131 初めて教室で二人きりになる
藤城皐月と筒井美耶が6年4組の教室に戻ると、中にはもう誰もいなかった。
この教室で美耶と二人きりになるのは初めてだ。美耶は夏休み明けに髪型を変えてかわいくなっていた。女子を異性と意識し始めた皐月にとって、美耶も1学期の時のような友達気分にはなれなくなっていた。
「さっき先生からもらったプリント、読んでおこうか」
「うん、そうだね」
こんな何気ない会話でさえギクシャクしている。皐月は美耶と席が隣同士だった時は何の気兼ねもなく接してきたし、時にはぞんざいな扱いをすることもあった。それが今では妙に気を使う。
「筒井ってこの後、用事とか大丈夫?」
「特に何もないから下校時間までいてもいいよ」
「そんなに時間かかんないって……」
無垢な顔で答える美耶に笑顔でこたえるも、顔が引きつっているような気がして恥ずかしい。1学期の時の自分なら「そんなに時間かかるわけねーだろ、バ〜カ」くらいは言ってたし、そもそも用事があるかどうかなんて聞くことさえなかっただろう。昔だったら相手が美耶でも、絶対に男同士のような会話をしていた。
皐月は美耶の前の月花博紀の席に座って、後ろを向いた。美耶の机の上に互い違いの向きにプリントを置くと、二人は自然とプリントの文字に目を落とした。
「黙って読んでいてもしかたがないから読み合わせをしようか。まずは筒井が読んで」
「え〜っ、私が読むの? 声を出して?」
「そう。俺も後で読むからさ」
前後の席で向かい合うと隣の席に座るよりも顔が近い。しようと思えばキスだってできそうな距離だ。意識すると変な気持ちになりそうなので、皐月は少し上体を後ろに反らした。
ところどころ詰まりながら読んでいる美耶はちょっとバカっぽくてかわいい。読み方のわからない漢字を教える時は、隣同士に座っていた時には考えられないくらい顔が近付く。
その時、美耶の吐息が皐月の鼻先にかかった。少し甘くて、頭がクラクラする。皐月は真理の吐息を思い出し、一度くらい美耶ともキスをしてみたいと思った。
「前島先生のプリントってうまくまとめられているな。やるべきことが端的に書かれている。文章が上手いのかな。読んでいると実行委員をやることへの不安がなくなってくる」
「そうだね。この通りやっていけば間違いないって感じがする。なんだか私でもやれそうな気がしてきた」
プリントには修学旅行に行くまでに実行委員がやるべきことと、旅行中にやるべきことが箇条書きに書かれていた。実行委員のかわりに先生がやることまで書かれている。おかげで修学旅行の全体像が皐月と美耶にもよくわかる。
「おれ、6年間で前島先生が一番好きかも」
「そうなんだ……」
美耶があまり共感を示してくれなかったのは皐月には不満だった。しかし美耶は四年生までは別の小学校にいたので無理もないことだった。
美耶から皐月に音読を代わった。丁寧に読んでいくと、気になる箇所が見つかった。それは二日目のところで、「帰りのバスの中での過ごし方を決める」という文言だった。
「バスの中での過ごし方って何だ?」
軽く書かれた文だが、内容が重い。皐月はここにきて初めて事の重大さに気がついた。
「音楽でも流しておけばいいんじゃない。家族でドライブする時はいつも音楽を聴いてるよ」
美耶が軽いノリで提案をした。
「そう言えば友達が同じこと言ってたな。そういうのって楽しいみたいだけど、俺の家には車がないから、その感覚はわかんないな……」
「音楽を聴きながら家族と話したり、外の景色を眺めてるだけで楽しいよ。だから修学旅行もそんな感じでいいんじゃない?」
「そんなんでいいのかな……。音楽なんてみんな趣味が違うだろうし、俺の好きな音楽なんて、たぶん誰も知らないし……」
「藤城君ってアイドル好きだったよね。だったらみんな知ってるし、いいんじゃない?」
「アイドルっていっても、最近は地下アイドルにハマってるから、そんな曲聴かされても誰もわかんねぇよ」
「ああ……地下アイドルね」
マニアックな趣味はどうして恥ずかしいのだろう。皐月はみんなが好きなことにはあまり興味を示さない傾向がある。
「何だよ、その反応。いい曲だっていっぱいあるんだよ! お前の好きな男のアイドルだって、みんながみんな好きってわけじゃないだろ。特に男子には受けねえだろうし、女子だって嫌いな奴いるだろ?」
「まあそうなんだけど……」
「だから、音楽を流すってのはちょっと難しいんじゃないかな? でもみんなからリクエスト取って、好きな曲を1曲ずつ流せば34曲もあるから、移動時間の暇を潰せるかも……」
「それでいいんじゃない?」
一つアイデアが出て皐月は少し気が楽になった。だが、ゲームか何か他のレクリエーションも考えなければいけないのでまだ気が重い。
美耶を見ると能天気な顔をしている。楽観的なのかお気楽なのかはわからないが、隣でピリピリされるよりはずっといい。




