表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/121

閑話 且つて『聖女候補』で有った者の《祈り》

 


 ” 奇跡が起きた ”



 感情を抑え込んだ表情をした貴族夫人が、邸の奥庭の樹々に隠す様に設置した祈祷台の前に佇んでいた。 疾うの昔に諦めた事を思い起こして、表情から感情と云うモノが抜け落ちている。 何年も、久しく足を運んでいない、石の祈祷台は苔生(こけむ)し、風雨にさらされた表面は、酷く汚れていた。


 そっと、石の祈祷台に手を伸ばし、その表面を撫で、呟く様に言葉を紡ぐ。



「あの方…… 『本物』なのね。 私が目指し…… 研鑽を重ね…… 努力し続けても尚、届かなかった高みに立つ方なのね…… そう、神様と精霊様方はついに(・・・)手に入れられたと云う事なのね。 そうでなくては、あの年で、あれだけの供物で、あんな極大精霊魔法なんて…… 体内魔力だけでなんて、無理よ…… 『大地が大精霊ガイアード様』の御降臨を願う? わたくしが、現役の修道女であれば、鼻で嗤ったかもしれないわ。 そんなの ” 荒唐無稽な話 ” だって…… でも、それが出来てしまうのが、精霊誓約を結んだ神聖(・・)なる聖女が権能(御力)

 研鑽を………… すっぱりと諦めた事は、私にとって『慶事』なのかもしれないわ。 積んだ研鑽と、得た知識と知恵は今の生活にとても役立っているのは、神様がわたくしの努力に免じて下賜された賜物(努力の対価)なのかも…… なんて、思ってしまうのも、かつて聖堂教会の修道女(・・・)だったからかも…… ね。 それにしても…… 凄まじい神威ですこと。 わたくしが、どんなに研鑽を積んでも、知識を詰め込んでも…… いったい、何が違ったのかしら?」



 呟きが、静謐な奥庭に広がる。 自身の声に驚いた様な表情が、その女性の凛とした(かんばせ)に浮かび上がる。 自身の発した言葉の意味を今一度…… 深く深く咀嚼して…… 論理的帰結を模索し…… 思考を重ねた。


 奇跡が起こる直前までの事を、深く、深く、一つ一つ、手に取る様に見詰めたのだった。






       ――――― § ―――――







 自身が嫁いで、息子と娘を得てから、暫く季節が廻った後…… ファンデンバーグ法衣子爵家は未曽有の困難に直面していた。 成程、妻たる自身が教会と深く関わりを持つ者なれば、昨今の王侯貴族と教会との間柄を鑑みれば、遠巻きにされるのも致し方なかった。


 夫がどんなに努力しても、その事実だけは変えようが無かった。 昨今の風潮は時を経るごとに、強く強く影響を拡大して行っていたから。 特に寄親たるリッチェル侯爵家の『お嬢様(・・・)』に対し、聖堂教会の貴族派枢機卿達が成した『不敬』により、その溝は深く大きく穿たれてしまった。



 ” 私が…… ファンデンバーグ法衣子爵家に嫁いだばかりに…… 夫にも息子にも…… いらぬ重荷を背負わせてしまった ”



 その想いは、日々自分自身を苛み、叩きのめされる様に『心』を痛めつけていた。 極め付けが、愛し慈しんでいた愛娘『ケイティ(・・・・)』が、貴族社会から疎外されているファンデンバーグ法衣子爵家の為に、寄親リッチェル侯爵家の意向に寄添おうと、懸命に努力したにもかかわらず、問題のリッチェル侯爵家 ヒルデガルド侯爵令嬢の『 勘気 』(  ・・  )に触れた事。


 ―――貴族学習院に在学中の娘ケイティは、思い悩んでいた。 


 確かに、深く憂慮していた。 リッチェルが愛娘にして、” 聖女 ” と呼ばれるヒルデガルド嬢の所作、作法、マナーでは、完璧な『侯爵令嬢(・・・・)』とは言えない…… と。 皆に崇拝されるような女性としては、” いささか ” 処では済まない程『(つたな)い』と。 


 生まれつき視力が弱い愛娘。


 良く見ようとすればするほど、睨みつける様な表情となってしまうのも、悪い方向に作用したのかもしれない。 険しい表情で、ヒルデガルド嬢に配慮して人気のない場所に於いて、彼女に対し、儀礼についての『ご注意』( ・・・ )した事が、ファンデンバーグ法衣子爵家の決定的な没落(・・)の引き金になってしまった。 体の不調から、寝台に横になる時間が増える彼女が、誰にも知られぬ様に呟きを漏らす。



 ” 正しく生んであげられなくて…… ごめんなさい…… ”



 娘の少女らしい潔癖さと、家を想うが故にヒルデガルド嬢に取り入る事を目的に、自分が何を以て『寄親』( リッチェル侯爵家 )に、仕える事が出来るのかを勘案した末の決断。 ヒルデガルド嬢に『侯爵令嬢』としての体面を保たせるように、自身の持つ知識を渡そうとした。 それが、彼女の『勘気』に触れた。


 悪い事に、リッチェル侯爵家も ” そんな者(忠告する者) ” を、望んでは居なかった。 


 只々大切に、愛娘が心地よくいられるようにと、リッチェル侯爵夫妻の心は固まっていたからだった。 そんな、甘やかさで包まれた場所に、苦言を呈する者は必要無かった。 必要ならば、自分達がする。 低位の貴族が口を出すべき事柄では無いとの意思を示されたのだ。 結果……




 ―――― 『没落(・・)』は決まった。




 身体の調子が悪く、完全にお荷物状態だった夫人が、その状況を打破する為に社交に出る事も叶わず、それが、故に余計に彼女の容態を悪化させていた。 そんな彼女を見て、夫たるファンデンバーグ法衣子爵は、無理押して王宮薬師院から治癒師の派遣を願い出て、わざわざ診て貰ったと云うのに、その診察結果は『不明』であった。


 妻の容態を(おもんぱか)り、無理を押した事で法衣子爵家の貯えも大方が消えた。


 夫たるファンデンバーグ法衣子爵の王城での勤め先が変更になった。 王国国務院政策企画局から、ほぼ最下層の場所に…… 王城より支払われる給金が十分の一以下になってしまった上、未来を嘱望されていた筈の息子迄…… 庶民が行う雑事を司る部署へと落とされてしまう。




 ” これは、『病』では無いな…… 『呪い』か…… ”




 ぼそりと、最後に王宮薬師院の治癒師が溢した言葉を、偶々聞いてしまった娘ケイティ。 聡い娘は、自分がこの家を救うのだとばかりに、ヒルデガルド嬢に近づいたのも無理からぬ話。 そして、ヒルデガルド嬢の『御不興』を買ってしまった。


 それ以来、ヒルデガルド嬢の侍従と教導神官に近寄る事さえ咎められる始末。


 日々容態が悪くなる夫人を心配して、藁をも縋る思いを以て、ヒルデガルド嬢に面会を求めても、それは、堅固な障壁である彼女の傍にいる者達によって排除されてしまう。


 そんなケイティがもどかしく足掻く日々の中で、彼女に言葉を掛ける、狡猾な者が居た。 弱ったモノを食い物にする、ジャッゴルド(死肉漁りの獣)の様なモノが……


 堅固なヒルデガルド嬢の人の壁の内、もっとも内側で障壁と成っていた者。


 自称、『神官』であると宣う、修道士補。 歳近く若い修道士補は、曰く付きの人物でもあった。 王都から遠く離れたアルタマイトに生家より放り出されて居た『その人物』は、その生家がこの国でも有数の高位貴族家であったために、様々な忖度と、” とても高いヒール ” を履いた状態で、南方辺境領に隔離されていた。


 余計な事を考えずに、神に仕えし者としての研鑽を積めば良かったのだが、そうはしなかった男児。 彼の高位の貴族家に生まれた矜持(・・)が、それを妨げていた。 彼が、その隔離施設(アルタマイト神殿)から、聖女の導師として選ばれ王都に帰還したのは、まだ勢いが有った貴族派の枢機卿達の思惑が強く作用していた。 そう、彼等は彼の出自の公爵家に『恩を売った』つもりだった。


 何故に、彼をアルタマイトに隔離したかも考えず、その身柄を王都に移し、バヒューレン公爵家に恩を売り、リッチェルとの太いパイプ役としての『役割』を与えようと画策した。 これが…… 全ての元凶とも云えた。 もともと鬱屈し捻じ曲がった彼の矜持が、自己満足と承認欲求を増大させ、そこに彼の手本と成る貴族派枢機卿達の『思考方法』が上乗せされ、尊大で驕慢なる『怪物』( ・・ )が生まれた。


 いや、『()』と云っても良いか。


 自身の欲望を満たす為に、あらゆる手段を取る、そんな『神官』もどき(・・・)。  リッチェル侯爵が溺愛する愛娘の導師としての立場を存分に利用し、財を貪り、近寄る貴族家の娘達を(もてあそ)ぶ。 その男の歪んだ自尊心が赴くままに。 そう云う噂すら、彼女は掴んでいた。 



 潔癖で矜持高いが、世間ずれしていない初心な娘が、言葉巧みに誘導されるのは、火を見るよりも明らか。



 ただ、幸運だったのは、娘の容姿と(表情)が、その男の『好み』では無かった事。 没落寸前とは言え、まだ法衣貴族の令嬢であった事と、夫と息子の能力は、官僚達の中でも噂になる程だった事。 それに、ファンデンバーグ法衣子爵家はリッチェル侯爵家の『寄子家』の中でも、相当に歴史があり、連綿とその関係が続いていた事。 リッチェル侯爵家側の気が何かの拍子に変われば、また重用される立場の家柄で有った事。


『恩を売る』には丁度良く、更に、絞ればまだまだ金穀を手に入れられそうな相手だった事が、その者が手を差し伸べる動機となった。 


 彼女は知っていた。 娘が彼に助けを求める為に、なけなしの資産のほとんどを支払ってしまった事を。 彼女は理解していた、それを息子も同意していた事を。


 彼女の知る、邸の調度が軒並み失われ、息子や娘が貴族の体面を保つ為に、最小限必要なモノ以外を失ってしまった事。 そして、その理由が自分自身の健康を取り戻そうと成した事。


 叱れる筈もなく、ただ、彼等が自分を想う気持ちに項垂れるしか無かった。 そう、もう誰も自分達の家、ファンデンバーグ法衣子爵家に手を差し伸べてくれる者など居なかったからだ。


 儀式の様子を見詰めたのは、それが自分への配慮の結果だと知ってはいた。 が、自身の知識が祭祀自体が大きく通常の物とは違う事に警鐘を鳴らしている。 もう、遠い昔に学んだ事ではあるが、何か、根本的な処で間違いが有るとしか言いようが無かった。


 儀式が終わり、それでも尚晴れぬ『呪い』の気配。


 そう、祭祀は失敗したのだ。


 それを認める様な『神官もどき』では無い。 余程、誰かに恨まれているのだろうと、せせら笑って屋敷を後にして行った。 打ちひしがれる娘。 夫人はファンデンバーグ法衣子爵家の最期の時を覚悟した。




   ――――― § ―――――




 絶望の闇の中、憔悴と悔恨を打ち破る光は舞い降りた。 娘がその光を齎すとは、思っていなかった。 ” 市井にてお母様の不調に効くらしい『お薬』を手に入れてくる ” と、そう言って外出した娘が、誰かを伴って帰って来た。 娘は云う。




 ” 市井で…… 街の薬師処では、お薬は売って貰えませんでした。 貴族には、貴族の縄張りが内で対処するのが本筋だと…… 市井の薬師処に配布されている、聖堂教会製のお薬は、真に倖薄き者達のモノであると…… こちらの実情も知らぬ下々の者達の言葉が、突き刺さりました。 お母様…… わたくし達は、貴族なのでしょうか? 市井の民よりも貧しい暮らしを慎ましやかに送るしかないと云うのに、市井の民草から見れば、やはり『貴族』なのでしょうか?”


 ” 体面を鑑みれば、それもまた真と云わざるを得ません。 貴族籍を失った後ならば…… ファンデンバーグ法衣子爵家が潰えた後ならば、彼等も受け入れてくれるのでしょうね。 没落した、元貴族だと…… ”


 ” …………お母様。 一人の神職に有る方との出会いが、その市井の薬師処で御座いました。 低位の修道女とお見受けいたしましたが、心清き修道女様と思いました。 且つて、お母様がわたくしにお話して下さった、真の修道女と云うモノを体現されていると…… わたくしは、思います。 どれほどの力が有るかは、判りません。 でも、困難に出会っても尚、真摯に生きている者達へ、救いの手を差し出す事を当然のことと仰る方なのです。 ……わたくしの独断では御座いますが、招いております。 後程、どれ程の対価を要求されるか、それすらも判りません。 でも…… なんとしても、お母様には元気に成って貰わねば……”


 ”……ケイティ。 貴女の心遣いはとても嬉しいわ。 我が家には、もう御支払する対価と成るべきモノは何も無いの。 それでも、その方は我が家に招かれて下さったの?”


 ” ええ、そうなのです。 その方は、仰いました。 『わたくしが欲するのは、『祈り』に御座います。 真摯に、誠実に神様と精霊様方に感謝を奉じる、そんな『祈り』が対価と成ります』 と ”




 息を飲むのは法衣子爵夫人の方だった。 且つて聖堂教会で『勤め』に励んでいた時も、その様な事を真顔で云うモノは少なかった。 何をするにも、王都では ” 対価、対価、対価 ” と、云われ続けていた。 金穀で命が買えると云う現実に、当時は相当に打ちのめされていたのも又事実。 


 度重なる現実の仕打ちに、ついに心が折れたのは、法衣子爵からの求婚が有った時。 もう、未練も無かった。 余りにも世俗の汚濁に穢されている聖堂教会に、見切りをつけたとも言えた。 辺境ではそうでないらしい事は…… 風の噂で知ってはいたが、自身が其処に身を置く事は無い。 


 神籍の移籍は、相当に困難が伴う。 余程の経歴を持つ者か、途轍もない何かを達成した者。 そして、移籍も外縁部から王都への一本道。 ならば、もう…… と、当時は心を決めて教会から還俗したのだ。 しかし、本当に、その様な事を言う修道女が王都に居るのか? 疑義を持ちつつも言葉にした。



 ” 会いましょう。 その言葉が『真』で有れ『偽』であれ、ファンデンバーグに残された道は無いのですから ”



 そして、娘の部屋のベットの上から、部屋の外に待つ修道女に入室の許可を与えた。 天は努力する者には、必ず『道』を用意し、優しく導いて下さるのだと、且つて習い修めた『聖典』の聖句を思い起こさせた。 そして……





     ――――― 道は開かれたのだ。





 修道女エルが問診と触診はあっという間に終わる。 そして、強い目の力と共に精霊術式を展開する。 目を見張る様な光景が法衣子爵夫人の眼前に広がる。 




「聖女が魔法【清浄】【浄化】【快癒】。 神様、精霊様方の御力を持って、此処に展開す。 我、エルデが魔力を以て、尊き人の命に…… 安らぎと慈しみを与えん」




 トンと『聖杖』を、落とす彼女。 杖の石突から一気に広がる魔法陣。 クルクルと周り、拡大し、そして部屋を一杯に広がり発動された。 トントンと更に二回、聖杖を床に。 術式に【不壊】を上乗せしている。 さらに、元凶に対し、『神の鉄槌』を召喚せしめた。



「神の息吹にて、邪なる者に報いを与えん!!」




 紛う事無き『聖女が権能』。 自身が目指し、そして挫折したその業(・・・)を、ベッドの脇に佇む少女が事も無げに発動したのだ。 驚きと、疑義が心に浮かび上がる。 この…… 修道女エルとは、何者なのか。 


 身体が軽くなり、取り付いていた数々の『呪い』が解呪されて昇華されて行く。 風に攫われる『呪いの残滓』が窓から外に出ていく様を、呆然と見詰めているにも関わらず、頭の中では忙しく幾多の噂話が駆け巡る。


 修道女エルが娘に水を求め、娘が水差しを取りに行く間…… 心に渦巻く様々な疑義を、彼女に問う。 もう、貴族が体面を維持するのは無理なのだと、自身にそう言い聞かせながら。




「幾つもの噂を聞きました。 低位の者達の中でも、御城の深い場所にて献身を差し出されている方々の」


「はい…………」


「塔に、光が灯ったと。 また…… 南方辺境域から、王都に続く途上にある幾つもの貴族家の者達からも、様々な噂話が届きました。 散文的に、一つ一つは単に喜ばしい事柄ながら、繋がり等…… 全く見えぬ事柄の数々でした」


「はい……」


「王都では、病に侵されていた、教皇猊下がその力を取り戻された。 王城では、『塔』に光が灯った。 南方より、大聖女様の愛弟子が『王都』に来られた。 南方辺境域では、奇跡の業が発現し、神様が倖薄き人々への『慈しみ』を示された。 聖堂教会に聖櫃(アーク)が、アルタマイトより戻された……」


「はい」


「噂話は、噂話。 病に倒れている、病弱な法衣子爵が夫人の戯言。 でも、ファンデンバーグの妻として、これらを勘案し、繋ぎ合わせますと一つの事実に収斂していきます。 ……善き修道女エル様。 いいえ、『神聖聖女』( ・・・・ )エルデ様。 我が家にお運びに成られた事、神様と精霊様に感謝申し上げます。 その上、わたくしを救って頂き、有難く存じます」


「…………貴女無くしては、法衣子爵家の存続は叶わぬと、お嬢様が申しておられました。 真摯な祈りを捧げる崇高な魂の持ち主を、神様は見捨てはしないのです。 その為に、神様は、私を御遣わしに成られた。 ……『神聖聖女』( ・・・・ )の件は、お聞きしなかった事に。 『噂』になっている…… 『小さな事柄』だけ…… なのですから」




 修道女エルを見つめる、法衣子爵夫人の静かな瞳。 |『高位の方々の様々な思惑《彼女を守護する意思》』が修道女エルの言葉により、その脳裏に浮かびやがて泡と成って消え失せる。 既に教会の関係者…… 修道女にして『聖女候補』( ・・・・ )で有った時の自分では無いのだと、そう諦めたように目を伏せた。 そして言葉を紡ぐ。 声音に残念そうな音が、混じる事は、許して欲しいと真摯に思う。




「…………『秘匿』は、密やかに そして、厳重にですわね。 ええ、承知いたしました。 まだ、主人にも伝えては居ない、考察ですので、広がる事は無いでしょう」


「……つまり、ファンデンバーグ法衣子爵家は、そう云う御家柄なのですか?」


「……御推察、誠に」




 ファンデンバーグ法衣子爵家は、小さな事柄を積み上げ、統合し、組み合わせ、そして全体像の解像度を上げる事が出来るし、それを生業としてきた家門だった。 諜報と防諜。 そして、情報の集積による推察を生業として、王国に奉職していた。 主人もその道の達人と云われても居た。 故に、それが故に、昨今の風潮を鑑み、情報から遠ざけられたとも云える。


 ファンデンバーグ法衣子爵は、温厚な性格であるが故に、自身の見聞きし手にした『情報』については、完璧な守秘義務を厳守している。 そして、それを自身の保身に使う事は無い。 代々の当主が、その業を以て王国に奉職し勤め上げたファンデンバーグの矜持とともいえる。 その矜持が…… 家族の首を真綿で締め上げるとは、家人は誰も想像もしていなかった。


 ” でも…… ”


 と、法衣子爵夫人は考える。 ここで、手を離しては、神の御意思に反すると。 救済の手を払いのけるのは、神が垂れたもうた『御意思』を無下にし、自ら闇に堕ちるのも同義だと。 よって、夫人は決断する。 彼女の知る事を以て、この幼い『神聖聖女』と対等に友誼を結ぶのだと。 




「修道女エル様。 と云うより、エルディ=フェルデン侯爵令嬢様と御呼びした方が宜しいかしら?」


「……この場で、この姿ですので、修道女エルと」


「成程、『小聖堂の守り人』たる『神職』を奉じておられる方ですのね。 では、わたくしの事は、ソフィアと。 貴女と友誼を結ぶのは、わたくし個人ではなく、ファンデンバーグ法衣子爵家として…… では、如何でしょうか?」




 秘密を拡散して欲しく無ければ、我と友誼を…… との、大人らしい悪辣な交渉術を以て、覚悟を以て放つ言葉に、修道女エルは笑顔を以て応えてくれる。 その悪辣とも云える交渉を、何事も無いように流し、言葉の持つ裏側の意味を知った上で、敢えて無視する胆力の太さに驚嘆を覚える。 貴族達でもたじろぐ、強烈な交渉術を、易々とこなしている姿を視れば……


 リッチェルの《アルタマイトの幼き女主人》にして、フェルデンが《賢姫エルディ侯爵令嬢》と、納得も出来る。 そして……


 なにより、微笑みと共に、『承諾』の意を伝える 『仕草会話(ムヴェトク)』まで、無意識に使っていた。 何も言えない。 これ以上、この方を刺激しては成らないと、感じ入った。




「…………ソフィア夫人。 それでは、まず、御身体を治して頂かなくては」


「ご指導をお守りいたします事、お約束いたしましょう」


「御令嬢も安心なさるでしょう。 幾多の不幸を真摯に真っ当に耐えられたファンデンバーグ法衣子爵家に幸あらん事を」


「神様と精霊様に感謝の祈りを」




 交渉は成立した。 安堵を胸に、その身から力が抜けた。 ここ一番の大勝負でもあった。 それほど、夫人は切羽詰まっていた。 が…… 修道女エルは受け入れたのだ。 その事にどれ程、胸が高鳴り安堵を覚えたか。 誰にも言わぬ、秘密が一つ生まれた瞬間。 元諜報官の妻として…… この事は、墓まで持って行くと誓った。 娘が部屋に戻って来る。 足音が聞こえる程に、急いでいるのは…… きっと、夫人を心配しての事。 少々苦笑じみた表情を浮かべる、修道女エルは高らかに宣言する。



「ソフィア夫人、治療を始めましょうか」





        ――― § ――― § ―――





 衰えた身体の治療の為に丸薬を二粒飲んだ後、急速に倦怠感が身体を包み込み、そして意識は途絶える。 その後、何が有ったのかを娘に聞かされて、大いに驚くことに成った。 まさか、自宅に於いて大地が大精霊ガイアード様の御降臨、御顕現を乞うとは思わなかった。 儀式にそぐわぬ供物も有る、《解呪の儀式》には不釣り合いの祭壇の事は知っていた。


 あれで…… たったあれだけの供物と、己の内包魔力だけを以て、神聖なる大精霊魔法陣を起動し、更には大精霊様をも御顕現頂けるなど…… もう、想像の埒外(規格外の権能をお持ち)の方だと、改めて思う。


 あれから……


 ファンデンバーグ法衣子爵家には、倖が巡って来ていた。 夫がその職場の変更を伝えられ、宰相府に奉職することに成った。 息子も又、職場を宰相府に変更する事になり、国事にあたる職責を負う立場となった。 教会から《神官の名をかたる者》の犯罪行為と非礼を詫びられ、被害と同等の補償を受けることに成った。 また、見舞金と慰謝と云う名目で、相当額の金穀も受け取る事となった。


 夫はファンデンバーグを追い詰め、見捨てたリッチェルから袂を分かち、フェルデン侯爵家へと『寄親』を変える事を宣言した。 周囲に驚愕を与えたが、状況を知る者達からは ” さもありなん ” と承認を受けるに至った。


 更に、夫人の経過観察と処方される薬も有る為、聖堂教会薬師院治癒所付の医療修道女が、月に二度派遣される事になった。 それも…… かつての同胞が。



「……ソフィア。 苦労したようね」


「アメリア…… 元気にしていた?」


「貴女が居なくなって、寂しかったわ」


「優秀な治癒師になったみたいね。 神様の『御加護』かしら?」


「ええ、そうね。 今の教会ならば、『お勤め』の意義を見出せるもの。 研鑽にも拍車がかかるわ」


「そう…… だったのね。 わたくし…… 自身が何者なのかを、忘れる所だった」


「そうね、還俗し王国の安寧に邁進しているのならば、仕方のない事よ。 『祈り』は、私たちの本分。 そして、その『祈りを護る為の安寧』を、『保証(・・)』するのが貴方達(・・・)の役割なのだもの」


「そう云って貰えると、有難いわ」


「さて、ファンデンバーグ法衣子爵夫人。 経過観察の診療を始めます。 此方に」


「ありがとう」



 ファンデンバーグ法衣子爵家の悪夢は過ぎ去った。 家名を国家に返納する最悪は未然に防がれた。 自分たちの行いが、神様の御心に叶い直接神様に救われた様な気分がしていた。 余りにもうまく回り過ぎている。 その事に、誰かの意思が強く反映されているのが…… 理解出来てしまう。


 友誼を結んだ彼女が、困難に直面するファンデンバーグ法衣子爵家に最大限の配慮を示したのだと。


 そう、理解出来てしまう。 夫の配置転換にしろ、教会からの補償にしろ、主治医としてかつての同胞を宛がわれている事にしろ…… 全ては、誰かの配慮から始まっていると。 そして、その対価は決して受け取らぬ人物。 敢えて、対価をと云うなれば……



『わたくしが欲するのは、『祈り』に御座います。 真摯に、誠実に神様と精霊様方に感謝を奉じる、そんな『祈り』が対価と成ります』



 そう、応えられるに違いない。 それが『神聖聖女』たる者の矜持であり、常識(・・)でもあり、且つて学び取ろうとした自身でも、自覚の有る処。 訳もなく申し訳が立たない様な感情が先行し、何を以てこの『慈愛』に応える事が出来るのだろうかと『自問』する夫人。


 そして、神聖聖女エルデが言う通り、感謝の祈りを捧げる為に、長い間顧みられることも無かった、邸の奥庭の樹々に隠す様に設置した祈祷台を訪れた。 苔むし、薄汚れた祈祷台。 その状態を見て、良心が疼く。 こんなにも長く、『祈り』を放棄し、蔑ろにしていたのかと。 


 ” こんなに放置してしまったら、神様の御目が届く訳も無い。 なのに、神様はあの方を誘って下さった。 なにか一つ間違いが有れば…… このような幸運は掌から簡単に滑り落ちていた事は、想像に難くないわ ”  祈祷台の前に、長い時間を思考の深淵にて彷徨った結果……、




 エミリア=ソフィア=ヴァル=ファンデンバーグ法衣子爵夫人は、

                ――― 自身の問いに対し、『結論』に至る。




 足りなかったのは、敬虔で真摯な『祈り(・・)』であったのだと。


 敬虔で真摯な純粋なる『神への感謝(祈り)』。 たったそれだけが、『聖女候補』から、候補(・・)が無くなる、唯一の『必要条件』だったのだと。 ……そう天啓を受ける。 自分の『祈り』には、不純なる思いが混じっていたのだと。 だから、どんなに研鑽しても至れなかったのだと。


 自身が成し遂げられなかった道を、易々と成し遂げたかのように見える『あの方』には、それが出来ていて、揺るぎが無い。 どれほどの精神力なのか。 どれほど強靭で確固たる思いなのか。 その純粋さに、改めて頭が下がる思いを胸に抱く。 そして自戒の念を抱きつつ、導き出した答えを見詰めつつ、困惑に表情が揺れる……



 自身の至らなさと、『それ程に単純な事が、至高への道の扉を開く鍵で有ったのか』 と、当時の自身を哀れんでしまう程に。 



 彼女の頬に苦い笑みが浮かび上がる。 そして、口から紡がれるのは、且つて習い覚えた『感謝の聖句』。 日々の『お勤め』に、幾千、幾万と唄った、その聖句を唱えながら、彼女は石の祈祷台を覆う苔を剥がし、汚れを落とし……


 自身を清めるが如く……





 ――――― 『感謝の祈り』を、神へと捧げた ――――――






楽しんで頂けると幸いです。

読んで頂き、ありがとう御座いました。

閑話、続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  己がその道を歩んでいた経験があるからこそエルの為し得た事が理解出来るのでしょうね。  そして本質を知ると。  ここに真摯なる祈りを捧げる人がまたひとり。
[良い点] “其処”に至るに必要な最後の一歩は、永き道程を歩み出したる最初の一歩の心持ち。  ファンデンバーグ法衣子爵夫人が、ソレを見出したることは善き哉。  ……まぁ、神聖聖女エルデ様が“其処…
[良い点] 元修道女とはいえ今貴族の夫人が真摯な祈りをささげることの大切さを知り祈りをささげたこと [気になる点] カ……カーマンの愚物っぷりがひどい この性根は治らない……辺境で〇ーーーーッされてし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ