいということしか知らなかった。


「知っているも何も、王子なら子供の頃からよく顔を合わせる仲だよ。一緒に学んだし、遊んでめっためたにしたこともある」


 ヘルネイトも王子のことをよく知っているようだったのだから、宰相の娘であれば、王子に会う機会はあるのだろう。私だけそういう機会がなかっただけで。


「あいつが私に会うのを嫌がるのも分かる。私に負かされたことを悔しがって、それを私がよくからかってたからね。ティイに自分の正体を知られたくなかったのなら尚更だ」


 子供の時とは言え、王子をからかうとは、凄いことをするものだと目を瞬かせた。タニイらしいと言えばタニイらしいけれども。


「多分、あいつは私のことを女とは思っていないね」


 けたけた肩を揺らす彼女をぽかんとして見つめてしまう。


「そうそう、私ね」


 思い出したように、彼女はにっと笑って見せた。


「王宮に仕えることになったんだ。正妃付きの書記官だよ」


 女性が書記官とは、初めて聞いた。書記官は相当頭脳明晰でなければなれない。それに選ばれたということならば、それは凄いことだ。それも正妃付きだと言う。


「タニイが?王宮で傍にいてくれるの?」

「嫌?」


 ぶるぶると首を横に振る。


「王子が、私とティイが懇ろにしていると聞きつけたようで、直接打診があったんだ」


 タニイが傍にいてくれるのならば、それはこの上なく頼もしいことだった。


「家のことは弟に任せているし、私は暇を持て余している。文字の読み書きはできるし、政治に関しても案外知識がある。王家の事情にも精通している。適任だろう?」


 文字の読み書きができる女性自体が珍しいのだ。自分と似たところがあるタニイと共にいられたら、きっと楽しいに違いない。政治に関してはほとんど知識がないから、教えてくれる存在があることに安堵した。何より、漠然とした不安があった王宮での生活に希望が見えてくる。


「何だかほっとしちゃった」

「それは王子に言ってやりな。喜ぶよ。今、ティイのために何もかもを揃えているんだから」


 やっぱり何だか気恥ずかしく、私は少しはにかんで頷いた。


「私も言葉使いも直さないとね。ティイは私の主になるんだから」


 思いがけないことを言われて慌てて首を横に振った。


「それは嫌。今までと同じでいて。せめて二人の時だけでも」


 分かった、と彼女は凜々しく笑んで頷いてくれた。



 いよいよ出発の時刻になって、両親に挨拶を済ませ、母と最後に抱擁を交わしてから、王家が用意してくれた輿に乗り込んだ。長時間一人はさすがに心細く、ラジヤと共に輿に入りたいと言ったら、タニイに快諾された。


 父の声を引き金に、ゆったりと列は進み出す。

 いよいよ戻れないところまで来たと、ラジヤと二人きりで身を小さくしていた。


「ティイ……!」


 母の声が聞こえて、咄嗟に輿の入口を覆った紫の亜麻布をめくると、メティトの傍でこちらに手を振っている母の姿が見えた。


「お母様!」


 身を乗り出して、精一杯に手を振り返した。

 同時に悲鳴をあげたラジヤが私の腰元を抱きつくように引っ張る。


「お嬢様!落ちちゃいますよう!」

「だってお母様がいるの!もう会えないかも知れないのよ」


 父に会うことも、兄たちに会うこともあるだろう。

 でもきっと母はムノから出ることはない。今までの私のように。

 私も王宮から出ることはきっとない。

 母の姿を見るのはこれで最後かも知れないのだ。


「お元気で!」


 精一杯の声で、母に向けて叫んだ。




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