エルデ、怒られる事を覚悟せざるを得なくなる。
薄らいだ意識が、優しく昏き『闇の褥』から、浮かび上がる。 それは、落ちた湖の水中から水面を見る様な感覚にも似ている。 見詰める先に、明るく輝く天空が有ったのもまた事実。 ……そうか、私…… 魂魄が解かれようとしていたんだ……
意識が戻るにつれ、身体が途轍もなく怠く感じるのは…… ちょびっと魂魄が乖離していたからだよね。 魂が身体を抜け出して…… そして、戻った。
う、うわぁぁぁ……
ま、不味いよ。 マズい。 他人の御家の居間で死にかけるなんて、修道女にとってあるまじき失態ッ! 慌てて、体の怠さを無視しつつ、『闇の褥』から抜け出す様に光ある方向に意識を向ける。
声が聞こえる。 呼びかける深い声音は、慈愛深く優しく、とても心配しているモノだったの。 ええ、深く心に染み入る様な御声は、正しく私の意識に到達している事から、『神官』様の御声に違いないわ。 そして、その御声は私の聞き知った御方の声。
「修道女エル。 眼を開けよ。 其方は未だ道の途上。 精霊誓約も未だ有効なのだ。 ここで斃れるは、神意に背く。 よいか、其方の『使命』は、未だ完遂せず。 眼を開けよ」
深く…… 深く…… 心に沁みる。 やっとの事で意識が浮上したの。 薄く瞼が開く。 とても喉が渇いている。 声を発しようにも、まるで喉が張り付いたかのような、そんな感覚。
「よし、還って来たか。 今、私の魔力を少々贈与する。 それを糧に自身の身を回復せよ。 薬師にして治癒師ならば、可能だろう? それだけの力は持っている筈。 【魔力譲渡】起動…… 発動確認」
優しい魔力の流れが私の中に流れ込んで来る。 少々異質な魔力ではあっても、嫌な感じは全くしない。 医療関係者なのよね…… この方も。 魔力譲渡の魔法術式も熟知されて居る筈よね、だって、王都聖堂教会が薬師院が別當様なんですもの。
――― リックデシオン司祭様。
御足労をお掛けしました。 流れ込んで来る魔力により、私の魔力回復回路は勢いよく回り出して、枯渇していた体内魔力を紡ぎ出して行く。 要所要所に流れ込んだ、私の魔力は停止していた体の機能を回復させていくの。 止まっていた呼吸が復活して、とても緩慢に動いていた心臓が規則正しい脈動に戻る。
そりゃ、物凄く怠い筈ね。
ゆるゆると瞼が上がる。 ボヤケた視界が徐々に鮮明に成っていく。 自身の状況を認識できた途端、途轍もない羞恥が私を襲う。 腰掛ける様な姿勢。 長椅子にだらしなく座っている様な感じなの。 気を失う前の最期の姿勢は、跪拝の態勢が崩れ床に伏した状態だった筈なのに、今は上を向いて楽な姿勢。
……そうよ、まるで赤子の様に、男性の胸に抱かれているのよッ!!
修道女としては、全く、完全に、本当に、あり得ないッ!! 畏れ多くも、高位神官であるリックデシオン司祭様に抱かれて、魔力譲渡を受けていたなんてッ!! 真っ赤に顔を赤らめたんだろうな。 リックデシオン司祭様は、私のそんな様子に安堵されたみたい。
「良し、感情も還って来たか。 重畳重畳。 さて、怠いだろうが、自身の回復に勤めよ。 立てる様になるまでは、暫しこのままで。 しかし…… エル。 何をしでかした? フェルデンが護衛に差配した聖堂騎士が、顔色変えて報告に来た。 エルが単身、市民街に托鉢向かったと。 肝が冷えたぞ。 フェルデン卿と交わした「密約」の違反だ。 さらに、貴族街の一家で、神聖精霊術式が展開されたと、教会神秘院より警報が発せられた。 何が何やら判らぬまま、教皇猊下の勅が下ったよ。 異端審問官として、状況を見極めよ とな」
コクリと頷く。 まぁ、そうなるかな。 失念していた事が有るのよ。 此れだけの精霊術式を行使するならば、まずは教会にお伺いを立てねば成らなかったの。 でもね、時間が無かったのよ。 グモン様のあの黒い拘束術式が、何時また、あの両手を合わせた様な『収監檻』を生成するやもしれなかったもの。 大精霊様にしても、そこから始めるのはきっと、もっと大変。
だから、なんとしても急がなきゃならなかったのよ。 教会にご報告して、それなりの手順を踏めば、高位神官様達の御助力が得られて、こんな無茶しなくても良かったのだけどね。 でも、それでは、グモン様は救われない。 『神聖聖女』が権能が ”必要術式 ”は『聖女の権能』の一つだったし、私が行使しなくては、グモン様は解放されなかったものね。
―――それに、わたしの『権能』は深く秘匿されているのだもの。
人前で大っぴらに行使できるようなモノでは無いモノ。
「……教会神秘院の者達から、神聖精霊術式が観測された場所を聴きとって、焦ったぞ。 王城のほど近く、貴族街の真ん中と云うではないか。 そんな所で誰が『神降ろし』をするのか。 あれは、聖堂教会が秘術でもある。 教皇猊下が何年も準備されて、数多の高位神官の助力の元で盛大な儀式を執り行っても尚、成功する確率がとても低い術式なのだぞ? それを単身、設備も供物も十分でない状況で展開したと云うではないか。 そんな状況下での術式を展開したら、行使者の魔力が主な対価と成ろう。 魔力枯渇は死に直結する。 ……エルデ、お前、馬鹿なのか?」
酷い云われようだ事。 客観的事実を並べ立てるとその通りなんだけれど、言葉の使い方って大切だと思うのよ。 そんなリックデシオン司祭様の言葉を聴きつつも、早くこの恥ずかしい状況をどうにかしたいので、魔力と体力の回復に努めてはいたの。 でもまぁ…… 補助的なモノが有れば、有ったで良いから、ちょっとゴソゴソ動いて……
「バッグの中に何か入っているのか?」
「時間が有ります時に、適宜製薬した緊急用の丸薬とポーションが入っております。 自分用にと試作生成致しましたので、他の方に流す事は有りません」
「ほう……」
斜め掛けにしたバッグの中に手を突っ込み、目的の丸薬とポーションを引き出す。 ちょっと大きめの瓶に入ったポーションは、魔力回復薬。 丸薬の方は体力回復薬。 色々な文献と、贈られた一級薬師の教本に記載されていたモノをゴニョゴニョと混ぜ合せた代物。
絶対に表には出せない『お薬』は、私の技能を高めるために製薬したもの。 医療錬金術を駆使して、一級薬師の教本に記載されている『お薬』を、如何に安価な魔法草で製薬出来るか挑戦したモノでもあるわ。
まぁ、最大効力で作られたモノからみれば、数段落ちる代物だけど、使う材料がとても安価なモノな上、成分組み換えの術式を組み込んでも居るから、材料の量もそれ程多くは無かったのよ。 でもまぁ、ソコソコには使うから、『お試し製薬』で作ったのはポーション三本と、丸薬三つだけ。 その内の一組を持って出てきているのよ。
自分用にね。
丸薬を口にして、ポーションで流し込む。 いきなり魔力回復回路が悲鳴を上げる様に、全開で回り出して体中に魔力が勢いよく満たされて行く。 失った体力も又その魔力の流れに乗った丸薬の成分が回復して行く。 私自身が…… 薄ぼんやりと発光しているのではなかろうか?
「エリクサーの亜種か…… この修道女は、どこまで規格外なのか。 大聖女オクスタンス様が唯一の後継者と指名されるだけの事はある。 ……しかし、だ」
とても厳し気な視線を感じるのよ。 許可できない事だとでもいうつもりなのかしら? 彼としたら、この『お薬』でも通常の物と比べたら、相当に高い効能に見えるのね。 『エリクサー』って、そんな事有る訳無いのに。 戴いた、一級薬師の教本に記載されていたモノよ。 その改変版。 そんなに警戒しなくてもいいのに。 まぁ、改変版だから、気を使っておられるのよね。 ほら、どんな副作用が有るかもわからないし。
「その薬、まさか他人に処方している事は無いだろうな」
「いいえ、これは私専用と…… まだ、実験段階でも御座います。 更に言えば、コレを作る事で消費される薬草や貴重な材料の事を考えますと、通常の医薬品を製薬する方が神様と精霊様の御意思に沿えるかと存じます。 よって、コレは試作品三組のみとしておりました。 今回一組を使いましたので、残余は二組。 フェルデンが小聖堂にて保管しておりますので、ご心配で有れば聖堂教会 薬師院 奥の院にて保管して頂いて結構です。 ……あの、もう大丈夫ですので……」
「確かに試作品だけなのだな。 それ以外、本当に無いのだな」
「はい、御座いません。 勿論、予備は……」
「奥の院にて保管しよう。 専門の者がフェルデン小聖堂に向かう。 私も同道しよう」
「承知いたしました」
まぁ、そうなるかな。 危険なモノでは無いし、本当に必要ならば、もう一度作る事は出来るし、その為の原材料は高価であっても手に入らない様なモノでは無いしね。 既に私は、自身の体力と魔力が戻り、立ち上がれるようになったの。 何時までも殿方の腕の中に居るのは…… 恥ずかしいし、周囲の目も有るし……
そうなのよ。 リックデシオン司祭様は、この部屋に一集団の人達も連れて入ってきているの。 そして、ファンデンバーグ法衣子爵令嬢も、その一団の中に混ざっているのよ。
まぁ、考えてみれば当たり前よね。 聖堂の高位神官が突然御邸に尋ねて来て、邸内に入らせるように願われたんだもの。 ファンデンバーグ法衣子爵夫人は今は深い眠りの中。 法衣子爵も御継嗣様もいまだ帰邸されては居ないご様子。 そうなれば、対応すべきは法衣子爵令嬢たる グレイス = ケイトリッチ = デル = ファンデンバーグ法衣子爵令嬢で無くてはならないのよね。
きっと、生きた心地しなかったんじゃなかろうか?
リックデシオン司祭様は、ファンデンバーグ家に異端審問官として教皇猊下が御遣わしになったし、その随伴は当然…… 異端審問官配下の神官様達や、聖堂騎士団の聖騎士、戦闘神官、護衛修道士に成るのだものね。 物々しい人達が、大挙して玄関口に現れ、そして邸内に入る事を乞うするんだもの。
――― ほら、ファンデンバーク嬢の顔色がとても悪いわ。
わたしは、身体を起こし、スッと立ち上がる。 床に置いた聖杖を取り、同じく床に置いていたファンデンバーグ家の家宝だろうお皿も取り上げ、取り敢えず祭壇の上に置いたの。 ようやくまともにしゃべる事も出来れば、立ち振る舞う事も出来るようになった。 無茶したからね。 祭壇前に立ち、皆様の方に振り返りながら、しっかりと聖杖を持ち直し、石突を床に下ろして言葉を紡ぐ準備を整える。 今の私は修道女エル なのだものね。
「事情は説明…… 願えるのだろうな、修道女エル。 色々と解せぬ事態が進行していたと見える。 更に言えば…… 場所も気に成る処」
「詳細に渡って確と、リックデシオン司祭様。 しかし、『場所が気に成る』……と、云われますと、ファンデンバーグ家に何か思う所でも?」
「修道女エルは、知らぬだろうが…… ファンデンバーグ法衣子爵夫人は聖堂教会とは少々関りを持っていた。 曾て、彼女自身が聖修道女と呼ばれるモノでもあったからな」
ヒュゥと息を飲む音。 これは…… あぁ、お嬢様から漏らされた音ね。 ご存知なかったのかしら? あの口振りとか、真摯な祈りとか、その所作とかから、私は何となくだけど、そうじゃないかなって思っていたの。 でも、まぁ、個人個人の色々な『事情』が有るから、どのような経緯で法衣子爵夫人に成ったのかは敢えて聞かない。
聴いたところで、私が関与する事はもうないから。
でも…… ちょっと理解できたことはあるの。 なにゆえにファンデンバーグ法衣子爵家がこれほどまでに、貴族社会から疎外されてたのか。 そして、近所の方々以外、誰も手を差し伸べなかったのか。 その『理由の一端』が、御夫人の出自に関係していたと云う事がね。 教会の関係者と云う事で、そこまでの仕打ちをするのが、現在の貴族社会なのよ。
―――― ほんと、憂鬱に成るわね。
ご説明する事に問題は無いわ。 この屋敷に来た経緯とか、御夫人に掛けられた『呪い』についてだとか…… それに、それを【解呪】しようと、『アイツ』が、ヤラカシタ事だとかね。 それ以外の事柄については、市井にてお話申し上げるべき事では無いから、聖堂教会に於いての事情聴取を願い出ようかな?
「では、事の経緯を逐一ご報告いたします、リックデシオン司祭様。 ファンデンバーグの御邸に我が身を運んだことについては、事情が御座いました……」
ツラツラと状況説明を始める。 祭壇の前に立ち、手に証言の印紋を組みながらもご報告。 この印紋を組みながらの御話は、神様と精霊様方の前に決して嘘偽りを申し上げないと云う所作。 この印紋を組んで言葉を発している居る限り、『報告』を止められる事は無いわ。 もし証言に嘘偽りが混ざれば、私に即座に神罰が打ち下ろされるのだもの。
電撃とかの、 ” 軽い物 ” だけどね。
だからリックデシオン司祭様も、何も言葉を発せず、私の紡ぐ報告に耳を傾けて下さるの。 周囲に居る、同胞の神官様達や護衛達もまた、同様に聴き耳を立てられているのよ。 法衣子爵夫人に掛けられた『呪い』は、薄く魂を徐々に削る普通の呪い。 対処さえ間違えなければ、普段ならばどうにでもなった様なモノ。
でも、貴族社会から疎外されていたこの家にとっては、死活問題に直結していたのよ。 それに、法衣子爵夫人の御不調の原因である謎の『普通』の呪いは、貴族社会の何方かがしでかした事。 法衣子爵家が貴族社会から疎外されてしまったが故に発生した偶発的出来事なのよ。
でも、それに乗っかる愚か者が居たと云う訳。
夫人の不調が加速したのは、あのバカが祭祀を行った後から。 その原因たる『呪い』は、普通のモノでは無かった。 もし、あの祭祀を執り行わなかったら、もう少し緩やかな感じで、夫人の不調は推移していた筈。 だから、許せなかった。
それは、『人』に対しても、『妖精様』に対してもとても愚かな行為に違いなかったから。 その上それをアイツは認識していない。 自身が行った『解呪』の祭祀自体が、汚染されたモノで効果がまるで逆に成っていた事にすら ” 気も付かない ” のだから。 そんな者が聖堂教会の『神官』であると宣った。
その上、莫大とも云える金銭を要求した。
教会聖典を読んだ事あるの? 神官の心得を伝授された事…… あるの? 神官である矜持を持ち合わせた事は? 教会の権威のみを『使って』、己の地位を確立する為に行動していたと? 神官たる矜持を投げ捨て、『お勤め』の義務を怠って?
有り得ない事ばかりを成す馬鹿には、相当にキツイお仕置きが必要だと思うのよ。 だから……
事態を悪化させた張本人については、詳細に事細かに彼の成した全てを 『 異端審問官 』 様方にご報告させて頂いたの。
――― 首を洗って待ってらっしゃいな、
ジョルジュ = カーマン = ディ = バヒューレン公爵令息様。
そう、あの方は貴種のお生まれなのよ。 孤児院での孤児たちに対する『成人の儀』で、精霊様のご顕現を成したと云われている彼。 その前から妖精様の加護持ちと云う事で、公爵家から特別に修道院へ修道士として入られた御方。
でも、その公爵家からの御話も全て後付けの眉唾物だったらしいわ。 アルタマイト神殿での彼の評判は相当に悪い。 最悪級と云っても良い程。 出自の身分を鼻に掛けてやりたい放題だったと記憶しているの。 私自身が聴いたり見たりしているモノね。 高位の者へは遜りつつも、公爵家の威光を存分に振るい、下位の者大しては尊大にして驕慢。
だけどね、彼自身それ程の『権力』は持っていないの。 バヒューレン公爵家に於いて、彼の立場はすこぶる弱いのよ。 御当主様が何かの折に身分の低い者に手を付けられ、お生まれになった方。 普通は御当主様の妾やら側と呼ばれる筈なのに、彼の御生母様はその立場には無かった。
つまりは庶子。 認められていないのよ、公爵家には。 その原因は彼の御母堂と、彼自身の性格によるものだと、アルタマイトの聖堂では噂されていたのよね。 自身の立場を敢えて無視したとでもいう様な振舞いの数々。 権利など無いと云うのに、公爵家の子供としてどこでも首を突っ込んで行く厚顔無恥さ。 更に言えば、高位貴族家の御子弟の間に要らぬ騒動を引き起こす為人。
よって、公爵家は決断されたと云う事。 そう、アルタマイト神殿の修道院に入れられたのよ。 あくまでも、素養により修道士となったと云う事を貴族の体面上から紡ぎ出した『虚像』を前面に出してね。
だから、アルタマイトで彼の祈りの際、何かしらの『魔道具』が稼働していたと、そう噂されているのよ。 要は遠くアルタマイトを、生涯 出る事が出来ぬ様にとの思召しだったのよね。 けれど、あの孤児院での出来事があった。 アイツの主張は、他に申し出る者が居なかった為に認められた。 そういう事。
己の祈りで、精霊様の御声が顕現した事により、神官としての道が開いたと云う訳。
でもね、いまだ未成年の彼は、従僕であり、修道士補でしかない。 どんな法衣を纏おうとも、正式に任じられたモノでは無い。 更に言えば、神籍は王都には無く、未だアルタマイトに有る。
そんな方が、王都の貴族街に於いて、自身を『神官』であるとそう宣った。 重大な規則違反で在り、大きな罪で有るのよ。 さらに、その権限が無いにもかかわらず、『解呪』の祭祀を行った。 それも、中途半端な精霊術式を用い、妖精様を魔力供給源としたの。
精進潔斎もせず、あろうことか祭壇の供物に血肉を持つモノを供え、色々と欠落の有る聖句を唱えた術式がまともに稼働する事など無く、結局いろんな『悪意』を呼び込んでしまう始末。 いったい誰に唆されたのか。 アイツが貴族学習院で『神官』で御座います、と云う顔をしている事すら、神様と精霊様に取っては不快な事に違いないわ。
でも、私が直接に、云うべき事では無いの。
その辺は弁えている。 だって、私も一介の修道女でしかないのだもの。 特例により、今の年齢でも『修道女』と名乗れるのは、亡父グランバルトの娘だから。 グランバルト男爵様が多額の金銭を積み、アルタマイト神殿に於いて特別待遇を求めていたから。
そうね、父様の愛ゆえにね。 残念ながら、その対象は私では無くて、ヒルデガルド嬢にだったけれど、血統上は私がそうなってしまったから。 何の後ろ盾も無い私を哀れんで下さったアルタマイト神殿の方々が、書式の記載通りに私を遇して下さったから。
…………愛を求めるとすれば、アルタマイト神殿の心有る『神官様方』にね。
だから、私は精一杯の『お勤め』を成したのよ。 だって、それが彼等にとっての最上の贈り物と成ったのだから。 私は常に愛されていた。 私は常に思い遣られていた。 私は常に…… 気に掛けられていた。
だから、そんな想いを精一杯にお返ししなくては、私が私でなくなってしまうのだもの。 リッチェルから出奔した私にとって、心の在り方を知らしめてくださった方々なんだもの。 だから、そんな方々の在り方を否定するような ” そんな輩 ” に与える慈悲など、一片も存在しないの。
語り終わった私に対し、祭祀の全容についてのご質問は無かった。 リックデシオン司祭様は、私が行使した精霊魔法について知識として知っておられる。 だって『異端審問官』様なんだもの。 それについては、きっと場所を変えて厳しく聴聞される筈。 その結果、何らかの懲罰を喰らうかもしれないわ。 でも、それはあくまでも神様の御意思として遂行した迄の事。
第一、私は行使の結果、大妖精グモン様と大地が大精霊ガイアード様に『祝福』を与えて頂けたのだものね。 其処に罪があり、罰が有れば、甘んじて受けようと思う。 それも含めての御意思だと思うから。
「判った。 修道女エル。 君の為した事は、聖堂教会が『小聖堂の守り人』と云う、『神職』にある者として、正当なモノだと宣下する。 今後も精進を重ね、弱き人々を救わん事を願う」
「有難き御言葉」
「状況を鑑み、ファンデンバーグ法衣子爵夫人への事後観察は、王都聖堂教会、薬師院の者が行う。 君の手を煩わせる事の無いようにな。 良いですねファンデンバーグ嬢」
「は、はい…… よ、宜しくお願い申し上げます」
「此方こそ目が届かぬ事態を放置してしまって済まなかった。 まして、教会関係者がこのような悪辣な事をしていたとは…… 十分な補償と、損害金の補填は聖堂教会が成しましょう。 御母堂様には安らかに御暮らし頂ければ、幸いに存じます。 これは、聖堂が罪。 そして、罪は罰せなくてはならぬでしょう」
ふと、思いついた事を口にしてみる。
「リックデシオン司祭様。 小聖堂に於いての『豊穣祭』に関してなのですが……」
「何だね?」
「供物を…… 供物をこの祭祀に於いて捧げてしまいました。 再度の托鉢が必要です」
「…………修道女。 君は立場と云うモノが判って居ないのか?」
「『立場』 故にですが? 『小聖堂の守り人』ですのよ、私は」
「…………許可をするとかしないとか云うべき事では無いと?」
「その折に、必要最小限度での ” 配慮 ” を求めます」
「…………言い出したら聞かぬな、君は。 判った、小聖堂の門番に『豊穣祭』が終わるまで護衛修道士を一人付けよう。 一緒に祈り、托鉢すれば良い。 同じ『道』を『修める者』であるからな。 同道して、両者が視界の範囲内に居れば、聖典の記載には抵触しない」
成程ね、よく考えられているわ、流石リックデシオン司祭様だこと。 了承するしか無いわね。 あっ、それともう一つ、この場で聞いて置く事が有ったわ。
「学習院が小聖堂の祭祀は如何しましょう? 正式な守り人が居られぬようですし…… なんなら、私が……」
「いや、其方は教会から司教様を派遣する。 あちらは小聖堂とはいえ、設えは聖堂と変わりは無い。 よって修道女が主祭を勤める事は叶わぬ。 ……助祭ならば、良いがな」
「承知いたしました。 その時には、是非お知らせを」
「承知した。 ……修道女エル。 まだ、幾許か尋ねたい事項が有る。 聖堂教会が神秘院まで出頭せよ。 …………叱られるぞ」
「はい…… 覚悟の上です」
「あの方々の諮問はとてもキツイ。 聖典の解釈から関わって来るからな。 今夜は…… 帰れぬと思えよ」
「はい。 徹夜の論議ですね。 楽しみです」
「………………はぁ。 皆、緊急の事、誠に済まなかった。 此れより聖堂に還る。 この祭壇は撤収し、神秘局へ。 使われた祭具に関しては……」
「ファンデンバーグの御家宝を使用させて頂きましたので、此方に」
「……だそうだ。 ファンデンバーグ嬢、宜しいか」
「はい…… あのッ!」
「何だろうか?」
「お、御礼を。 困難に見舞われた我がファンデンバーグに手を差し伸べて下さった事に感謝を」
「それは、神と精霊方に。 尊き方々の御導きなくば、もっと悲惨な事になっていた事でしょう。 損害金、見舞金については、早急に手配しておきます。 一両日中には、お手元に届くでしょう。 御尊父と諮り、善きように。 尊き思いは、神様と精霊様方に祈りを捧げて頂きたい」
「有難く…… 有難く……」
「さて。 皆の者、そういう事だ。 手早く片付け、早々に聖堂に戻るぞ。 神秘院が首を長くして待っている。 教皇猊下も御気に成されている。 さぁ、始めるぞ」
皆を激励し、作業は始まった。 私は…… ガッチリと首元をリックデシオン司祭様に掴まれて、逃げられない様に保護されている。 眼を離すと、トンデモナイ事を始める厄介な修道女だと、思われているのだろうな。
ちょっと懸念を、御話ししておこう。
「ファンデンバーグ法衣子爵夫人ですが、私の秘事を掴みかかっておられます」
「さもありなん。 釘は刺したのだろう?」
「ええ…… でも、何処まで止められるかは、未知数ですので」
「心配するな。 神名エミリア殿は、聖堂教会でも一目置かれた『聖修道女』だったのだ。 滅多な事には成らぬよ」
「有名な方でしたの?」
「…………秘匿された君の使命に、最も近かった者。 そう云えば判るか」
「成程。 であれば、納得です」
「誼と友誼を結んだのであろう、あの方と」
「ええ…… その様です」
「ん? 個人的と云う訳では無いのか」
「ファンデンバーグ家と…… と、そう云われました」
「成程…… 愛情深き方だ。 ご家族もさぞや、愛されているのだろうな」
「同感です。 禍福は糾える縄の如し。 今後、ファンデンバーグ家には福が訪れましょうね」
「これ程の『禍』が降りかかったのだ。 幸福も絶大なモノと成るであろうな」
「御意に…………」
成程ね。 うん、納得。 私も、その『福』の招来に加担しよう。 私の別の顔を以て。 『侯爵令嬢』の顔を以て、伯父様にお願いしよう。 才有る者には、その才を振るえる場所に。 王国の至宝は、なにも宝物だけでは無い。
『人』こそが、最も尊ばれるべき 『 宝 』 なんだもの。
ファンデンバーグ法衣子爵と夫人が最も力を振るえる場所。 ファンデンバーグの御継嗣様が、潜在能力を開花させられる場所に…… ね。 伯父様や、フェルディン卿など、本当に人材に飢えてらっしゃるから、万難を排してでも手に入れられるでしょう。 だから、そのお手伝い。
――― 苦難を乗り越えた方々、幸あれ!
この国に、この世界に、万民に安寧をッ!
神様、精霊様方、何卒 宜しくお願い申し上げ奉ります。
「エルデ。 神秘院では、色々と叱られるぞ。 覚悟しておけ」
「『異端審問官様』が、そう云われる程なのですか?」
「行けば、判る。 あそこには行きたくない」
「………………覚悟します」