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藤城皐月物語 2  作者: 音彌
第3章 広がる内面世界
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162 家に寄っていく?

 小さな焼肉屋『五十鈴川』から肉を焼くいい匂いがしてきた。こんな早い時間にもう肉を食べている客が来ている。

 藤城皐月(ふじしろさつき)が匂いにつられてお腹を鳴らした。同じクラスの友だちなら爆笑されるところだが、江嶋華鈴(えじまかりん)は聞こえないふりをしてくれてた。

「あ〜、焼肉食べたい!」

「私も」

「あっ、あそこに松の木が見えるでしょ、板塀から道にはみ出たの。あの家が俺ん()

「でかっ!」

「そんなにでかくないって。旅館をしていた古い家を借りてるんだ」

 改めて遠目に見る自分の家は全体が焦げ茶色で古惚(ふるぼ)けている。確かに元は和風旅館だが、手入れのされていないこの建物をレトロと言うには無理があるかもしれない。隣の手芸店が明るくお洒落なので、そのコントラストを改めて見ると、皐月は恥ずかしくなってきた。

「芸妓の置屋(おきや)をしているから部屋数がないといけないって親が言ってた」

「ゲイコ? オキヤ? 何、それ?」

「ああ、江嶋は知らないか……。芸妓ってのはお酒の席で客をもてなす人のことで、京都の舞妓(まいこ)さんの年食った人って感じかな。置屋ってのは芸妓さんたちが住み込んだりする家のこと。珍しいよな、今の時代」

「じゃあ藤城君のお母さんはその芸妓のお仕事をしてるの?」

「そうだよ」

「へ〜、なんだか現実離れした話だね」

 家の前の松枝(まつがえ)をくぐり、玄関の前まで来た。まだ行燈(あんどん)に明かりが灯っていないので、松の木の枝が影になって少し暗い。

「ちょっと待ってて、すぐ戻ってくるから。それとも俺ん家寄ってく?」

「さすがにそれはちょっと……」


 格子戸(こうしど)を開けて大きな声で「ただいま」と言うと、玄関先の楽器置き場にランドセルを放り投げ、慌てて台所へ入っていった。

「頼子さん、ただいま。何かお菓子ある?」

「あら、おかえりなさい。どうしたの? 慌てちゃって」

「今、玄関で連れを待たせてるんだ。これからまた出かけるんだけど、お菓子を持っていきたくてさ」

「お菓子ね……羊羹(ようかん)ならあるけど、いくつ欲しいの?」

「2つでいいよ」

「2つね……友だちって女の子でしょ?」

「よくわかったね」

「今時の男の子って、女の子とよく遊ぶのね」

 頼子から手渡されたのは井村屋の『片手で食べられる小さなようかん』だった。これは小さくパックされた羊羹で、(はさみ)を使わなくてもパッケージをギュッと押すだけで羊羹が出てくる優れものだ。煮小豆製法で小豆を煮汁ごと煮つめられているので、風味が豊かで美味しい。

「ありがとう。じゃあこれ持って行くね」

「ねえ皐月ちゃん、どんな子か見に行ってもいい?」

「えーっ! まあいいけど、別に彼女とかじゃないよ」

「ふふっ、楽しみ〜」

 ゆったり歩いて玄関に戻る皐月の後に頼子がついて来た。三和土(たたき)で靴を履いていると、華鈴が中を覗き込んできた。その時、皐月の背後にいた頼子と目が合って、華鈴はびっくりしていた。

「こんにちは」

「あっ、こんにちは」

 華鈴は瞬時に大人への対応に切り替えていた。姿勢を正し、軽く礼をし、完璧な笑顔を作っていた。

「紹介するね。彼女は江嶋華鈴さん。うちの学校の児童会長で、俺と同じ修学旅行の実行委員もしてるんだ。家の方角が同じだから一緒に帰ってきた」

「初めまして。江嶋です」

「こちらこそ初めまして」

「ごめんっ、急いでいるから行くね」

「あっ、もう行っちゃうの? また遊びに来てね」


 皐月は早く頼子から華鈴を遠ざけたかったので、頼子の話が始まる前にそそくさと家を出た。頼子の方を見ている華鈴を押しだすような形で皐月は家から離れた。

「ちょっとどうしたの、急に?」

「別に……。今日は最終下校時間まで居残りだったから、早く帰らなきゃいけないだろ?」

「うちは両親が働いているから、急いで帰らなくても大丈夫なんだけど……」

「そうなのか? だったら家に寄ってもらえばよかった。お茶菓子でも出したのに。あっ、そういえば家からおやつ持ってきたんだ。あげるよ、はい」

 皐月は華鈴に『片手で食べられる小さなようかん』を手渡した。

「これいいの、もらっちゃって?」

「ああ。俺も自分の分持ってきたから、食べながら帰ろうぜ。腹減ったろ? これ、ここんとこ押すだけで羊羹が出てくるんだぜ」

 手で真ん中辺りをピュッと押すと羊羹がニュッと出てきた。この羊羹は片手で食べられて手も汚れないし、袋の切れ端が出ないのでゴミが少なく済む。

「江嶋もやってみ」

 華鈴も皐月の真似をして押し出すと、羊羹がパックの中で切れて上半分くらいが出てきた。

「あっ、かわいいっ!」

「かわいい? 変なこというなぁ。それより食べてみてよ。この羊羹、美味いんだから」

 華鈴は上品に口を小さく開けてパックから出た羊羹を少しだけ食べた。

「美味しい……甘すぎないのがいいね。小豆の粒がしっかりしてて、私好み」


 人が嬉しそうに食べているところを見ていると、皐月はいつも幸せな気分になる。

 5年生の時の華鈴はいつも無理をして、いい子を演じていた。だが、給食を食べている時だけは無邪気な顔だった。

 今の華鈴は昔の給食の時間の時のように、素に戻っているようだ。児童会長をしているくらいだから、華鈴は6年生になった今でも教室ではきっと無理をしているのだろう。


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