閑話 遠い異国の祭祀は、東方の『益荒男』の心を震わす
―――― 拙が滞在している、この国の宰相家別邸。
色々と身分的、状況的に扱いが困難な外国人の逗留場所として指定されて居る屋敷だ。 本国の大使が使用している大使館も有るが、あちらは正式に認められた駐在官吏が使用するモノであり、非公式に滞在する者は使用する事が出来ない。
かく云う拙者も、身分的には駐在武官と成ってはいたが、その実、正式な駐在官吏では無い。 故に、非公式な外国籍の者が滞在する場所として、この宰相家の別邸に留め置かれる事となったのは必然。 余りにも、様々な『噂』が、拙を取り巻いている事から、この国の上層部は拙を市井に無手勝手に置く事を良しとしなかったのだろう。
ようは監視と拘束の為。 拙が無茶をしなければ、ある程度の自由は認められていると、考えても間違いでは無い様なのだ。 観戦武官としてこの国に遣ってきて、その騒動も収束した後、拙はこの国には用は無い筈なのだが、一向に帰還命令が下りる気配は無い。
つまりは、厄介払い。 何か、大きな事が起こるまでは、この国に於いて無為に過ごせと、そう云われている様なモノだった。 嘆息しか出ない。 自身の両掌を見詰めて、それも又…… 仕方の無いことだと、諦めの境地に達しても居る。
……血塗られた悪鬼。
悪鬼も裸足で逃げ出すような羅刹。
羅刹よりも血に飢えた漢。
散々な云われようだ。 そうでなくては、拙が配された『あの地』で生き残る事など出来なかったのにな。 しかし、状況は変わった。 そう、拙が自ら変えた。 凄惨な戦の勝利と云う代償だった。
…………仄暗い感情と共に、今は生きている。
王都の宰相家の別邸に於いて…… ただ、ただ、無為に生き恥を晒しているようなモノだ。 最近、この代わり映えのしない灰色の生活に一つ、変化があった。 女、子供に好かれるような顔立ちをしていない拙に対し、屈託のない笑顔を向ける女児が、別邸に暮らし始めたのだ。
自身のことを神官と云って憚らない彼女。 拙の世話をしてくれている別邸の者達から『お嬢様』と呼称されているのは、何故だ? 宰相家のお嬢様ともなれば、蓬莱に於いては公家の姫では無いのか? それが、神官を自称してるのは何故だ?
色々と疑問は有るが、彼女は拙が暮らす別邸の小聖堂に来たと云っていたが、そのうち、別邸本棟に暮らすようになった。 なにか、大きな変化があったのか、此方に棲み始めてからは、この別邸に住まう者達と朝食、及び、時間の許す限り夕食を一緒に取る事となった。
……まるで、饗応役の様に。 まさしく、宰相家の家人の様に。 その幼子は、何かを背負っているようにも見えた。 とても、気持ちのいい女児。 貴種たる者の在り方を良く理解し、そしてそれを実行する者。
恐ろし気だと云われる拙の顔を、笑顔で迎える者は ……そうは居ない。 そう、幾ら胆力に優れている者だとしても、『益荒男の威』が漏れ出す拙の前で、あれ程屈託なく笑う者は、今まで居なかった。
だから、拙も心を許す事にした。 朝食での席に於いて、拙の『言葉』に関する問題を、解いてくれたのも彼女なのだしな。 おかげで、この別邸の者達とのやり取りも上手くなった。 意思の疎通は、何よりも重要なのだ。 此方に害意が無いと判るまでは、遠巻きにされて居たのだが、それが消失し、実家の公家の使用人達と同じような対応をしてくれる。 有難い事だ。
今朝は、まだ彼女の姿を見て居らぬ。 なにやら、騒動が有ったか。 上手く切り抜けて居て呉れればいいのだが。 朝食の席で彼女を待ちながら、少々物思いに耽ってしまった。
この国に来るまでの事を。
そして、何故、主上は拙を蓬莱に呼び戻さぬかを……
纏まらぬ考えに、『思考の深淵』に、飲み込まれたのだ。
―――――
拙は…… 本国から厄介払いされた『はみ出し者』であり、本国でも扱いに困る公家の益荒男だった。
拙の実家は高位の公家。 蓬莱の政治的には、かなり重要な地位に就く者達の家柄。 皇王陛下の御側にて侍する家柄でもあった。 陰謀術策が張り巡らされている朝廷に於いて、その思惑の糸を紡ぎ出す方の家系。 ……苦手であった。 拙には、それが、途轍もなく不得手であった。
そのような家門の中で、拙は特殊な人間。
天は、そんな拙に代わりになる物を授けて下さった。 生まれ持ったのは『頑健な体』だった。 そして、『剣術の才』が、拙の在り方を決めたとも云える。 幼少の頃より、人一倍成長は速く、歩きだすのも武具を扱うのも、他の子よりも相当に早かった。
そして、残念と言われる程、それ以外の才は無かった。 書を読むよりも、身体を動かす事に興味が持っていかれ…… 気が付けば、公家の男としては、『落第』だと周囲の者に言わしめる程の 『 阿呆 』 に、育ってしまった。
―――
東方の祖国 『 蓬莱 』は、大陸に一部所領を持つ群島国家。 領土の一部を北方の帝国領と国境を接する国。 よって、帝国の覇権的な脅威に晒されてもいる。
特に重要視されていたのが、飛び地となる大陸にある所領。 祖国の重要な防御拠点でもあるのだ。 帝国が大海原に漕ぎ出して、我らが祖国に仇成すことが無いようにと、橋頭保を持つべくして捥ぎ取った領土。 その地に於いての武士は、他の領とは比べ物に成らぬくらい強靭で精強とも云われた。
その地へと赴く公家のモノはほぼ居ない。 余りにも未開で在り、命がとても軽く扱われる場所。 帝国の脅威だけではなく、周辺の森や迷宮には、魔物がウジャウジャと存在し、人が暮らすには、余りに過酷な土地。
都とは、隔絶しているため、その実態を知る者は都ではごく少数でしか無かった。 朝廷は苦慮していた。 飛び地の実態を知るは、主上たる皇王陛下と、高位の公家の当主達。
その地に公家のモノが居ないのは、蓬莱にとって良くはない。 全くもって宜しくない。 文民統制官が存在しないと成れば、武士達による、独断専行により、飛び地に新たな『朝』が立ってしまう可能性があった。
よって、厳選した者達を送ることに成り、白羽の矢が打ち立ったのが拙という訳だ。
幼少の頃より、学問より武が好きで、暇さえあれば剣を振るっていた。 恵まれた体格、天より与えられた剣才は、拙を戦野に赴かせる事となる。 武士達を纏め上げ、侵攻してくる外敵を打ち滅ぼし、民の安寧を護る為に魔物達を蹂躙して行く『漢』が、必要だった。 公家の者にそのような『益荒男』は、限られていた。 また、野心を多く含む者に、『その任』は任せられないと云う事情も有ったらしい。
朝廷は、栄達を求めぬ、愚かで武威に満ちた『漢』を欲したのだ。 それが、拙だった。
海を渡る事に、なんら鬱屈した思いも感じず、いとも簡単に受け入れたのは、都の貴族達の在り方に疑問を持っていたからかもしれぬ。 蓬莱では、貴族は二層に分離する。
皇王陛下を頂点に、朝廷を構成する公家。 統治し、蓬莱に光を齎す為に画策する頭脳集団。 それが故に、とても気位が高く、公家以外の者達を自然と下に見るその態度は『高慢』ではあった。
その下に付くは、純粋な武力を以て『蓬莱』に貢献する武家。 一朝事あらば、皇王陛下の『 勅 』を拝し、事に当たる…… そう規定されている集団でもある。 彼等もまた、人であるが故に、この覆されぬ身分制度に対し、鬱屈した思いを抱えているのは、その実態を知る者にとっては、” 当然 ” だと、認識している。
彼等の『武威』は、どんなに研ぎすまそうと、それは、あくまで『武門の義』でしかない。 群島国家である『蓬莱』では、彼等の所領などは極小さく、この国における辺境の貴族と変わりない。 そして、常は民と混じり、土地を耕し額に汗する者達でもあるのだ。
都の貴族…… 公家に属する者達は、そんな彼らを常に下に見続けている。
が、それも…… 蓬莱の古来からの習わしの様に、誰も疑問に思っていない。 拙は、其処に疑問を持ってしまった。 なにゆえに、蓬莱人はこれ程までに『身分の違い』を自然に受け入れるのか。 天は、『人』に、差異を付けて誕生させたのか。 いや、それが天の本意なのか?
そう云った疑問は、長ずるにつれ大きく深くなり、やがて、自身が所属する集団への懐疑へと育って行った。
拙はその心情を言葉にしてしまった。 よって、公家でも無く、武家でも無い、『貴族社会の異物』となった。 扱いに困る漢と呼ばれ、親兄弟にとっても厄介な漢となった。 武威は公家を見回しても、拙以上の者は居ない。 しかし、使い処が無かった。 まかり間違えば、蓬莱の朝廷にとって、反旗を翻さないとも限らないと、拙の言動が問題視されていたのだ。
よって、戦乱が絶え間ない、大陸の飛び地に送られる事となった。 厄介払いが大きな理由でも有るのだろう。 栄達を求めず、下々の者達に混じっても、なんら感情を揺らさぬ上、飛び込んで行くであろうと、そう思われていた。 自身もそれは重々承知の上。 蓬莱の『都振り』は合わぬと、常々そう思っていたからな。
大陸では、配下に武辺の者達を組み入れ、散発的にやって来る帝国の軍勢を叩き返しつつ、国土を富ませる為に、多くの魔物が生息する森を切り拓き、農地と成した。 夷狄が狙い、魔物達が出没するような辺鄙な場所に、拙は自身の居場所を見つけたのだ。
状況が一変したのは、帝国が本腰を入れて侵攻してきたのが切っ掛けだった。
帝国の東方軍最高軍令部が、蓬莱の飛び地に対して、大きな戦力と高級将官をもって侵攻してきたからだった。 幾つもの戦闘が始まり、幾多の戦場が華開く。 血潮と云う赤い花の花畑があちこちに出来た。
地の利を生かし、強大な魔物が生息地に敵軍を誘導したり、深い竪穴にある迷宮に落とし込んだり、悪鬼羅刹でも考えつかぬ、悪辣な戦闘を指導し、その先頭に立って戦いもした。
拙の武具は、敵の血が乾く間もなく、赤黒く染め上げられ、見た目の厳つさも相まって、仲間の武士たちからも『暴乱の赤鬼』とまで言われた。 拙は仕方なくしていたと云うのに…… 民草が暮らす平穏な邑落を脅かす敵をなぎ倒しただけなのだ。
極めつけの出来事があった。
帝国侵攻軍の司令部の在処が判明したのだ。 国境近くの山間に策源地を置いていた。 物見の者からは、大小様々な天幕が張られ、帝国東方軍司令の軍旗が高々と掲げられていたと報告があった。 様々な戦闘を繰り返した拙には、一つの考えが浮かぶ。
帝国軍は良く組織された精強なる将兵達だった。 軍令は過たず上位下達され、仲間を想い、敵を憎む様に勇猛果敢だった。 しかし、一方で良く組織されているが故に、兵の個人判断を許さない。 軍令により、死地に飛び込めと云われて逃げる様な者は居ない。 それが故に、指揮命令系統の上位者がいなくなれば、兵達は戸惑い下級指揮官の指揮の元、撤退を始める。
後方で新たな上級指揮官を得る為に。
つまりは、彼等は手足で在り、頭脳を失わば『死に体』となる。 巨大な魔物と同じ、頭を潰さばあとは自在となる。 ならばと……
紅き月が満天の星空を制した夜、少数の精鋭を率い、拙はその司令部天幕に吶喊した。 少数が故に、山間の隘路を抜け、後背に位置する事が出来た。 既に戦闘は始まっているのだ、奇襲攻撃は戦術の一手。 誰憚る事無く、この奇策を弄する事とした。
飛び地の有力武家の頭領に、拙が戦死した後の事を頼み、夕暮れ迫る中、愛馬に拍車を掛ける。 昏き森を駆け抜ける赤黒き益荒男の一団。 その数五十に届かず。
断崖と云うべき場所の上に立ったのは、赤き月が南天に掛かる頃合い。 眼下に見える敵司令部の天幕群は、ひっそりとしており、歩哨が立つのみ。 寝静まっている…… この断崖を騎乗で駆け下る事は出来ぬ。 下馬し、付き従った者達を見詰める。
” 此れより、死地に吶喊する。 命は無いと思え。 求めるは、この地の安寧。 目指すは、敵将の首一つ。 誰が討っても良い。 武士の美学は忘れろ。 相手は丸腰だとしても容赦するな。 眼下の敵を一掃できれば、この戦は終わる。 この倖薄き地に暴乱を来す者達に鉄槌を。 どれほど強大なるモノであろうとも、我等の意思を挫くものなし。 吶喊ッ!! ”
馬を断崖上に残し、皆で駆け降りる。 馬を背負う様な事はしない。 四つ足だからと、断崖を下らせるような事もしない。 馬は…… 我らの相棒なのだ。 善き軍馬は、その体重と同じ金塊と同等の価値が有る。 この地に暮らす者は、その事を良く知っている。 だから、残した。
我らが命を賭した後、生き残れなければ、他者の者に成るであろう我らが相棒。 決して長くは無い馬の命なのだ。 こんな愚かな行為に付き合せては天に申し訳が立たない。 善き主人と出会う事を祈りつつ、断崖を駆け降りる。
―――我等、修羅の鬼共の様に。
コレは、正しくは吶喊では無い。 鬨の声も無ければ、鯨波も無い。 そこに有るのは純粋なる殺意だけなのだ。 火を掛けるのは愚策。 夜陰と赤き月の光に導かれるように、歩哨を血祭りにあげていく。 敵も然る者、異変に気が付き警鐘を鳴らす。
夜の闇は、我等が朋。 警鐘を鳴らす愚行を犯した兵卒は次の瞬間には血反吐を吐き地に伏す。 首と胴体が離れた状態でな。 あちこちに散開し、蹂躙を果たす。 精強なる兵とは異なり、参謀達はその頭脳で侵攻に貢献する者共。 個人の武勇など、爪の先も存在しない。
牛酪を鋭利な剣で撫で偽る様に、首を切り裂く。 喉笛から噴き出す血を浴びつつ、周囲に動く者がいなくなる迄血刀を振るい続ける。 騎馬用の大きく反った太刀は、その威力を遺憾なく発揮し、一つ、また一つと天幕の中に居る者達を物言わぬ肉塊に変えていく。
紅き月の光が道行を指し示してくれているかのようだった。
粗方の天幕の襲撃が終わり、残るは大天幕。 おそらく総指揮官が居ると思われる場所。 異様に警備が厳重ならば、それも判ろうものだ。 司令部はほぼ壊滅したも同然。 頭は潰した。 そして、これが、最後の仕上げであった。
五十に届かぬ羅刹共は、今は二十に届かぬ程。
最後の抵抗線は、それ程に苛烈で容赦なく、攻防双方に激烈で壊滅的な損害を与え続けていた。 もう、豪放磊落に笑いながら肩を組んで酒を煽った仲間は居ない。 遠く時が意味を成さぬ場所へと旅立った。 いずれ、その地で酒を酌み交わしたいと思う。 前のめりに地に伏す男達に惜別の念を覚えながら、コレを最後と吶喊を敢行する。
” 我は帝国東方帝姫、マルチャーレ = トリオンファーレ = コラパルテ = フォン = エステバル! 蛮族が長に一騎打ちを所望する。 我が領土を我が物顔に侵食したお前たちに、名誉が有るならば、受けよッ!! ”
大天幕の中から、美麗な甲冑を着た者が武威を張りつつ出現した。 成程、コレが敵将か。 まだ若く見える。 声音から女性と見受けられる。 さらに、自身が帝国東方帝姫と自称した事からも、紛れもなく帝国の帝室の一員であると云う事。
つまりは、親征とも云えたのが、今回の戦の本質。 橋頭保として確保した土地は、帝国にとって極めて辺境なのだが、いずれ大海原に漕ぎ出すには是非とも必要な場所でもあった。 有るか無いか判らぬ土地の所有権を、互いに主張していたのが現状だったのが、此度の戦で確定もしよう。
そう、この土地は蓬莱が国土。
周囲の益荒男共が息を入れる間に決着をつけてしまえ。 そちらが此方を蛮族と呼ぶならば、拙もそれに応えよう。
” 夷狄が姫の要請に応えようぞ。 我は蓬莱が公家、シロツグ家がツァイ。 神名『伊右衛門』を戴く、伊右衛門 = 二種 = 権ノ輔= 代継。 我らが国土に侵入する夷狄を排除せんがため、見参した。 いざ尋常に勝負ッ! ”
武人とは言え、女性なのだが…… 互いに名乗りを上げたとはいえ、益荒男の拙と直接一対一のに持ち込むとは、飛んだお転婆姫だ。 しかし、ココは戦場のど真ん中。 情け容赦等は、一片の考慮にも入れては成らぬ場所。 既に、血戦の火蓋は切られているのだ。 油断など出来よう筈も無い。
マルチャーレと自称する帝国の姫君は、良く魔法を使い、身体を強化している。 その剣筋も、並みの武士では太刀打ちできぬであろう程には良くデキる。 何合も打ち合い、剣から火花が飛び散る。 帝国の帝室に連なる者、まこと天晴であると、そう感嘆した。
このような辺境に於いて、自身の矜持を十全に発揮し、奪われた国土を取り戻すのだという覇気に満ち満ちている。 が、拙とて易々とは死なぬよ。 死地に於いて、このような敵に相まみえたのは、天の采配か。 自身の全てを用い、この強敵と相見える。
この死闘は、今も心に残る戦いであると断言できる。 その熱く研ぎ澄まされた命の遣り取りの短い時間。 心は歓喜に震え、天にマルチャーレと出会わせてくれた事を、密かに感謝した。 時は…… 残酷である。 男性と女性。 巨漢の拙と、華奢な姫。 剣技に於いては互角でも、地力が違う。
時間が決められた試合などでは、きっと姫君の方が優れていたであろうな。 しかし、ココは戦場。 綺麗ごとな規則など、毛ほど先も無い。 徐々に、徐々にマルチャーレの剣戟が鈍る。 当然だ。 拙も彼女の切っ先を幾度となく受けているが、彼女にしても拙の剣戟を幾度も盾と身に受けているのだ。 削れていても、なにも不思議は無い。
彼方は盾を持っているが、拙は太刀のみ。 攻撃に全てを賭ける剣技は蓬莱独特のモノ。 肉を切らせつつ、骨を断つ機会を伺い、一瞬の隙を過たず全力で突く。 それが、蓬莱の戦いと云うモノ。
そして、最後の瞬間が訪れる。
マルチャーレの鋭い突きが、拙の半身を襲う。 が、それも開始当初と比べては、余りに遅すぎる。 もう、体力が無いのだろう。 自身の疲労が限界に達し、見るも無残な突きの速度に成っているのを、マルチャーレ自身が絶望の面持ちで見ていた。
そして、拙は一振りに掛ける。 大きな予備動作は、袈裟斬りの軌道。 その軌道面に対し、盾を上げるマルチャーレ。 拙は待っていた。 余りに大きな予備動作に、マルチャーレが無意識に反応するこの時を。
がら空きになった体の正面。
予備動作を途中解除し、乾坤一擲の突きを放つ。
トスン…………
太刀の切っ先が、傷付いた金属胸当ての継ぎ目を縫う。 タラリと濃い色の血が太刀の刃を伝い流れる。 マルチャーレは兜の下から呆然とその情景を見る。 ガクリと膝をつくマルチャーレ。 もう、彼女には立っているだけの体力は無かった。
…………ゴフリっ
くぐもった音が兜の下から聞こえる。 肺を傷つけ、血溜まりが喉を駆けあがったのだろう。 戦闘力は全てを奪った。 残るやるべき事は一つ。 マルチャーレの兜を捥ぎ取る。 強い信念を秘めた、マルチャーレの翡翠の瞳が拙を捕らえている。
茶褐色の髪が、風に攫われ大きく乱れる。 彼女は言葉を紡いだ。 静かに諦観を浮かべた声色だった。
” イーモンだったな…… 蛮族が風習は知っている。 首を取れ。 そして、この益体も無い戦に終止符を打ってくれ。 ……最初から名誉など無かったのだ。 しかし、神に感謝するべきは、最後の時に全力で挑める武人と相見えた事。 …………益体も無く、果てしなく不毛な戦に於いて、お前と出会った事。 唯一、価値ある事だった。 ……もう、……思い残す事は …………何も無い ”
そうか…… マルチャーレは死に場所を探していたのか。 嬉し気に、笑顔が零れるマルチャーレ。 紅き月の光に照らされたその顔は、それまで出会ったどんな女性よりも、美しく可憐で…… 壮絶だった。 そして、拙は一つの結論に至る。 『情け』など無用と。 いや、それこそ、彼女を貶める行為なのだと。 そして、心から思う。
―――― なんだ…… 拙と同じなのか。
と。 一閃は容赦なく。 周囲の者達が見ている前で。 昏き空の元、紅き月の光の中、マルチャーレの首が飛ぶ。 その顔に、深い満足が刻まれた居た事は、拙だけが知る事実だった。
―――― § ――――
戦いは収束した。 司令部が瓦解した帝国軍は引くしか無かった。 後続を勤められるモノが居なかったとも云える。 後に、マルチャーレは帝国皇帝の姪に当たるものであったと。 そして、その立場はとても弱かったと。 帝室に於いて、幾度も毒殺の危機に瀕し、やむなく軍に奉職したと。 帝国の中では、取り立てて美姫と云う訳でもなく、刃を使い自身のいるべき場所を確保した、武人であったと。
せめて、マルチャーレの死を悼もうと、大天幕から転がり出て来た女官達に、首と身体を渡したのは、果たして善き事だったのだろうか?
拙も又、この騒動の終焉を見終えた後に、『都』に帰還命令が下った。 武威を示し、武家の者達と親しくした公家の者は、都の公家の者達にとって、脅威となったのだ。 辺境の飛び地に於いて、『 朝 』を開くやもしれぬと云う危惧を与えてしまったのか。
役職も又変わる。 生家では、軍功を讃え『征夷大将軍』の地位を願い出たが、朝廷はコレを否決。 力あるものに、権威を与える事罷りならぬとの事。 消極的ながらも主上もそれに同意。 よって、拙は無役となり、都に帰還した。
武功高い、無役の公家の益荒男。 これ程、扱いに困る人物は居ない。 拙自身もそう思う。 さて、どうなるかと、そう思っていたら、主上から直々にキンバレー王国への派遣を言い渡された。 あちらも、帝国と騒動が持ち上がっているらしい。
そこで、対帝国戦に於いて武功高い拙を、『観戦武官』として派遣するとの事。 あちらの戦ぶりを観察し、もって蓬莱が国防に必要とあれば報告せよとの思召し。
蓬莱の朝廷に於ける、様々な思惑と柵から逃してやろうとの…… 『有難い思召し』とやらだった。 親父殿が因果を含める様に、拙に説明を施す。 慰撫するように、なにか後ろめたさが有るかのように重ねる言葉に、頷くしか無かった。
海路を取り、キンバレー王国に到着。 供周りは、諜報関係の忍び達のみ。 まぁ、さもありなん。 全員が女性と云うのも、親父殿の配慮か何かであろうが、全く興味も湧かなかった。 千鳥、千船、千早、千草。 四人の女性の諜報官を伴い、キンバレー王国北方域で起こっている騒動に首を突っ込む事に。
友好国と云う事で、なにかと便宜を図って貰えたが、そこは軍機密の中。 さして自由は無かった。 見るべきを見、聴くべきを聴いただけ。 情報の収集は諜報官達の仕事でもある。 そして、拙は彼女達の仕事が遣りやすいように動くまで。
戦鬼と呼ばれた拙が、静かに御役目を果たしているのは、諜報官の女性たちにとって、不可思議な事だったのか。 まぁ、いずれ、都に呼び戻されるのだからと、過不足なく御役目を果たしていた。 騒動も双方痛み分けの終結で収束し、拙の観戦武官としての御役目も終わった。
諜報官達は、正式に大使館所属となり、此方の情報を蓬莱に告げる眼と耳となったが……
拙には何の命令も無かった。 身分は非公式ながら観戦武官のまま。 流石に、これはどうかと思ったが、帰還命令が出ない限り、本国には帰れない。 帰るにしても、相当な理由が必要となる。
つまりは…… 異国の地に捨てられたと云う事。
肩の力が抜け落ちた。 ぶらぶらと、キンバレー王国の内情を見つつ、あちらこちらを漂っていると、今度はキンバレー王国からの要請が入る。 極めて簡素に纏めると、『 国内をウロツクな。 王都に於いて定住しろ 』、との事。 発令元は宰相府。 痛くも無い腹を探られ、王国が隠したい秘事を蓬莱に流されるのは御免だと、そう云う意思が垣間見られた。
まぁ、其方は千鳥達がすべき御役目だから、拙は知らぬ。
それが…… この、宰相家別邸に定住する事になった経緯だったな。 思えば色々と有ったものだ。 此処までを思い出したころ、優し気な声が拙に掛かる。
マルチャーレと同じ、『茶褐色の髪』と、『翡翠の瞳』を持つ幼子の声だ。
「お待たせして申し訳ございません。 お腹空きましたでしょ? 朝食を始めましょう」
頷くのは、我等。 楽し気に様々な話題を朝食の席に乗せる、若き侯爵令嬢の笑顔に、紅き月光の元、首だけと成りつつも、満足気に笑うマルチャーレの表情が…… 二重写しのように重なった。 浮かべる笑顔に、決意の表情。 確固たる心が存在し、運命に翻弄される自身の行く道を切り拓く強さ。 それを内包しつつも、柔らかな笑顔。
そんなエルディ嬢に、強く好感を覚える。
まるで……
紅い月夜の中、命を掛けて対峙した、あの崇高なる戦士 ” マルチャーレ ” に向ける、心そのものの様に。 刹那の瞬間、拙は多分心奪われていたのであろうな。 状況が違えば、異国の姫君を奪う男に成っていたかもしれぬ。 苦笑と共に、拙はそう思う。
その上で、推察できる事も有る。 彼女の表情や仕草の端々に、マルチャーレの様な『覚悟』を感じてしまう。 だから…… 多分…… エルディ嬢も戦っているのであろうなと、そう思う。
己が運命と…………
命を掛けて…………
気のせいかも知れぬが、そんな気がする。 だからこそ、強く思う。 この少女の笑顔だけは、何としても護りたいと。 マルチャーレの様な、” 辛く哀しき笑み ” では無く、『万人の心を安んじさせる』ような、この屈託のない『慈愛の笑み』を……
―――― 護りたいのだと。 ――――
少々、ボンヤリとしてしまった。 バリュート共和王国 グウェン = バン = フュー 商務官補 と、何やら遣り取りが有ったようだ。 エルディ嬢は、そんな拙に優し気な視線と共に言葉を紡ぐ。
「…………あの、シロツグ卿にも、お願いしたく存じます」
「何でしょうかな?」
「小聖堂にて、『豊穣祭』を開きたく存じます。 お時間あれば、ご参加をして頂きたく」
「ほう、『豊穣祭』とな? それは、『新嘗の祭り』と同じようなモノか?」
「ええ、大地から頂いた作物を奉じ、生きる為の糧を戴いた事を神に感謝する祭事ですわ」
「成程、さすれば、拙も同席しましょう。 天に通じる祈りを捧げるは此れ、この世界に生きる者のあるべき姿。 祭事と云うなれば、相応の装いを用意せねば成りますまいな」
「その様に畏まる様な祭事では……」
「いけませんな。 天に祈りを捧げるならば、相応の装いでなくては。 特に、血塗れな拙ならば……」
「はい?」
「なんでも御座らんよ。 大使館の者に、我が祭服を持ってこさせる故、その旨を家宰殿に、伝えて下さらぬか?」
「ええ、喜んで。 でも…… 正式なモノではないのですよ、シロツグ卿」
「お誘い、有難く。 異国での祭り、しかと検分する事も又、拙の『使命』にございますよ、エルディ嬢」
「……はい。 あの…… それでは、宜しくお願い致します」
小さな貴婦人は、拙の出自や経歴を知らぬ。 教えても居らぬ。 『天の意思』の前に出るには、血の穢れがこびり付き、悪鬼羅刹と恐れられた…… 拙者。 そんな拙に、神聖なる『祭祀』に参加して欲しいなどと世迷い事を言うのは……
多分……
きっと……
この国の『小さき聖職者』にして、『フェルデン侯爵家令嬢たるエルディ嬢』が心より真摯に祀る、神様と精霊様方の、御意思なのだろうと、深く思い………………
この国を見守る ” 神と精霊様方 ” の慈しみの心に…………
―――― 強く感銘を受け、心が震えた。 ――――
この閑話だけでも、一編の短編と成り得るポテンシャルを感じてしまった中の人。
エルデの物語は、コレが有るから、なかなかに進みません。 ご容赦を!