158 委員長の苦悩
藤城皐月は稲荷小学校の修学旅行実行委員の委員長になった。
皐月はこれまで委員会の委員長のような学校を代表する大役を担った経験がなかい。だから委員長が何をすればいいのかわからなかったが、修学旅行担当の北川先生によって委員会は進められた。とりあえず今日のところは、皐月が委員会ですることは何もなかった。
各クラスの修学旅行実行委員は旅行初日の班行動の班編成表を北川先生に提出した。北川から各委員に『修学旅行のしおり 京都・奈良編』を渡され、クラス全員に配るように言われた。教育文化振興会から刊行されたしおりは34冊もあるので、手に取るとしおりの束がズシっと重かった。
「『修学旅行のしおり』は修学旅行のガイドブックだ。京都・奈良の地理や歴史の資料集にもなっている。これを一日目の京都での班行動の旅行計画を立てる時の参考にしてもらいたい。君たちに手渡した『修学旅行のしおり』を明日の朝の会でクラス全員に配布しておいてくれ」
実行委員たちは自分のクラスの人数分の冊子があるのを確認し終えると、北川から冊子の中をざっと目を通すように指示された。
この冊子は修学旅行で見るべき神社仏閣がよくまとめられている。欄外にある「わんぽいんと」の欄に交通情報や拝観料などが記載されていて、班行動の計画を立てるのに役立ちそうだ。
だが皐月は図書室で先に『るるぶ』を見ているので、華やかな写真やグルメ情報などが載っていない『修学旅行のしおり』では物足りなく感じた。
「今君たちが読んでいるしおりとは別に、稲荷小学校でもオリジナルのしおりを毎年実行委員に作ってもらっている。しおり作りは修学旅行実行委員会の重要な仕事の一つだ。しおりの出来がいいと修学旅行が楽しくなるからな。今から君たちの先輩が作ったしおりをみんなに配るから、見ておいてくれ」
北川は実行委員一人に一冊ずつ、稲荷小学校の児童たちの手作りのしおりを配った。
配られたしおりはそれぞれ年度がばらばらで、最も古いのは8年前のものだった。どの年度のものも表紙には力の入った手書きのイラストが描かれていて、旅行前のしおり作りに実行委員たちの修学旅行への期待が込められているのが伝わってくる。
「みんなによく見てもらいたいのは表紙に書かれているスローガンだ。各年度のスローガンを参考にして、今年のスローガンを考えてもらいたい。明日の委員会で今年のスローガンを決定したいので、スローガンを考えておいてくれ。今配ったしおりは家に持ち帰ってもいいぞ。君たちが作るしおり作りの参考にしてもらいたいから、隅々までよく読んでおいてくれ。しおりは1週間後の委員会で回収する。じゃあ今日はこれで解散。お疲れ」
北川が急ぎ足で理科室を出ていった。皐月はもう少し何かあるのかと思っていたが、思ったよりもあっさりと委員会が終わってしまったことにぼんやりとした不安を覚えた。
稲荷小学校の最終下校時刻は夏期が16時30分、冬季が16時に決められている。北川が理科室を出ていったのは16時なので、最終下校時間まではまだ30分ある。皐月はもうすこし委員会を進めてもいいのにと思った。
北川先生がいなくなり、実行委員の面々は配られたしおりを教室に持ち帰ろうとしていた。
「ちょっと帰るの待って!」
皐月がみんなに声をかけると、帰り支度をしていた委員たちが動きを止めて皐月に顔を向けた。
「さっき先生から渡されたこのしおり、みんなで見せ合いっこしよう。今年のしおり作りの参考のために、自分が持っているのと違う年のしおりも見ておきたいんだ。俺はスローガンを決める際の参考にしたい」
「え〜っ、早く帰りたいんだけど……」
大人しそうだと思っていた3組の田中優史から不満が出た。
「長くは時間をとらせない。急いでいるなら2分でもいい。田中君のしおりのスローガンだけでもメモさせてくれないか?」
「だりぃな〜」
先生がいなくなると、真面目そうにしていた優史は態度を豹変させた。気の短い皐月に優史の言動が許せるはずがなかった。
「じゃあいいよ。もう帰れ。委員会は田中抜きでやる。みんなのしおり出して」
皐月は優史を突き放すように視線を外した。しおりを乱暴に叩きつけたい衝動を抑え、ゆっくりと自分のしおりを教師用実験台の上に出した。
平静を装いながら美耶にしおりを出すように促すと、美耶と花桜里もしおりを出した。優史は無言で理科室を出ていった。
「ちょっと待ってよ、田中君」
「ほっとけ」
副委員長の江嶋華鈴が優史を引き止めようとしたのを皐月は制止した。
「なんで止めるの?」
「非協力的な奴にこっちからお願いすることはない」
「藤城君、委員長になったんでしょ? だったらもう少し委員会をまとめるように努力してよ」
「何言ってんだよ、江嶋。委員会をまとめることに時間を割くよりも作業を進めた方がいいだろ。やる気のない奴の相手なんかするよりも、しおりを作る方が優先度が高いじゃん」
皐月は優史のことでイライラするよりも、意識を優史から仕事へと焦点を移す方が気が楽だと考えた。
「そんなこと言って、みんなが田中君みたいに自分勝手な行動を取るようになったらどうするの?」
「もしそうなったら諦めるよ。しょうがないじゃん。それよりさっさと読み比べしようぜ」
皐月は内心、もう諦めていた。華鈴まで離反したら完全に終わると思い、その時期もそう遠くないような気がしていた。




