エルデ、聖堂教会 神秘院に於いて 神官である事の意味を説く。
神秘院の取り調べって、とっても大変だった。
勿論、ガッツリと怒られたわよ……。
聖堂教会 神秘院と云う所は、本当にとんでもない所だった。 思想的に異端であれば、『異端審問官』様方の取り調べを受けるだけだし、その取り調べにも自身が『聖典の御言葉』を守っている限り、全く恐れる事は無いもの。
でも神秘院の神官様方は違った。
彼等は『聖典の御言葉』を深く深く学び、そこに深淵なる『知見』と『英知』を見出し、もって奇跡とは、 ” 何か ” を、探求する学徒でもあったのよ。 故に、途轍もなく質問が多いの。
何故、年若き私が極大精霊魔法を使用できたのか。 何故、行使した精霊術式が必要であったか。 何故、教会に報告せず行使したのか。
―――― 何故、何故、何故 ――――
質問は大層厳しく、ええ、まともな精神を持っている者ならば、発狂しながらこう云うでしょうね。
「私は犯罪者じゃないッ! 神の御意思に沿っただけだッ!」
ってね。 だって、それだけ微に入り細に入り繰り返し、繰り返し質問されるのよ。 そして、行使した精霊術式について、とんでもなく細かく報告させられたのよ。 そりゃ、わかるわよ。 教会の権威の源泉たる『精霊術式による奇跡』を、発動してしまったんですもの。
それも、多数の神官様方が協力してやっとの事で発動できる、そんな極大の高位精霊術式を、たった一人で粗末な供物を以て成してしまったんですもの。
聖堂教会からも、王城からも、そして、貴族街の多くの場所からでも、さらに市民街の一部地域からも…… 上位存在たる精霊様の御降臨が、光の柱として観測できたらしいのよ。 そりゃ、大騒ぎになるわよね。
それ程の御顕現が発現されたのは、私にとっては『自明の理』なのよ。 『祈り』『嘆願』し『許しを乞うた』相手は、大地が大精霊ガイアード様。 許された大妖精グモン様が随身された時に発せられた御顕現の『光柱』だものね。
神秘院の神官様方もその事にはご納得されたのよ。 でも、それが故に、それこそ微に入り細に入り、大地が大精霊ガイアード様の御様子をお尋ねになったのよ。 正確に記述する必要が有ると、ほんとに細かくね。 絵師さえも呼びつけられて、御姿の写し絵を作成する事にもなったのよ。
そんな…… 別に、覚えようとしていた訳じゃないのよ。 御尊顔なんて、覚えている訳無いじゃない。 御身体だって、光球が凝縮して出来たのだから、眩しくって詳細なんて判らないんだって。 でも、許してなんて呉れなかった。 犯罪者の如く、『拘束』され『尋問』されていたに等しいと云えたの。
私の事は秘匿せよって事で、あの『なぜなぜ問答』を全て『神様と精霊様の御意思です』と答え、『御姿』について何も語らなかった。 いわゆる、徹底抗戦の構えって感じね。 なんか、感じ悪いのだもの、神秘院の神官様方って。
なんか上から目線と云うか、愚か者を諭してやっていると云うか、そう云う目線でずっと対応されていたからね。 だから、私も強硬な態度を取っていたの。
リックデシオン司祭様が、憂鬱そうに愚痴を云う訳だ……
――――――
夜も更けてから、ご高齢の高位神官様がお出ましになったの…… ストラから見るに、枢機卿様であり十八人委員会の御一人だと判る御仁が私の前に現れたの。 お名前は存じ上げないわ。
全て、『畏れ多い事』で躱してしまったからね。 神秘院の神官様方と押し問答を繰り返したから業を煮やして、ついに別當様のお出ましとなった訳よね。
――― 神秘院 別當様。
ご高齢が故に、静かな口調で、私に諭す様に御声を掛けられたの。 『モノの道理』を理解していない、幼子に対する様に、粛々と、厳粛な面持ちでね。 私からすれば、学究に嵌り込んでそれこそ『モノの道理』を見失っているように感じるのよ。
『聖典』は神様の御手先と成る為の指南書。
記載されている聖句は、祈りによって神様の御意思を顕現する為の道標。
私達神官は、まず神様の御手先と云う意識を持たねば成らず、其処には『真摯たる祈り』が最優先されなければならないのよ。 ほら、聖典の序文に御言葉が連なっているでしょ? アレが全てを物語るのよ。
” 神の御心、御意思の元、真摯に祈れ。
神の御手先、従僕として、世に安寧を齎せ ”
ってね。 だから、真っ向から老枢機卿様と対峙する事になってしまうのよ。 神官としての土台と成る部分が、異なっているから。 根っこは同じだと思う。 方法が違うだけ。 だから、自身の土台たる部分をご説明申し上げるのみ。
「修道女エル。 ……その身が秘匿されし者である事は、知っている。 そして、私の階位は、我が衣を視れば、納得も出来よう。 さて、院の者達の問い掛けに、『神と精霊方の御意思』と答えたお前に問う。 尊き『御意思』とは、なんぞ」
「わたくしの秘匿されし役割をご存知ならば、私が尊き方々と交わした誓約についてもご存知かと。 尊き方々は、その誓約を以て必要な時、必要な場所、必要な人を『救い、癒し、安寧に導く為』に、私に託された『権能』を行使する事を望まれます。 あの時、あの場所に居たのも、尊き方々が救わんとした『人』が其処に居た為に御座いましょう」
「つまりは…… 『聖女が誓い』により、極大精霊術式を行使し、其方の『身の内の魔力』を枯渇するまで使い切り『死の淵』に落ちようとしていたと? 尊き方々は、『愛し子』にそれ程の献身を求めらるか?」
「誓約によって。 もちろん『限度』は御座いましょうが、この度は…… 時間が限られておりました上、祭祀はわたくしが成さねば『 意味 』が御座いませんでしたので、拙速を以て遂行いたしました」
「……全く納得がいかぬ。 慈愛深き尊き方々が、年若き者にそのような事を強要されるなどと云う事は、あり得ない。 聖典では、自己犠牲を戒めておられる。 自身が万全の状態で無くば、余人を救う事など出来はしないと、そう記載されていると云うのに……」
「神様の御意思は苛烈なモノでも御座います。 その身が『神官』であれば、荒野に佇む倖薄き者へも手を差し伸べる筈に御座いましょう。 その荒野には、様々な危険も内包して居りましょう。 それは即ち、命を賭して『お勤め』する事では無いのでしょうか? 万全の状態と云うのは、心の持ち方。 一点の曇りもなく、祈りに心が満たされている状態だとわたくしは理解しております。
――― わたくしは、アルタマイト神殿に神籍を置く者。
アルタマイトより王領への道行に於いて、その様な場所を幾つも、幾つも視て参りました。 『神の家』たる場所に『神籍を置く者』として、毅然と困難に立ち向かいました。 今回の事も、その延長線上の行為に他なりません。 万が一、同じような状況と成らば、再び同じように『権能』を振るう事となりましょう。 それが、私が結んだ『誓約』なのです」
「…………強き瞳の光だな。 ならば、それを聖典の『聖句』により証せられるのか?」
強情な幼子を説き伏せる様に、聖典の聖句による議論をしようとされた老枢機卿様。 軽々しく『奇跡』を聖堂教会の外で行使するのは、神様と精霊様の御意思に反すると、思っていらっしゃるようね。
――――
いや、ほら、私は薬師院所属修道女であって、聖典の神秘を研究する修道士じゃ無いわ。 神学などは、神聖語を音読できるくらいしか修めて無いのよ。 その道に通じる枢機卿様と、神学議論を戦わせるような知識は無いもの。
―――― そんな事、出来っこない。
それを強要すると云う事は、彼の方の学論で戦えと云う事よ。 誤った見識を指摘し、正道に戻し教育してやる…… と云う、『気概』さえ含んでいると思われる御声だったわ。
それ程、神秘学を深くは学んでいない私には、『議論』を交わす事など出来る事では無いわ。 だけど…… 其処に神秘学論の陥穽が有ると思うの。
私にとって『神秘院の在り方』について『疑問』が浮かび上がってくるのよ。
――― 知識と知恵を得て、それをどうするの? 神様の御手先として、何を成すの?
なにより…… 神秘学で『精霊魔法』に深く通じているのに、それをどの様に、現世に『活かす』と云うの? 『活かせている』と云うのならば、何故、ファンデンバーグ法衣子爵家や、グランバルト男爵家の様な方々が居るの? 王領内、それも王都内の事なのよ?
” 祈り ” を心に置くは『神官』が有り方。 その広く深い見識を活かせば、困難に立ち向かっている方々を見捨てる様な事は出来はしないでしょ? でも、出来ていない。 神秘院の方々は『目的』と『手段』が逆転しているように感じられて仕方ないのよ。
ふと…… 脳裏に浮かぶのは、『記憶の泡沫』。
ヒルデガルド嬢を苛んだモノとして、ジョルジュ = カーマン導師が私を断罪した時の事。 教会が意思と云う事で、苛烈な刑罰を言い渡した時、その根拠を『聖典』に、見出していたわ。 聖典の聖句が私の罪を断罪したと。 聖なる女性を害した罪は、異端審問官様により暴かれたと。 聖典に於ける私の位置付けは、『邪悪な魔性の女』だと。 聖典の記載により、処罰を求めると……
――― 故に、磔刑の上、火炙りに処すと。
聖典に記載ねぇ……
聖典で、それらしき場所を見出したのは、アルタマイト神殿で聖典を精読している時。 聖句には、”それぞれの罪により、遠く時の輪の接する処に於いて、聖なるものを傷つけたる者は、業火により浄化される。 神の慈悲に縋り、自浄の業火を受け入れよ。 荒魂に成る事無きよう、鎮めよう ” よ、その根拠らしき聖句は。
前提条件が間違っているのよ。 その者が天寿を全うした後の話が、刑罰としての話にすり替わっているの。 そう、枝葉末節に拘り過ぎて、大きな流れを読み違えているとしか言いようが無かったの。
それは前世の御話。 前世の私は、そう云われても仕方ない程の悪行を重ねていたから…… 仕方なかったのかもしれないわ。 でも、私の行動に対し『聖典』を根拠にしたのは間違いなのよ。 神様の御手先である神官は、『神官の暴走』以外の事柄に関しては、決して裁いては成らないのよ。 それを成すのは、『聖堂教会』以外の者達の役割。
教会の神官の在り方としては、どのような悪行を成した者に対しても、自身の罪を認め、『改悛』を促し、神様と精霊様の御心に沿う敬虔な祈りを心に灯させる事。 悪行を反省し、自戒し、正道に立ち戻るを促し、以て『祈りを得し者』と成す。
現世に於いて、同じ間違いは繰り返すべきではない。 聖典の聖句に余計な解釈を持ち込むべきではないのよ。 だから、私は目を老枢機卿様に合わせ、言葉を紡ぐ。 言外に思いを載せて。
――― 議論すべき『時』では無いと。
「わたくしの為すべき事を成した迄。 しかし、私が成すべきを一つ成し得ませんでした。 よって、此処で、為すべきを成したいと思います」
「それは、何か?」
私に議論する気が無いと知って、老枢機卿様は少々鼻白まれる。 しかし、そこに私が強い意志を持って対峙している事に少々困惑されているのも見て取れる。 ならば、良し。
「先程の件に於いて、私は尊き方々から『御加護』を戴きました。 十分な儀礼を以て、感謝を奉じなくてはならない、誉れ高く尊き栄誉を戴きました。 がしかし、その時点でのわたくしは、それを成す力を失っておりました。 いまだ、練れては居ない内包魔力では御座いますが、儀礼を欠いた状態で居るのは、甚だ不遜に御座います。 よって、感謝の祈りを捧げたく。 祭壇は…… 御座いますね、この神秘院に」
「感謝の祈りか。 それにより、何が判ると云うのか?」
「神様と精霊様方の御意思に御座います」
「御顕現に成られると云うのか? 感謝の祈りは、それ程の『精霊術式』ではない」
「心に真摯な祈りが有れば、天界に通じる祈りと成りましょう」
「それが、お前の言う『神官の在り方』と云うのか」
「聖句の中の、極大精霊魔法だけが天に通じる祈りでは御座いません。 祈りに於いて、まず心しなくてはならないのは、その祈りが純粋で有るかどうかだと」
「…………ならば、見せて欲しい。 修道女エルが、祈りを」
「御意に」
懐疑的な視線を投げつける老枢機卿様。 長い年月を聖典の探求に研鑽を捧げられ来られた方だもの。 それを私がぶち壊している訳なのよ。 だから、その視線は納得も出来てしまう。 私だって、知っているのよ、『聖典』の探求は必要な事も。 そこに人への慈愛が有れば、何の問題も無い。 『聖典』を紐解き、それを人の幸福に結びつけるのは、『神官』として、正しい在り方。 でもね、『聖典』を『法典』と同じように運用するのは間違いだと…… そう思うの。
『奇跡』を聖句の形で記載した『聖典』は、神様から与え賜わりし物。
『人の業』を裁く為に『法典』は、
人が人知及ぶ限りの知恵を以て、紡ぎ出した物。
同じような使い方は出来ないのだもの。 『聖』と『俗』を共に良く知る私だから、その『境界』と『限界』を、自ずと知っているのよ。 だから…… 老枢機卿様。
――― 貴顕なる貴方の崇高なる思いを秘めた『御心』
…………へし折らせて頂きます。
準備はあっという間に終わる。 感謝の祈りは、日々の『お勤め』でもあるし、仰々しい儀式では無いんだもの。 だけど、お願いして供物だけは整えて貰ったわ。 聖なる大地が賜物。 人の祈りが凝縮したかのような作物。 祈りと共にある穀物。
――― 黒曜豆 をね。
高杯に黒曜豆を載せ準備する。 聖壇の上にそれを載せ、感謝の祈りを始めるの。 感謝の祈りの聖句を口に、聖杖を水平に持ち上げる。 全く練れていない魔力を、簡易的に練り上げ、『感謝の祈り』の精霊術式に注ぎ込む。 魔力を術式に注ぎ込めば、術式起動は自律的に発動するのが、この最も基本的な精霊術式の特徴でもあるのよ。
祈りの『言の葉』は、和音と成って用意された祭壇が設置されている部屋の中に広がっていく。 和音の重なりが、重複して周囲に神聖なる空間を紡ぎ出して行く。 純粋な祈りに込められた思いは『感謝』。
私が下賜された『守護』への、『絶大なる感謝』を。
あの時、どうしても紡げなかった、大地が大精霊ガイアード様と眷属であらせられる大妖精グモン様への、感謝の徴をどうしても捧げたかった。
グモン様は、仰っておいでだった。 ” コレでまた、種を播ける ” と。 そう、祝福された大地に、祝福された『種』を播く方なのよ。 それによって、更に更に、大地は祝福と加護を増すのよ。 今の王領内に於いて、もっとも不足しているモノが大地の加護。
年々収穫量が減り、魔物達が跳梁する森や洞穴が増え、出没する魔物達が強くなっている現状は、ある意味王国の危機だとも云える。 大地が祝福に満たされるならば、当然それらの困った現象もまた解消される方向に傾くはず。
そんな彼等の『祝福』を受けた私は、それをお手伝いする事が『使命』とも云える。 『祈り』を各地に。 祈らぬ者に対し、『祈る』事を促す為に。 王侯貴族と、教会との断絶の解消は、その最たるものと云える。 私一人が祈るよりも、多くの人々が祈る方が、どれだけ貢献するか。
神様の御意思は、『祈り』が大地を、生きとし生ける者達の間に…… 深く広く、拡大して行く事なんですもの。
『聖句』の和音が広がり、遠くから精霊様方の御手による、鐘の音、笛の音、竪琴の音が発せられ、そして、近寄り、力強くなっていく。 唄の様な聖句の連なりは、最も基本的であり、根源的な尊き方々への感謝の祈り。 心地よい風が、私の周りを取り巻き、遊ぶが如く私の着衣や髪を揺らすのも、暴力的な感じは無く、ただ、ただ、慈愛を感じさせるのよ。
感謝の祈りの最終段。
感謝を奏上する尊き方は、大妖精グモン様。 彼の尊き方から、大地が大精霊ガイアード様への感謝も奏上する。 直接奏上しないのは、儀式として格式が足りないからなのと、私の内包魔力が持たないから。 精霊様への奏上は、それこそ極大精霊魔法を行使しなくては、出来はしないのだもの。
基本的な精霊術式ならば、どんなに頑張っても妖精様にしか届かない。 でも、その祈りは、妖精様を通し精霊様にも届くのよ。 だから、今……
「大妖精グモン様に感謝の奏上を。 矮小なる『人』である、『修道女』エルに対し、過分なる『御加護』を与え賜もうた事、感謝の極み。 此処にその慈しみと御心に、供物捧げん」
聖杖を左手に垂直に持ち、石突を床に落とす。 空いた右手は、聖壇に乗せた高杯の足を握り、高々と掲げ持つ。 純粋な『感謝の祈り』を以て、高々と。 もし、御心に叶うならば、グモン様は御顕現して下さり、受け取って下さるわ。
御顕現無き時は、私の研鑽不足の為ね。 周囲の音が小さくなり消える。 静寂がお部屋の中に広がる。
ダメだったのかしら? 魔力の練り込みが足りなかったのかしら? と、その時、お腹の中に堪える『鐘の音』が、広がったの。
ゴーン……
ゴーン……
ゴーン……
ゴーン……
四回の音。 御顕現が叶う。 そして、四回の『鐘の音』は、紛れもなく…… 御姿を顕わされる事に他ならない。 祈り捧げし者への、特大の加護とも云えるのよ。 次元の扉が開く。 光り輝く妖精様の御姿がその扉を通り抜け、祭壇の真上に浮かび上がる。 強い光を纏った大妖精グモン様。 『感謝の聖句』を口に紡ぎ出している私に、慈愛を笑みを浮かべ、私に御言葉を告げられる。 頭の中に響く、『音』無き『声』として。
”善き修道女エル。 其方の呼びかけに応じ、馳せ参じた。 私からの加護に対する感謝の祈りは、心地よく、その供物は崇高。 其方の感謝を受け取り、供物に込められた『善き祈り』を受け取ろう。 そして、供物には大地が大精霊ガイアード様の『加護』を導かん。 『種』となし、大地へ。 大地が大精霊ガイアード様の息吹を広げん事を望む ”
”有難く、有難く ”
”……修道女エル。 この様な感謝はもう十分だ。 其方は私を救ってくれた。 大精霊ガイアード様の許へと帰還せしめた。 これ以上の喜びは無い。 その礼に私の『加護』を贈ったのだ。 その上、更なる『感謝の祈り』などを受け取るのは、甚だ心苦しい。 よって、これからは大層な祭礼はいらぬ。 修道女エルが常に謳う聖句のみで良い。 それが何よりの奉祝でもあるのだ。 良いな。 ”
”勿体なく。 朝夕の『お勤め』の折、今後も心を込めて祈りを捧げる事とさせていただきます”
”善き哉。 大精霊ガイアード様への感謝届けようぞ。 そして、一層この地を愛そうぞ”
”有難き幸せ”
”ではな。 善き修道女エル。 其方の祈り、確かに受け取った”
もう一度、『鐘の音』が四度響き渡る。 眩しい程の光が扉に収斂し、そして閉じられる。 聖句を紡ぐ口から、最後の一節が零れる。 神聖で静謐な空気が、徐々に教会の空気に置き換わる。
ホウッって息を吐く。
ちゃんと内包魔力を練っていないから、結構な量の魔力が吸われたけれど、魔力枯渇までは行かなくてよかったわ。 ちゃんと感謝も通ったし。 ニコニコ顔で周囲を見渡しすと、跪拝の姿のまま固まっている人達を発見。 えっ?! な、何で?
老枢機卿が素早く立ち直った他の神官様に助けられて、立ち上がったのよ。 そして、とても強い困惑の表情で、私の前に立たれたの。
「修道女エル………… 我等が研鑽と学究の日々は…… 何だったのであろうか?」
「そ、それは……」
ちょっと、言葉を失った。 だって…… ” 学究だけでは、何の意味も御座いません ” 、なんて云えないもの。 『聖典』を研究するのは、間違いじゃない。 聖典の聖句一節一節には、人知を超える英知が宿っているのだもの。
通り一遍に撫でた所で、その英知に到達できるようなモノでは無いし、その英知を解し理解出来すると同時に、この地に生きとし生ける者達への慈愛を示す事が出来たならば、もっともっと祈りが世界に広がると思うのよ。 だからね……
「……わたくしが成したのは『感謝の祈り』。 極大精霊魔法の術式と比べて、単純とも云える術式を使用しました。 私に下賜された強大な『権能』はあれど、それを行使せずとも、大妖精様の『御顕現』が叶いました。 今回の『感謝の儀』は、いわば『真理』到達への試金石と云えましょう」
「どういうことか?」
「わたくしは真摯に祈りました。 わたくしが私である為に必要な事に御座います。 それ故、私の祈りは私自身。 精霊様の御加護を賜った私自身の全てを祈りに込めております。 精霊様の御加護を戴く方は、私以外にも聖堂教会には存在しておりますでしょ? その方が、自身の全てを祈りに賭せば、同様の現象を招く事が出来ようかと」
「精霊術式は媒介であると?」
「聖典の聖句には『力ある精霊術式』が織り込まれております。 読み解く事は簡単な事では御座いますまい。 それ故、神秘院が設立されておられるかと。 簡素な『感謝の祈り』を以てして、大妖精様の御顕現が叶うのです。 それ以上の『聖句』ならば、どれ程の効力を発揮するか…… 想像も出来ません。 枢機卿様方が解析し研究されておられるのは、そう云う絶大なる効果を秘めた『聖句』であると勘案致します。 しかし、ただ研究するだけでは…… そこに自身の全てを賭けた『祈り』が存在しなくては…… たんなる、『魔法術式』と何ら変わりはありますまい。 定量的な魔力で定量的な効果を紡ぐ魔法術式と。 わたくしは思うのです。 『祈り』には目的意識が必要なのです。 こんな事を言うのは、教皇猊下に説法をする様なモノでは御座いましょうが、精霊術式には指向性が御座います。 ご存知であろう事柄ですが、今一度御再考の程、お願い申し上げます」
「指向性…… か。 心が真に願う方向。 自身の全てを賭けて『想う事』。 神と精霊様方に『嘆願』する心の衝動か。 成程な。 修道女エル。 其方の心の向く先は、神様と精霊様方に差し出した『誓約』に違いないのであろうな」
「それ故に与えられた力に御座います故」
「ふむ…… そうか…… そうであったな。 我等、神秘院に所属する神官も、一般神官と変わりなく神様の御手先。 詰まる処…… 聖典の序文が全てであると。 成程な。 成程。 …………いや、済まない。
善き修道女 エル よ。
今後も其方の道を歩んで行く事を、私は望む。 神と精霊方が御意思を顕現させる君ならば、道を踏み外す事も無かろうし、我等の曇った見識に光明を齎してくれた事をもまた、感謝する。 皆も良いな」
周囲に居た神官様方が頭を垂れる。 そっか…… 神官としての『使命』に思い至ったのね。 神様の御手先だと、ちゃんと理解して下さったのよね。 聖典の研究は必要で、これからも続けていかれるとは思うのだけど、そこにちゃんと目的意識や、その力をどうやって振るうのかって事を考えて下さるのよね。
よかった。
―――― § ――――
夜半になって、ようやく神秘院から解放された私。 さて、どうやって小聖堂迄帰ろうかと思案し始めた時、まるで闇の中から浮かび上がるかのように私の背後にスッと立つのは…… 一人しかいないわよね。
「さて、神秘院の調査も終えたな。 あの頑固な御老体を納得させるとは、教皇猊下でも難しい。 しかしな、修道女エル」
「はい…… リックデシオン司祭様」
「此度の事は遣り過ぎぞ。 今後は極大精霊魔法の使用は差し控える様に。 出来るならば、事前に此方に報告する様に」
「……御意に」
「オクスタンス様も、大層ご心配になっておられる」
「はぇ? と、と、と云う事は、既に……」
「伝えられた。 あぁ、伝えられたよ、教皇猊下が、あちらにな」
「聖櫃経由でしょうか?」
「それが、一番早い。 教皇猊下も甚くご心配になっておられる。 其方との面会を強く望んでは居られたが、私が御止めした。 修道女エルを教皇猊下が『居室』に召喚されるとなれば、否が応でも『非常に注目』される。 未だ情勢不安な聖堂教会内部に於いて、それは危うい。 教皇猊下よりの御伝言も承っている。 よって、教皇猊下に成り代わり……」
―――― ゴチンッ!!
いったぁぁい! リックデシオン司祭様の拳が頭に炸裂したのよ。 頭に手を遣って、涙目になる私。 そんな私の首根っこを掴まれたリックデシオン司祭様は、私を掴んだまま薬師院への道を辿られたのよ。
いや、そんな事ッ! まって、まって! 『困りモノのドラ猫』を捕縛して拾って帰るみたいに、そんな扱いしなくたって!
「我等が考えた『罰則』もある。 今宵は薬師院 奥の院にて休め。 ……休ませてくれたらな」
「えっ、ええぇ!? し、し、聖修道女方は、まだ頑張っておられるのですか?」
「手ぐすね引いて待って居ろうな。 ……何分と調薬が滞っている事だしな。 さて、行くか」
とても黒くて『良い笑顔』だ事っ! ジタバタしていたけれども、リックデシオン司祭様の御手が首根っこから離れる事は無かった。 強く首筋を掴まれていたわたしは…… 抵抗すらできなかった。 掴まれた御手から、司祭様の『怒りの感情』さえも伝わってくるわよ。
…………相当、ご心配を かけちゃったな。
悪いのは私だ。 だから…… この罰は受けよう…… 後から考えれば、遣り様など幾らでもあった筈。 勉強しよう。 神様の御意思を顕現させる方法を勉強しよう。 そうしなくては、救える者が救えなくなるのだもの。
だけど、だけどッ!
首根っこ掴んで運ぶのは、やめてぇぇぇ!!
――――――――
” 五日間の、奥の院にての『お勤め』 ”
それが、私に科された懲罰でもあったの。 奥の院の『聖修道女』様方や薬事方の『修道士』様方が、本当に待っておられたのには、驚いたわよ。 製薬に次ぐ製薬で、休む間もない程。
少々思案して、ファンデンバーグ法衣子爵夫人の為の、『符呪した水差し』を奥の院でも再現したの。 聖水を紡ぐより、何倍も楽だったしね。 なんか、とても驚かれたのよ。 なによ、聖女の聖遺物って! なんとか、ご期待に沿える事が出来る様に、頑張っただけなのよ?
それでも大変だった。 時間の許す限り製薬に勤しみ、「お勤め」である日々の祈りに時間を取った。 眠る間もない程の濃密で神聖な時間だったと思うのよ。 疲れたとか、嫌だとかは言いっこ無し。
それが、神様と精霊様方の御意思なんだと、自分に言い聞かせたのよ。
この五日間は、自身の体内魔力の回復と練り上げに充てる時間でもあったのは、間違いない事実。 リックデシオン司祭様はその辺りも考慮されていたみたいね。 敢えて、ゴリゴリと薬研で薬草を粉にしているのは、単純作業を通じた『魔力』の練り込みだったのよ。 だから、真摯に聖句を口に色んな製薬を行っていたの。
フェルデン卿には、教皇猊下から通達が行われたらしい。 聖典の記述の内で禁止されている、『自己犠牲』を犯した咎で、厳重注意と刑罰が下されたと。 あちらも、聖堂教会内部の事が良く判らないから、まぁ、云えば『法律違反』をしたから、五日間の懲役に処された…… 的な感覚で了承されたみたい。
私からも、フェルデン卿、フェルディン卿にお手紙を綴り、今回の出来事についての釈明と、たった五日間で処罰が済んだ事に対する教会への感謝を示して置いたの。 下手すると、アルタマイトに帰れって云われたかもしれないと、ちょっと大げさに綴って置いたから、まぁ…… 納得はしてくれると思うのよ。
―――― そして、大切な事。
ファンデンバーグ法衣子爵家に対する不当な扱いについて。 これは、きちんと報告しておかないといけない。 人事については、所管では無い宰相府に向けてではあるけれど、『とても有能な官吏である方達を遊ばせて置いて良い物でしょうか?』ってね。
多分…… 敏感に反応すると思うのよ。
有能な人は、本当に数が少ない。 法衣貴族の方達は、既に様々な場所で実質的にこの国を動かしている方達ばかり。 引き抜きも、出来ないし、なによりその部署の貴族家の影響下に有るのだから、いくら高位貴族家の当主であろうとも、簡単には出来ない。
でも、見捨てられたような方ならば?
ええ、そうよ。 そんな人材が居たら、きっと、必ず、あの人達は内懐に入れるわ。 それが、王国の為に成ると確信しているのだもの。
『寄親』『寄子』の関係性すら断てるわ。 だって、親が子を見捨てたにも等しい状況だもの。 だから、親を変える。 勤める部署を変更し、その差配主たるフェルデン侯爵家の庇護下に入ると、そう宣言すれば良いだけだもの。
見捨てる方が悪いのよ。 其処にどんな思惑があったとしてもね。
これが、五日間の間の出来事。 私は薬師院の奥の院に籠っていたから、後の事は知らない。 知る術がないのよ。 リックデシオン司祭様はそんな私を慈愛深く見つめ、外界の有象無象に煩わされぬ様にと、厳重に私を囲って下さった…… らしいのよ。
五日間のお勤めを終えて、王都聖堂教会 薬師院からフェルデン小聖堂に戻る時…… 如実にその事実を私の前に提示されたの。
「何処にも逃げられんように、こちらで準備を成した。 まぁ、自業自得だと思いなさい」
薬師院の入口に横付けされたのは、枢機卿様方の移動に用いられる豪華な馬車。 そして、その周囲を聖堂騎士様方、護衛修道士様方がぐるりと取り巻いていたの。 あっけにとられる私を他所に、その方々は尊き人に対する儀礼を遵守し、片膝をついて待ってらしたのよ。
「これ程の待遇をわたくしに?」
「当然だろう? 神秘院からも要請が入っている。 真に尊き『修道女』(神聖聖女)を、厳重に護れ。 ……とな。 あの頑固爺ぃが、言いだしたのだ。 枢機卿様方達の連名にて、この処遇が決定されている。 覆る事は無い。 しかし、まぁ…… フェルデンが小聖堂に到着するまでだ。 我慢して欲しい」
「我慢だなんて…… 畏れ多い……」
「……エルならば、そう云うと思った。 あぁ、それと今後一人、修道女エルの傍付として護衛修道士を付けることに成った。 アーガスと云う。 見知り置いて欲しい」
「……護衛修道士アーガス様ですか……」
「何、気負う事は無い。 エルの事情も、教皇猊下より直々に聴かされている御仁だ。 見た目は…… まぁ、その辺に居る修道士と変わりない。 中身は…… 彼の者の言動から、推して知れば良い。 教皇猊下が『特別に』との思いも有るのでな」
「それは…… また…… 何と云えば良いのか」
「アーガスには『小聖堂の守り人』と云う立場も与えてある。 フェルデンの小聖堂は、かなり格を上げたと云う事だ。 なにしろ『神降ろし』を成す修道女が守り人をする、小聖堂なのだからな」
「リックデシオン司祭様ッ!」
「ハハッ! まぁ、軽口はこの辺で。 さて、エル。 貴女の為す事は理解しているな」
「はい。 精霊誓約が元、現世に『祈り』を広げます」
「善き哉。 献身を期待する」
「承りました」
嫌々ながらも、その豪華な馬車に乗り込み、小聖堂に帰還する。 一連の騒動は、これで完全に収束に至った。 『神様の御意思』が、私を導き『成す事』を成せたと……
………………少し、ホッとしたのも事実。