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藤城皐月物語 2  作者: 音彌
第3章 広がる内面世界
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178 給食みたいな読書

「俺も『城の崎にて』を読んでみたくなったな。ネタバレにならない程度に内容を教えてよ」

「うん……いいけど、ちょっと待ってね」

 入屋千智(いりやちさと)は動きを止めて虚空を見つめている。藤城皐月(ふじしろさつき)は適当に答えてくれればいいのにと思うが、千智はきちんと話を要約したいと思っているのだろう。自分のために一所懸命考えてくれる千智の姿はなかなか尊い。

「『城の崎にて』は主人公が志賀直哉本人でね、交通事故で九死に一生を得た著者が城崎温泉で療養しているの。そこで何度か小動物の死に立ち会って、その時の心境を(あらわ)したお話、といったところかな」

「ふ〜ん。なんか地味な話だね」

「うん。でも読み終わると心細くなっちゃって……」

「心細い?」

「うまく表現できないんだけど、寂しいともちょっと違うし、不安とも違うような気がする。寒い……が体感的には近いかな」

 千智の感じ方は文学少女の吉口千由紀(よしぐちちゆき)とも違う、独特なとらえ方だ。

「それって著者が小動物の死で感じたことに千智が共振や共鳴したってこと?」

「ううん、私は著者に反感を抱いたくらいだからそういったことじゃないの。主人公の心情に対してどうこうというよりも、この小説に書かれている小さな生き物の死に込められた寓意(ぐうい)が怖いっていうか……」

「グウイが怖い? グウイって何?」

 漢検2級が泣く。皐月は自分の知識のなさが恥ずかしかった。

「あっ……寓意はこの小説の場合だと、小動物を人間に置き換えて意味を考えるっていうか……私は自分自身のことだって感じちゃったんだけど」

「比喩みたいなものか。で、千智は自分が死ぬ時のことを連想しちゃったんだ」

「うん。死んだ生き物たちはお前のことだって言われているみたいで……」

 これは『城の崎にて』を読んでみないと何もわからないな、と思った。ただ、千智の感性が繊細だということと、洞察力が高いことはわかった。


 千智との会話から方向性がずれてしまうことを恥ずかしく思いながらも、皐月には千智の「怖い」という感想が気になった。それは皐月が芥川龍之介の『歯車』を読んでいるからだ。

『歯車』は主人公が芥川本人で、『城の崎にて』の志賀直哉と同じパターンだ。『歯車』で芥川は志賀の『暗夜行路』を読んでいる。作中で芥川は『暗夜行路』を「恐ろしい本」だと言っていた。志賀直哉はそんなに怖い小説を書く作家なのか。

「もっとたくさん話したいんだけど、これ以上話すと、初めて読んだ時の受け止め方に先入観が混ざっちゃうから、先輩が読んだ後にまた『城の崎にて』の話をしたいな」

「……そうか。じゃあ千智が借りてた本、今日借りなきゃいけないな。実行委員が忙しくなりそうだから読書は修学旅行が終わってからって思ってたんだけど、そんなこと言ってられないや」

「『城の崎にて』だけなら短いからすぐに読めるよ」

「じゃあ借りよう。ところで千智って、わざわざ『城の崎にて』が入っている本を借りたの? 塾で推薦図書になってたとか?」

「推薦図書じゃないけど、ちょっと昔の小説を読んでみようかなって思って、このシリーズを借りてみたの。1巻から順に読んでいるんだけど、卒業までにこのシリーズを読破したいなって思ってる」


 稲荷小学校の図書室には『少年少女日本文学館』全20巻だけでなく、『少年少女世界文学館』全24巻と、『少年少女古典文学館』全25巻のセットが全て揃っている。

「全部読みたいって、すげえな……。文学少女目指してるの?」

「そういうわけじゃないんだけど、一度始めたら最後まで終わらせないと気が済まなくて……」

「なんだそれ! でも初志貫徹ってかっこいいな。俺にはたぶん無理だろうな。途中でつまらないって思っちゃったら投げ出しちゃうよ。俺は意志薄弱だから、いくら自分で決めたことでも、最後までやり抜くことはできないだろうな……」

 皐月は幼馴染の栗林真理(くりばやしまり)に乗せられて中学受験の勉強に手を染めてみたけれど、文学に興味を持ち、文学に関心が移って勉強は中途半端になっている。

 そもそも中学受験をするわけではないので、受験勉強を本気でやる気になるわけがない。同居している高校生の及川祐希(おいかわゆうき)が使っている教科書を見て先取り学習にも興味を持ったが、この気持ちも長くは続かないだろう。先取りはいずれ学校でやる勉強なので、いまいちモチベが上がらない。

「私だって本当につまんなかったり無意味だなって思ったら途中でもやめるよ。でも今のところはこのシリーズを読み続けるつもり。興味のある小説だけ読んでいるのと違って、全然知らない話でも、読んでみると面白い話もあったりするからね。楽しいよ」

「あぁ、そうか。給食みたいなものか。家では絶対に出てこない料理も、食べたら美味しかったり好きになったりするからな」

「給食だとどうしても食べられないものもあるけどね。アレルギーもあるし」

 なるほどな、と思った。皐月は日本経済新聞を読んでいるが、どうしても読めない文章がある。字が読めても、文章が読めない。

「そういう文章って今まであった?」

「国語のテストや塾のテキストは美味しくないよ。問題を解くこと前提で読まなきゃいけないから苦痛でしかないな……時間にも追われるし。受験勉強のための読書なら、本を読むの嫌いになってると思う」

「あれっ? 千智って国語苦手だったっけ?」

「それがどういうわけか成績は悪くないんだな〜。えへへ」

「寓意なんて言葉をさらっと使うくらいだからな」

「寓意の解釈は物語文を解くために必要なテクニックだからね。受験勉強って、すごく読書に役立ってるよ」

 皐月は千智の謙遜しないところが好きだ。絵梨花は学力が高いことを感じさせないように謙遜するのでこっちも気を遣うし、真理は劣等感が強くて少し扱いづらい。


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