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藤城皐月物語 2  作者: 音彌
第3章 広がる内面世界
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195 任務完了

 藤城皐月(ふじしろさつき)検番(けんばん)の階段を上がって二階の稽古場へ上がった。

 稽古着を着ていた明日美(あすみ)はすでに私服に着替え終わっていた。ネイビーのテーパードパンツに白いTシャツのコーデはピンクのリップがよく映える。

 明日美を目の前にした皐月は一瞬で心の奥底に隠れていた気持ちが溢れてきた。同時に真理と交わした体の記憶が一気に皐月を緊張させた。

「どうしたの?」

「……明日美のそういう格好、あまり見ないからつい見惚れちゃって」

「なんだ、恥ずかしいな……。今は適当な格好してるんだよ」

「明日美って……本当に世界で一番きれいだね」

 いつものテンプレ的な言葉遊びではなく、皐月は心からそう思った。今日の明日美はどこか憂いを帯びている。それが稽古による疲れだけとは皐月には思えなかった。

「そんな風に言われると照れるな……。これじゃ、いつもみたいにチューしてやるよなんて言えないな」

「え〜っ! ヤダよ!」

「……バカ」

 いつもなら明日美に抱き寄せられるところを、今日は皐月の方から明日美に体を預けにいった。一応、明日美は皐月を優しく抱きとめてはくれたが、これまでのようにキスをしてはくれなかった。

 今日の明日美は皐月と同居している女子高生の及川祐希(おいかわゆうき)のような制汗剤の香りがした。


 明日美は体から皐月を離し、脱ぎ終えた稽古着を畳み始めた。慌てて着替えたのか、脱ぎっぱなしの着物が板張り床に散らかっていた。

「もう稽古は終わるんだね。ちょっとは休めってお母さんが心配してたよ」

「お母さんも心配性だな……。そんなこと皐月に言わなくてもいいのに」

「稽古の邪魔してこいってさ」

「稽古はおしまいにするつもりだったよ。せっかく皐月が会いに来てくれたんだから」

「そっか。よかった。これでお母さんに頼まれたことを完遂できる」

 今日の明日美は言葉がいつもよりも柔らかい。マスコットのような扱いではなく、人として扱われていることがわかる。嬉しい半面、いつもよりも距離を感じて少し寂しい。

 明日美は稽古着を畳み終え、手荷物のある部屋の隅へ戻って腰をおろし、ペットボトルの水を飲んだ。皐月も明日美の横に座った。

「皐月、ごめんね」

「えっ? 何を謝ってんの?」

「デートの邪魔をしちゃったかなって」

 白々しいな……と思ったが、そんな明日美がかわいくもあった。今までは保護者のような振舞いをしていたが、今日の明日美は普通の女の子のようだ。

「デートじゃないよ。俺、修学旅行の実行委員になってさ、委員会で帰りが遅くなったんだよね。それでさっきの委員の子と帰り道が同じ方向だったから一緒に帰ってただけ」

「修学旅行か……。どこ行くの?」

「京都と奈良」

「京都奈良か……。いいな。私も小学生の時に行ったよ。またいつか行ってみたいな……」

 皐月は明日美がどこかに旅行に行ったという話を聞いたことがなかった。芸妓の誰かがどこかに旅行に行けば、必ずお土産を買って来てくれる。しかし、明日美からは旅行のお土産をもらったことがない。もしかしたら明日美は年に一度の芸妓組合の旅行以外にはどこにも行っていないのかもしれない。


祇園(ぎおん)を見てこようと思ってるんだ。まあ芸妓さんや舞妓(まいこ)さんに会えるとは思わないけど」

「芸妓や舞妓に会えなくても祇園に行きたいの?」

「単純に花街(かがい)が見たいだけだよ。だって同業者じゃん、一応」

「そう……」

 初日の班行動はまだ行き先が決まっていない。みんな清水寺に行きたがっているから、皐月は絶対に祇園をコースにねじ込んでやろうと思っている。そして祇園の街を歩いた感想を明日美にたくさん話したい。

 それだけでなく、明日美とはもっといろいろな話をしたいという気持ちが溢れてきた。それは心臓の病が明日美を黄泉(よみ)の世界へ連れ去ってしまうのではないか、という焦燥感に(さいな)まれているからだ。

「お土産買ってくるよ」

「お土産? いいよ、そんなの。お小遣い少ないんでしょ?」

「そんなの、余分に持っていくに決まってるじゃん」

「はははっ、そりゃそうか。当たり前だよね、そんなの。よかったら少しカンパしようか?」

「いいよ、自分のお小遣いで買うから。カンパなんかされたらただの買い物代行になっちゃうじゃん」

「そうだね。何言ってんだろ、私……」

 頼りなく笑う明日美が皐月には照れ笑いに見えなかった。今日の明日美はいつもと少し違う。京子の言うように根を詰め過ぎて疲れているだけなのかもしれない。だが皐月は明日美の身体が心臓の病に蝕まれているのではないかと心配になってきた。

「あまり高いものは買えないと思うけど、何がいい?」

「……そうだな、いつも持ち歩けるものがいいかな」

「わかった。じゃあ小さくてかわいいものにする。楽しみにしててね」

「ふふっ、本当に楽しみ」

 明日美がこの日、一番嬉しそうな顔をした。その顔が余りにも目映くて、皐月は完全に心を射抜かれてしまった。このまま時間が止まればいいのにと願いながら、ずっと明日美を見つめ続けた。


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