220 クラスの中心人物
藤城皐月と二橋絵梨花は歩道橋の上で姫街道を見下ろしながら話をしていた。
「真理ってさ、二橋さんと同じ班になってから明るくなったよね」
「真理ちゃんが明るくなったのは藤城さんと同じ班になったからでしょ」
皐月は絵梨花が自分と栗林真理のことをどう思っているのかが気になっていた。
「いやいや。やっぱり二橋さんや吉口さんと仲良くなったってのは大きいと思うよ」
「そう? それなら嬉しいな。じゃあ真理ちゃんが明るくなったように、私も明るくなったと思う?」
「思うよ。だって、俺と同じ班になったからね」
「ええっ? 真理ちゃんや吉口さんと仲良くなれたからだよ」
皐月の軽口に絵梨花が楽しそうに笑っている。学校で見る笑顔とは違う。今は誰にも気を使わないで、自分だけに見せている笑顔だ。
「二橋さんもよく喋るようになったよね。だいぶイメージが変わった」
「えっ? イメージが変わったって、藤城さん、私のことどういう風に思ってたの?」
「高嶺のなでしこ……かな?」
「何、それ?」
「アイドルだよ」
とっさに出たアイドルは皐月の本音に近かった。絵梨花のルックスはアイドルにも負けないくらいかわいいし、小学生にしては大人びたファッションは気品がある。アイドル好きの皐月から見ても、絵梨花にはアイドルの持つ尊さがある。
入屋千智や及川祐希と出会う前や、真理との関係が深くなる前の1学期の間、皐月は絵梨花に仄かな好意を抱いていた。
その気持ちは恋心とは呼べないもので、アイドルのファンのような感情だった。だが、こうして絵梨花と二人いると恋愛感情に昇華しかねない危うさがある。
「私が最近明るくなったのはね、藤城さんのおかげでもあるんだよ」
「嘘だ〜。さっき違うって言ったじゃん」
皐月はわざと素っ気ない返事をした後で、軽く微笑んだ。
「だって藤城さんって、すごく私に話しかけてくれるんだもん。そんな男の子、前の学校にもいなかったよ」
歩道橋の上を通り抜ける風に、皐月は秋を感じた。学校が休みになる夏が一番好きだったが、今は秋が一番好きかもしれない。
「転校してきた当初はこの学校に一人も友だちがいなかったの。だから1学期は誰も話しかけてくれなかったんだよ。転校が1学期の途中だったら、みんなにチヤホヤされて、もう少し友だちができていたかもしれないね」
確かに絵梨花の言う通りだったかもしれない。皐月が初めて絵梨花を見た時、この子誰?」だった。
皐月は同じ学年の女子を全て把握していたので、転校していた絵梨花は皐月にとって全く知らない女の子だった。絵梨花と話をしてみたいと思っていたが、席が近くならなかったので仲良くなるきっかけが掴めなかった。
「1学期は誰も話しかけてくれなかったから、嫌われているんじゃないかと思ってた」
「別に嫌われてなんかないよ。嫌われてるわけないじゃん。二橋さんはいつも穏やかだし、学級委員として人望もあるし。それに男子の間では人気があるみたいだよ」
「そんなことないと思うけど……」
「いや、これは本当。みんな二橋さんのこと大好きだよ」
「もう……藤城さん、絶対に適当なこと言ってる」
「本当だって」
「みんなが大好きってことは、藤城さんも私のこと大好きなの?」
「お、おう……。もちろん大好きだよ」
「あははは……。面白いね、藤城さんって。告白されたみたいで嬉しいな」
穏やかで真面目な印象だった絵梨花はときどき小悪魔的な面を見せる時がある。絵梨花の二面性は席が隣同士になり、話をするようになって初めて気付いた。月花博紀などクラスの男子たちは誰も絵梨花のこの魅力を知らない。
「ただ、何て言うかな……二橋さんって完璧すぎて近寄り難いイメージはあるよね。俺でさえそう思ってたくらいだから、他の男子なんかみんな畏れ多くて声をかけられなかったはずだよ」
「完璧すぎるってどういうこと?」
「えっ……」
聡明な絵梨花が聞き流すはずがない。絵梨花の気持ちを上げることばかり考えていて、表現の仕方を間違えた。「告白されたみたいで嬉しい」と言われたんだから、勢いで告白でもしてしまえばよかった。
「それはさ、あれだよ……。二橋さんってかわいいし、性格もいいし、頭もよくてピアノも弾けちゃうし……。スペック高すぎじゃん」
「ふふふ。藤城さんにそんな風に褒めてもらえて、嬉しい。ありがとう」
「いや、クラスの男子はみんなそう思ってるって」
「そうだったね」
絵梨花にしては珍しく、舞い上がっているように見えた。クラスの男子が云々というのは、皐月が自分の気持ちをごまかすために言った言葉だ。だが一度目ですでに見透かされていたので、二度目はただの照れ隠しだ。
絵梨花のことを好きな男子がたくさんいるのは本当だ。博紀がそうだし、花岡聡だってそうだ。他の男子からもそういう話を聞いている。そして皐月自身も絵梨花に好意を寄せている。
「二橋さんってさ、俺みたいに軽々しく話しかけてくる奴なんて軽薄だと思わなかった?」
「思わないよ。思うわけないじゃない。藤城さんみたいな人って人見知りにとってはありがたい存在なんだから」
「そうなんだ。てっきり白い目で見られていたと思ってた。俺、男子の中では結構浮いているからな。女とばっか話してるって」
皐月はクラスの男子から少し距離を置かれている。昔はその原因が自分でもよくわからなかったが、最近は少しわかってきた。それは皐月が女子とよく楽しそうに話しているからだ。
博紀が自分に対して複雑な思いを抱いていると、弟の直紀から聞いて初めて知った。そのことを踏まえると、最近態度が急変した聡の心境も想像がつく。
同級生の男子から嫉妬をされている、というのが皐月の自己分析だ。自分の好きな女子が他の男子と親しげに話しているところなんて誰だって見たくない。
でもこう考えると敗北感に打ちひしがれる。なぜなら博紀にはファンクラブまであり、女子の好意を一身に集めているからだ。それなのに博紀は男子からも人気があるし、クラスの男子は博紀には嫉妬していない。この彼我の差のせいで、皐月は博紀に対してずっと劣等感を持ち続けている。
「そうなの? 全然浮いてるようには見えないけど。私は藤城さんがクラスの中心人物だと思ってた」
「えっ? 中心人物は博紀だろ?」
「月花さんよりも藤城さんの方がいろんな人と交流があるでしょ。藤城さんって月花さんがあまり話さない人ともよくお話しているし、女の子みんなと仲良くお話しているよね。月花さんは付き合う人が限定されているから、人気者とは思うけど、中心人物だとは思わなかったな」
皐月は絵梨花の評価が嬉しかった。絵梨花は博紀のファンクラブに入っていないだけあって、クラスの女子より視座が高い。ファンクラブの女子は博紀と比較しながら男子を見ている。
博紀は寄って来る女子に対して営業スマイルを見せている。それで男子からの嫉妬を受けずに済んでいる。皐月はそんな博紀の振舞いを学ばなければならないと思うようになった。




