143 友人と一緒に暮らす
早々に店じまいを始めている豊川稲荷の表参道を右に曲がると、活気のある八百屋が客を捌いていた。その先を左に曲がって細い路地を進むと藤城皐月の家がある。玄関には小百合寮と書かれた行燈看板に明かりがともっていた。やっと家に着いた。
鍵の空いている玄関を開けると、三和土に及川祐希の靴があった。もう家に帰っているようなので、皐月は玄関に鍵をかけた。楽器置き場になっている待合を抜けて居間に入ると、隣の台所からいい匂いが漂ってきた。台所の中を覗いてみると、祐希の母の頼子と一緒に祐希も夕飯の準備をしていた。
「ただいま」
「おかえり。今日は遅かったね」
皐月はいつも帰りが早いので、頼子は帰りの遅い皐月のことを心配していたようだ。
「用事があってさ、下校時間まで学校にいたんだ。で、その後は友達とお稲荷さんで遊んでた。俺、修学旅行の実行委員になったんだよ」
「修学旅行か……いいわね。私も行きたいわ」
「皐月たちはどこに行くの?」
食器の用意をしていた祐希が話に加わった。
「京都と奈良。祐希はもう修学旅行行ったの?」
「私の高校はね、春に修学旅行に行ったんだよ。高三になると秋はいろいろと忙しいからね」
「祐希たちはどこに行ったの?」
「広島と神戸と大阪を三日かけてまわった」
皐月は三日も修学旅行ができる高校生を羨ましく思った。
「俺たちの修学旅行は歴史の勉強をしに行くって感じなんだけど、高校の修学旅行って勉強って感じ? それとも観光?」
「初日の広島は原爆関連のところを見たから勉強っぽかったけど、世界遺産の厳島神社はきれいで良かったよ。二2日目の神戸は班行動で観光って感じで、割と自由だった。三日目の大阪はユニバで遊んですっごく楽しかったよ」
「へぇ〜、いいな。俺たちは初日の京都は友達だけで班行動して、二日目の奈良は学校全体で東大寺と法隆寺に行くんだ」
「京都と奈良か……懐かしいな。私たちも小学生の時は京都と奈良だったよ。私、歴史にあまり興味がなかったけど、それでも教科書に出てくる実物のお寺とか大仏とか見た時は感動したな……」
祐希と同じところに修学旅行に行くと思うと、皐月は仲間意識を感じた。
「私たちも京都・奈良だったのよ」
「えっ? 頼子さんも? 昔から行き先って変わらないんだね」
「そうみたいね。愛知県の東三河は京都・奈良って決まってるのかな。私たちの時代は班行動みたいなことはさせてもらえなかったけど、それでも楽しかったな。皐月ちゃんもきっと楽しいと思うよ」
祐希がご飯をよそい始め、頼子がフライパンの回鍋肉をお皿に盛りつけ始めた。皐月は二階の自分の部屋にランドセルを置いて、台所に戻ってきて配膳を手伝った。
今日の夕食に母の小百合はいない。最近は芸妓の仕事が忙しく、お座敷に出ることが多くなった。
頼子と祐希と三人で食べる夕飯はよその家で食べているような気分になり、皐月はまだこの生活に慣れていない。二人がこの家で暮らし始めた頃は食事中に動画を流していたが、最近はお喋りをしながらご飯を食べるようになった。
「実行委員になったからさ、修学旅行のこといろいろ決めたり仕切ったりしなきゃならないんだ。今日は学校でそういう話をしてた。実行委員がどんなことをするのかわからないけど、忙しくなりそう。これからしばらくは、帰りが遅くなる日が増えるかもしれない」
「ただ旅行に行くよりも、そうやって行事に深くかかわった方が楽しいんじゃないの? 私たちの高校の実行委員の子たち、みんな楽しそうだったよ。私は面倒でやりたくないなって思ってたけど、実行委員の子たちを見て後悔しちゃった。大学受験をするわけじゃないんだから、実行委員くらいやっておけばよかったって思った」
「そうか……今日はいきなり居残りだったから先が思いやられるなって思ってたけど、楽しいんだね。なんかいろいろ気が軽くなった。結構プレッシャー感じてたんだ」
「そんな風に思わなくたっていいよ。何でもいいから修学旅行が楽しくなることだけを考えていればいいんだから。それに自分も楽しまなきゃ損だよ」
「……そうだね」
祐希の話が聞けたことは皐月にはありがたかった。祐希は三回も修学旅行を体験しているので、これからもいろいろ話を聞いてみようと思った。
「私が高校生のときはね、小百合と同じ班だったのよ」
「ホント? その話は聞いたことがないなぁ」
「皐月ちゃんがもうすぐ修学旅行に行くから、最近小百合と昔の思い出話をしたところなのよ」
頼子と小百合は高校時代の同級生だ。
「小百合さん、男子にモテてたって言ってたよね」
「そうなの。小百合はかわいかったから、男子に一緒に写真を撮ろうってよく誘われてたわ。あの子はあまり嫌な顔をしないで、ホイホイみんなに付き合ってあげてたのよ」
皐月は母のチヤホヤされて喜んでいる姿を簡単に想像できた。
「ママって当時、付き合っていた人とかいなかったの?」
「高三の時にはもう芸妓になるって決めてたから、彼氏なんか作ろうと思わなかったみたいよ。恋人がいたら仕事に支障が出るって言ってたわ」
「へぇ……ママってそんなこと考えてたんだ。もっといろいろママの若い頃の話を聞きたいな」
「あまりベラベラ喋ると小百合に叱られちゃいそうだから、ちょっとずつ話してあげるね」
頼子が楽しそうにしているのを見て皐月は幸せな気持ちになった。頼子がこんなに幸せそうにしているのなら、母もきっと同じ気持ちに違いない。
友達同士で一緒に暮らすという生活形態を皐月は想像したこともなかったが、こういうのもいいものだなと皐月は認識を新たにした。




