160 最悪を基準にするのってどうなの?
藤城皐月は教室で一人、ぼんやりと過ごしてから1階の昇降口に下りた。すると、すでに靴に履き替えた江嶋華鈴が玄関の出入口に立っていた。皐月のことをじっと見ていた華鈴の様子が思いつめているようだったので、良くない展開を警戒した。
「藤城君、ちょっと話があるんだけど」
「何?」
「さっきの田中君への態度はないと思う。『もう帰れ』とか、『田中抜きでやる』とか、言い過ぎなんじゃないの? あんなことみんなの前で言われたら、田中君のプライドが傷つくでしょ?」
「……最初から話し合うつもりなんてなかったからな。ナメられてたまるかって思ったし」
「そういう態度っ! さっきも言ったけど、委員長ならもっと少し委員会をまとめる努力したらどう?」
「別にまとめなくたっていいだろ、委員会なんて」
「いいわけないでしょっ!」
温厚な華鈴が怒るのは珍しい。皐月は五年生の時にさんざん華鈴に迷惑をかけていたが、叱られたことはあっても、今日のように怒られたことはなかった。
「江嶋だってしおり見ただろ。修学旅行までにやることがいっぱいあるじゃん。委員会で活動できる時間は限られてるから、人間関係なんかに時間を使いたくねーよ」
「でも委員会がそんな態度だったら、誰も藤城君についてこなくなるよ。そうしたら実行委員の仕事だって間に合わなくなっちゃうけど、それでいいの?」
「誰もついてきてくれなかったら、俺が一人でやるよ。最初からそのつもりだったし」
「またそういうこと言う……さっきも北川先生に怒られたでしょ。生意気なこと言うなって」
「生意気なんかじゃねえよ。一人ぼっちになっても、やる覚悟があって言ったんだから。でも黄木君がイラスト描くのを手伝ってくれるって言ってくれたから、俺はもう一人じゃねーし。最悪、俺と黄木君の二人ぼっちで頑張るわ」
内心では筒井美耶も手伝ってくれると思っているし、中島陽向だってきっと手伝ってくれるだろうと当てにしている。美耶がやれば中澤花桜里もやるだろう。離反する可能性があるのは田中優史と江嶋華鈴、そして水野真帆の三人だけだと想定している。
「その最悪を基準にするのってどうなの? 先生に頼まれたから、私も手伝うけどさ……」
華鈴が手伝ってくれるなら同じ児童会の真帆もついてきてくれるだろう。昔からくそ真面目な華鈴だが、優しいところは変わっていなかった。
「北川に頼まれたから手伝うってのは気に入らないな。でも手伝ってくれるのは嬉しいよ。ありがとう」
「でも口の利き方に気を付けないと、みんな離れてっちゃうよ?」
「うん、わかった。気をつける」
皐月と華鈴が玄関を出ると校内に「遠き山に日は落ちて」が流れ始めた。最終下校の時間の5分前になった合図だ。校庭で遊んでいた下級生が道具を片付け始め、クラブ活動をしていた児童たちが体育館から出てくるのが見えた。
「江嶋ん家って、俺ん家と同じ方角だったよな。何町だったっけ?」
「仲町だけど……」
「俺ん家は栄町だ。途中まで一緒に帰ろうか?」
「……別にいいけど」
稲荷小学校の児童が男子と女子の二人で下校することはまずない。そんなことをすればすぐにみんなに知られてからかわれてしまうからだ。
実際、皐月は昨日の帰り際に美耶と一緒に帰るところを同じクラスの村中茂之に見られてしまった。その場では茂之は話のわかる友達みたいに振る舞っていたが、今日になると早速二人で帰ったことをみんなに言いふらされていた。
華鈴が返事に躊躇したのは、こういうことになるのを警戒したからなのだろう。噂話が好きなのは、どこのクラスもみな同じだ。
「栄町なんて近くていいね。仲町ってちょっと遠いから嫌」
「じゃあ、家まで付き合うよ。喋りながら歩いていれば、すぐに家に着いちゃうから」
「いいよ、そんなことしてくれなくても。それに家までついてこられたら、住んでるとこバレちゃうじゃない」
「なんだ、そんなに嫌がらなくてもいいだろ?」
「家が古くてボロいから、恥ずかしいのっ」
「俺ん家も築何十年かわからんくらい古いぞ」
皐月と華鈴が二人で下校するのはこれが初めてだ。華鈴とは席が五年生の時に隣同士になったのがきっかけで仲良くなった。だが、皐月は学校以外の華鈴のことを全く知らない。
華鈴は優等生だが、同じクラスの優等生の二橋絵梨花とはタイプが全然違う。絵梨花は天然の優等生だが、華鈴は必死で優等生になろうとしている。
皐月は昼休みに図書室で久しぶりに華鈴と話をし、すっかり懐かしくなっていた。そしてもっと二人で話をしたいと思った。
委員会では華鈴に叱られてばかりだったので、うんざりされたかと思った。しかしよく考えると、皐月は昔から華鈴には叱られてばかりだったので、これは通常運転だ。
とりあえず今日のところは華鈴と一緒に下校できそうなので、もう少し二人で話ができそうだ。皐月は五年生の時とは違う、六年生の華鈴のことをもっと知りたくなった。




