192 痴話喧嘩
藤城皐月は江嶋華鈴に好きだと言った。これが告白みたいな言い方になってしまい、やっちまったかなと思った。
好きの解釈は人によって異なる。皐月は人にすぐに好きだという癖があり、そのことで誤解をされ、振られたようなことを言われて傷つくことがあった。
「権力志向って、自分の考えを人に認めさせたいってことだろ。江嶋の考えを認めた人が多かったから児童会長になれたんだよ。俺には江嶋の考えてることはよくわからないけど、少なくとも俺の知ってる江嶋には嫌いになる要素なんて何一つない」
「何を言い出すの……私の嫌なところなんて知らないくせに」
「いいよ、そんなの知らなくたって。自分の嫌なところなんて隠せばいいじゃん」
言いながら軽く自己嫌悪に陥った。皐月は自分に都合が悪いことをすぐに隠す。華鈴を利用して自己弁護しているようで恥ずかしい。
「それよりさ、お前の方こそ俺のこと嫌ってるだろ。さっき委員会で『みんなが俺のこと嫌ってるから非協力的だ』って言ってたよな。それって江嶋の本音じゃねーかなって思って、ショックだったわ」
「それは違う!」
「俺はみんなが協力してくれないのは、面倒が嫌だって思ってたんだけどな。それなのに、お前に『みんな俺のこと嫌ってる』って言われたら、あ〜俺は江嶋に嫌われてるんだなって思うだろ?」
「違う。私はただ藤城君のことを心配しただけ。独りよがりのやり方で、みんなから反発されるんじゃないかって思って」
「いや、みんな喜んでただろ。面倒な仕事をしなくて済むからさ。反発してたのはお前だけじゃん」
「……」
パシパシとキーボードを打鍵する音が華鈴の沈黙の間を埋めている。水野真帆は皐月たちが諍いのようなことをしている間、ずっと議事録を作っていた。真帆は皐月たちに無関心かのようにずっとタブレットに向かっている。
皐月が真帆を見ると、真帆の手が止まった。真帆が顔を上げ、笑いを含みながら言った。
「もう痴話喧嘩は終わったの?」
真帆の言い草が面白くて皐月は思わず声を出して笑ってしまった。
「痴話喧嘩じゃない! 水野さん、変なこと言わないでよ」
「会長が感情的になるなんて珍しいね。相手が藤城君だから?」
「誰が相手とかそういうことじゃなくて、委員の子たちが次々に役割を放棄していくのを見てられなかったの。あれじゃ実行委員が分裂しちゃうじゃない」
真帆の手が再び動き始めた。パラパラパラっとキーボードを操作して、また止まった。
「俺は委員会、うまくいってると思うけどな。最初は何人か仕事を拒否した奴もいたけどさ、代替案を出したら受け入れてくれたじゃん。一人を除いてだけど」
「その一人を除いてが問題なのよ。みんなが納得して委員会に取り組めるようにしないとうまくいかないよ。田中君が委員の仕事をしたくないって言ったら、中澤さんに負担が集中しちゃうでしょ」
「だから田中がサボっても、中澤さんの負担にならないように仕事を減らしたじゃん。中澤さんが辛そうだったら、俺のクラスの筒井をサポートにまわすよ。あいつら仲いいみたいだから」
「筒井さんを3組のサポートにまわしたら、藤城君が困るでしょ」
「困らねえよ。もう大体の仕事量はわかったから。この程度の量ならなんとかなるわ。それに黄木君や水野さんが手伝ってくれるし、江嶋だって手伝ってくれるんだよな?」
「そりゃ手伝うよ」
「だったら余裕じゃん。俺はもうプレッシャーから解放されたよ。なんか仕事の半分くらいは終わった気がする」
「なんでそんなに余裕でいられるのかな……」
真帆は皐月と華鈴が話をしている時にまた何かを入力していたが、会話が途切れると手を止めた。
「ちょっと水野さん。何を書いてるの?」
「会長と委員長の会話を文字起こししてるの。議事録に残しておこうと思って」
「ちょっとやめてよ!」
「えっ? やめないよ。だって二人ともいいこと話してたよ」
「恥ずかしいじゃない……。それにこれ、委員会が終わった後の会話でしょ?」
華鈴が真帆に強気に出られないのを見て、皐月は児童会での様子が何となく見えた気がした。調整能力が優れているのは華鈴だが、実務能力は真帆が華鈴を圧倒しているのだろう。児童会では真帆が華鈴を支えているのかもしれない。
「水野さん。俺たちの会話をそのまま議事録に残すの?」
「まさか。そんなことするわけないでしょ。ちゃんと公文書用に書き直すから」
「そうか。よかったな、江嶋。水野さんなら上手くやってくれるよ」
「嫌よ! もう、全部消してよ!」
華鈴が怒りの感情を隠そうともしないで怒っている。皐月はこんな華鈴を見たことがなかった。怒る華鈴はなかなか珍しく、傍から見る分には面白い。
「会長が言った偉いの偉くないのって話は議事録に残さないよ。あと、嫌ってる嫌ってないとかの話も。でも、強制するしないの話は建設的だと思うから、きちんと後輩たちに残しておきたいって思ってる」
「じゃあ残さないっていうのはタブレットから消してよ」
「ごめんね。消したくない」
「どうして?」
「これは私の小学校生活の大切な思い出。こう見えても私、感動してるんだから。私の個人的な日記として残しておきたい。それなら構わないでしょ?」
「……わかった。じゃあ、絶対に外に漏らさないでね」
真帆は笑顔で頷いた。華鈴はまだ完全に納得していないようにも見えるが、皐月は真帆なら絶対に約束を守ると思った。皐月は真帆のことが好きになった。




