140 この世界には二人しかいない
筒井美耶は藤城皐月のことが好きだ。そのことはクラスの誰もが知っていて、皐月ももちろん知っている。
だが、美耶がどのくらい自分のことを好きなのかわからない。ファンとして好きなのか、恋愛感情なのか、皐月はいまだに区別がつかない。
「栗林さんと千智って子だったら藤城君、どっちが好き?」
「はあっ? 何言ってんの、お前」
「いいからどっち?」
「そんなの考えたこともねえよ。うるせえな」
皐月は美耶のこういうところが嫌いだ。人の心にあまり深く立ち入ってほしくない。なんとか話題をそらしたい。
「じゃあ藤城君が一番好きな子って誰なの?」
「一番好きって、今か?」
「そう」
「今だったら筒井、お前だよ」
「えっ? ほんと?」
さっきまで泣きそうな顔をしていたのにもう嬉しそうな顔をしている。百面相みたいに顔が変わる美耶が面白い。
「本当。だって今、俺の目の前にいるのは筒井しかいないじゃん」
「???」
「今、俺の目には筒井しか見えないんだ」
「……うん」
「だから今は筒井しか選びようがないじゃん」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「なんで? そういうことじゃん。だって今、俺の世界には筒井、お前しかいないんだよ? だから俺は今、お前が一番好きだ」
適当に調子のいいことを言ってみたが、実はすごく深いことを言ったんじゃないかと、皐月は自分のアイデアに酔い、気分が良くなっていた。
「じゃあ私が目の前にいなかったら、私のことは一番好きじゃなくなるってこと?」
「そりゃそうだろ。だってその時は俺の世界に筒井はいないんだから」
「目の前にいなくたって私はいるよ」
「それは……いるのかもしれないけど、いないかもしれない。筒井が見えないところにいたら、俺にはわからない」
「いるに決まってるでしょ! 変なこと言わないでよっ」
「悪ぃ。もちろん筒井はいる。ただ俺にとっては次に会うまでの筒井は記憶の中の人っていうか、概念のような存在というか……ようするに不確定じゃん。そういうのってなんか儚くない?」
「ちょっと何を言ってるのか全然わかんないよ。……じゃあ藤城君はその時目の前にいる子のことを一番好きになるっていうこと?」
「そんなの知るかよ。一番嫌いになるかもしれないし、なんとも思わないかもしれないし……。目の前に知らんおっさんがいたって、好きも嫌いもないだろ」
思い付きで言った言葉だから、突っ込まれると矛盾が出てきそうな気がする。話をしながら考えを固めていくのがいいのかもしれないが、だんだん相手にするのが面倒になってきた。
「筒井は今って限定して好きな子を聞いてきたから、俺は『お前だ』って答えたんだ。それに俺が言った『好き』は恋愛じゃないから」
皐月は自分の言った言葉が理屈っぽくて嫌になってきた。こんなのは本心じゃない。
皐月は今までの美耶よりも今の美耶のことがずっと好きになっていたし、今日は初めて美耶のことを女の子として意識した。それはもしかしたらこれは恋愛感情なのかもしれない。
それに美耶の宗教に関する見識の深さに、友だちでオカルトマニアの神谷秀真以上に尊敬の念を抱いている。
だが、今の皐月は美耶が恋愛のことで絡んでくるのに少しイラついていた。皐月の気持ちを察したのか、美耶はこれ以上好きな人のことは聞いてこなくなった。
「さてと……お参りなんかしないで帰ろうか。信じていない神様に手を合わせるようなことはさせたくないし」
「いいよ。お参りしていこっ。やっぱり礼儀ってものもあるし」
「いいのか? だって筒井、神とか仏とかってあまり信じていないって言ってたじゃん」
「私の家族はどっちかって言えば信心深い方だと思うから、こういうのに抵抗はないよ。まあ文化かなって思ってる。それに、オカルトかどうかはわからないけど、世の中には不思議なことがあるってことは信じてるから」
「そうか……」
真理の自由研究を読んでいる美耶なら荼枳尼天信仰の怖さを知っているはずだ。皐月はまだ美耶に話していないが、美耶はそのことを知った上で参拝してもいいと言った。なかなか肝が据わっている。