241 小学生の自炊
この日、校門の前で児童たちを出迎えていたのは校長の伊藤先生だった。校長が校門前に立つのは珍しい。
「おはようございまーす!」
藤城皐月たちの班はみんなで先生に元気良く挨拶をしようと決めている。これは皐月の提案で、皐月たちの班はいつも列を乱して登校しているので、そのことを注意される前に元気に挨拶をして好印象を与えようという作戦だ。
「おはよう。藤城君たちの班はみんな元気ね」
「先生。今日はいつもよりカジュアルだね。スーツで決めている時よりも、こっちの方が好きかも」
「今日は外出する用事もないし、来客の予定もないから気が楽なのよ」
「校長先生でもそんなこと気にするんだね。……あれっ? その指輪……フリージア?」
「そうなの。藤城君、よくわかったわね」
「わかるよ。僕もフリージアが好きだから。フリージアってかわいいよね」
校長は皐月に見えやすいよう、右手を目の高さまで上げてくれた。皐月は手を取って、顔を近づけて見た。祐奈や美香も寄って来て、皐月と一緒に指輪を見た。
校長のしている指輪はシルバーの花びらの中に、ゴールドメッキの雄しべと雌しべがいいコントラストになっている。繊細な造形なので、どこかにひっかけて壊してしまいそうな危なっかしさもある。
「先生。この指輪、よく似合ってるね」
皐月はこの指輪を見ながら、いつか栗林真理や芸妓の明日美にもフリージアのアクセサリーをプレゼントしたいと思った。
「ねえ、藤城君。そろそろ手を離してもらってもいいかな?」
顔を上げると、校長が恥ずかしそうな顔をしているので手を離した。皐月は最近、こういう反応に慣れてきた。
「先生って、手もきれいだね」
「ありがとう。今日も学校、楽しんでね」
皐月たちの後から別の班が次々とやって来た。校門を抜けた皐月に背後から声がかかった。
「おい、藤城!」
「なんだ、野上じゃん。おはよう」
「おはー。お前、なに校長とイチャついてんだよ」
6年3組の野上実果子だった。5年3組の時に同じクラスで、2学期からずっと同じ班だった子だ。金髪で乱暴な言葉遣いをする実果子のことを山崎祐奈と岩月美香が怖がっている。
「なんだ、お前も俺にイチャイチャしてもらいたいのか? してやってもいいぞ」
「気持ち悪いこと言うな、バカ」
祐奈や美香に手を振って別れた皐月は、実果子と一緒に玄関の靴箱へと向かった。皐月は実果子に校長の指輪の話をした。だが実果子はそういったアクセサリーにあまり興味がないようだ。
「野上って最近ハマってることってある?」
「ハマってることか……そうだな、最近は料理を作るようになったかな」
「料理! いいじゃん。どんな料理作ってんだよ?」
「どんなって、よくある食いもんだよ。自分が普段食べるような、普通の飯だな」
「へ〜。じゃあ自分の食べるものは自分で作ってんの?」
「まあな。今までは親父に金もらって、好きなもん買って食ってたけど、飽きるんだよな、買い食いって」
実果子の家族は父親だけで、トラックの運転手をしている。仕事で疲れている父親の代わりに実果子が家のことをやっているが、家事は好きではなく嫌々やっていると言っていた。そんな実果子が料理を作っていると聞くと、皐月は嬉しくなってきた。
「華鈴がときどき料理を教えてくれるんだよ。あいつん家って中華料理屋だろ。華鈴が教えてくれる料理は店の味だから、美味ぇんだ」
「そうか……。今度お前の作った飯、俺にも食わせろよ」
「私よりも華鈴に食わせてもらえよ。あいつの作った飯の方が美味いから」
「江嶋の料理も食べてみたいけど、俺はお前が作った飯を食ってみたい」
実果子が複雑な顔をして笑っている。人前ではほとんど笑わない実果子の笑顔はなかなかかわいかった。




