203 大きな収穫
部屋の扉の向こうからドライヤーの音が聞こえてきた。及川祐希が風呂から上がってきて、洗面所で髪を乾かし始めたようだ。藤城皐月は祐希に聞きたいことがあったので、祐希が部屋に戻ったのを見計らって声をかけた。
「ねえ祐希、今ちょっといい?」
「どうぞ」
二人の部屋を隔てている襖を開け、皐月は自分のベッドに腰掛けた。
「ちょっと高校の勉強について聞きたいんだけど……」
「いいよ。何でも聞いて。難しいこと聞かれてもわかんないけど」
風呂上がりの祐希は上気していて、いつもよりも色気があった。風呂上がりはどうして人を魅力的にするのだろう。自分自身でさえ風呂上がりに鏡を見るとイケメン度が上がっているような気がする。
祐希には明日美や入屋千智とは違った魅力がある。大人と子どもの狭間にある高校生は、小学生にとってはかなり大人っぽく見える。
だが大人ほど手の届かない存在ではなく、現実的な恋愛対象として考えられる。同級生で幼馴染の月花博紀が祐希に熱を上げるのも無理はない。小学校にファンクラブがあるくらいモテる博紀だが、同級生の女子が束になっても、女子高生の祐希には敵わない。
「祐希ってさ、高校の勉強をしていて中学時代と変わったことってある?」
「ん? なんか難しい質問だね」
「そうだよね……。例えばなんだけど、高校だと中学よりも難しい勉強をするよね。で、自分が成長したような感じがするとか、世界が広がったような感じがするとか、そういうのって何かある?」
「そうだな……特にないかな」
「えっ? そうなの?」
「うん。中学の延長って感じで、特にこれといった変化はなかったかな。小学校から中学校に上がった時は、思いっきりランクアップした感じはしたけどね」
「へ〜。そうなんだ」
「うん。やっぱり制服を着て、違う小学校の子たちと同じクラスになるって衝撃的だったよね。でも、高校生になるとそういう環境の変化に慣れちゃってたみたい」
「ふ〜ん。そんなもんなのか……」
皐月にしてみれば小学生が中学生になる感覚すらわからない。中学生が高校生になるってことは、皐月にしてみればまるで想像がつかないことだ。でも環境の変化は一度でも経験したら慣れるものだということは皐月には大きな収穫だった。
「皐月が高校の勉強の話を聞くのって、夕食の時に話していた明日美さんのこと? 高認の話が出たから、私も気になってた」
「そう。どうして明日美が高卒認定試験を受けようと思ったのかなってさ、高校生の祐希に話を聞いてみたくなったんだ。もしかしたら何かわかるかもしれないって」
「私の話じゃ何の参考にもならなかったね」
「そんなことない。中学生から高校生になって、特に変化がなかったっていうのは自分には想像もつかなかったから勉強になったよ」
「へへっ、ちょっと恥ずかしいな……私、バカみたいで。少しは成長したり世界が広がったりしろよなって自分でも思うよ」
皐月には恥ずかしがる祐希が子どもっぽく見えた。自分よりもずっと大人だと思っていた祐希なのに、祐希の自己評価が自虐的でおかしかった。
「でもね、同級生で高校中退した友だちが高認受けるって言ってたよ。その子はどこでもいいから大学に行きたいって言ってた」
「大学か……。明日美って大学に行きたいのかな?」
「直接本人に聞いてみたら? 答えにくい質問じゃないと思うから、快く答えてくれると思うよ」
「……そうだよな。聞くのに躊躇するようなことじゃないよな。なかなか明日美とゆっくり話せる機会がないけど、聞ける時があったら聞いてみる」
祐希の話は皐月にとって想像以上に有益だった。もし自分に兄や姉がいたら、きっと見える世界が違っていただろう。




